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解説・報告


 3 海外長期研修員
 先進諸国を含む海外の大学院等において国際協力に資する研修機会を若手に与えるための,海外長期研修という奨学制度がJICAにあり,官僚やJICA職員のほか,協力隊の任期満了者にも出願資格があることを知ったのは,サモア派遣のための3カ月間にわたる国内訓練を受けている最中であった.訓練所で隊員候補生各自に配られる機関紙のお知らせ欄に掲載されており,やはり真っ先に目に飛び込んできた.任期満了や年齢制限以外に特に資格要件もないようなので,年に一度の機会を逃さず帰国に合わせて出願しようと記憶にとどめた.実際の出願時には要件がいくぶん厳格化された(TOEFL等の語学試験での一定以上の得点証明を,これまで選考合格後に提出させていたのを出願時に添付するとされた).しかし,事前にその変化をつかみ,試験対策の時間を十分確保したので,間に合わせることができた.協力隊用の枠が何名なのか知らなかったが,聞くところによれば,全ての出願者を同じスタートラインに立たせ,定員に達するまで成績順に選抜するのではなく,官僚,JICA職員,協力隊といった所属カテゴリごとに配分があり,それぞれ所定の人数を決める様子であった.協力隊という集団のみからの選抜ならば,自分の獣医師という資格や公務員としての経歴,サモアでの活動に対するJICA内部の評価は有利に働くだろうと思われた.また,サモアでの活動終盤に今後の畜野犬対策をいかに講じていくべきか,論文を彼の地の全国紙に寄稿していたので,その写しを出願書類に添付しアピールを図った.
 無事に合格した後,一定期間内に大学院からの受け入れ許可を取る必要があった.この研修開始すなわち海外派遣を機に,サモアで同時期に協力隊員として働いていた女性と結婚することにした.専門分野は異なるが,彼女も同様に大学院で学ぶ意思があったため,双方の分野で優秀な教授陣を持つロンドン大学に絞った.彼女は子供の頃,家族でロンドンに住んでいたので土地勘もあり,私にとり大変心強いものであった.
 教えを請うことになったのは英国で最も古い獣医科大学の中で当時最も新しい研究室を仕切る,四十そこそこの若いドイツ人疫学教授であった.実のところ疫学はよく知らなかった.日本で学部生だった頃に使っていた獣医公衆衛生学の教科書には「疫学」という項目で数ページが割かれているだけであったから.その教授も存じ上げていなかったが,事前に感触伺いをするでもなく(本当はそのようにするようであるが,そうした流儀も知らず),その学校に出願したら運良く採ってもらうことができた.偶然にも教授は開発途上国での技術協力を通じた野外調査経験が豊富であったため,願書を読み,同じ道に進もうとしている私を選んでくださったのだと思う.もちろん教授としても研究室を開いてまだ間がなく,身の回りにリサーチ学生を置きたいとの事情ともかみ合ったものと考えられた.
 教授は私のように博士号取得を目的に入学するリサーチ学生には,手取り足取り教えない方針であった.それが必要であれば集団教授型の疫学修士課程を開講しているので,そこから始めなさいということである.しかしそれは予算的に許されない.ひとまず,教授の講義ノートと定評ある教科書数点を通読し,疫学の用語や考え方を習得することにした.それと並行して博士論文執筆用の研究をどうするか具体的に決める必要があった.出願時点で可能な限り詳細な研究プロポーザルを提出するのが流儀のようであるが,当時はそのことも知らなかった.自分の予算の範囲内で,何もないところから,あれこれと決めていき自主的に進めてよいというのは私の性分に合っており楽しい作業であった.成績も1年ごとに行われる進捗報告と質疑応答の会議のみで決まる.合格しない場合はそこで終わり,いわゆる「ゲタをはかせる」等,妙な救済措置が入る余地がないのも潔くてよいシステムだと思った.
 研究自体についてはJICA英国事務所のご協力を得,当時実施中の家畜衛生プロジェクトの中から,私をしばらく受け入れ野外調査をさせてもらえるところを探すことから始めた.海外長期研修制度では,先進国での研修受講者には途上国での「域外研修」を全期間内の一部に取り入れることを奨励しており,これが助けになった.最終的に,ハノイで実施されていたベトナム国立獣医学研究所強化計画にて,プロジェクト活動の一部を分担実施する形で働くことに決まった.3年間の博士課程のうち,のべ1年ほどベトナムに滞在し,ハノイ近郊のハタイ省バビ郡で展開されていた酪農開発に係る阻害要因を,古典的な疫学調査手法と近年の進んだ多変量モデル解析や数理シミュレーション手法を組み合わせて調べることにした.
 プロジェクト専門家の先生方,獣医学研究所やバビ郡獣医事務所スタッフの方々,同事務所傘下の獣医員や酪農世帯の皆様から多大な協力をいただき,1年間にわたる乳牛からの種々の採材を計画通り終了できた.教授には,ベトナムという多くの制約が考えられる状況のもと,我々西洋人ではこれだけの長い期間,忍耐強く調査遂行するのは無理だったろうと言われた.日本人だったせいか,幸い私はベトナムの田舎に溶け込むことができ,日々全力を尽くすことが可能であった.ベトナムでは農作業による重労働の疲れをいやすためか昼から飲酒をする習慣があるが,調査のためには無論そのような付き合いも厭わなかった.その甲斐あって博士論文もまとまり,国際専門誌に数編の報告も提出できた.こうして獣医疫学のツールを携え,新たな国際協力の現場に向かうための素地が築かれた.なお,博士課程は3年間かかるが,この海外長期研修は2年間で終わりである.運よく英国政府の奨学金Overseas Research Students Awardsを取れたので,残り1年分の費用に充てることができた.
図2 子犬を売るノン傘をかぶった女性.

図2 子犬を売るノン傘をかぶった女性.ベトナムでは犬は食用にも供される.購買目的は買い主しだいか


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