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解説・報告

−海外で活躍する獣医師(IV)−
わが国の国際協力人材育成支援を受けて

鈴木邦昭 (国際協力機構 アルゼンチン「広域協力を通じた南米南部家畜衛生改善
のための人材育成プロジェクト」長期専門家)


鈴木邦昭 1 は じ め に
 獣医師として国際協力の世界に踏み入ることになった原点は約30年前の小学生の頃,東南アジアの野生動物保護施設で働く,若い日本人男性を描いたテレビのドキュメンタリー番組をたまたま観たことである.主人公は日本の獣医科大学で学んだ後,青年海外協力隊(以下「協力隊」)に参加し,ここに派遣され働いていると紹介されていた.当時,通学路に動物病院の電柱広告があり犬,猫のイラストとともに獣医師何某という文字があったため,獣医師が何をする仕事なのかは,おぼろげながら分かっていた.しかし両親が自宅兼店舗で飲食業を営んでいるがゆえに動物を飼わないことにしている家の子供にとり,動物病院も獣医師も馴染みの存在ではない.また,協力隊というのはこの番組で初めて耳にした.協力「隊」と言っても特に団体行動をするわけではなく,何かしらの職を持った日本人が単身で,日常の話題にめったに出ない国へ行き,土地の人と共に数年間働くことのようであった.外国で働くというのは大変縁遠いものと考えており,職種も外交官や大きな貿易会社の社員といったものしか思い浮かばず,自分の家とは接点の乏しい「会社勤め」という今一つピンとこない世界に限られた話だと思っていた.そのため,オランウータン孤児の世話をしたり運び込まれた大蛇の手当てをしたりと,会社勤めに比べて,より身近に思える仕事をしながらでも外国で暮らせることを,この主人公から学びとり好感を持った.
 当時,私の父は自分が興した商売を長男の私に継がせたいと思っていた.都心にある名代の老舗から暖簾分けされた店は,その土地には馴染みのないこともあり,容易には受け入れられなかったようであるが,両親の努力,工夫もあり,その後は繁盛した.親の言うことはありがたく聞くものなのであろうが,就学前から大人に交じり店の手伝いをし,商人の暮らしが身に染み付いている割には,二代目として店を切り盛りする自分の姿がうまく想像できなかった.もし後を継いだら,終生この一つところに押し込められてしまいそうだとの窮屈さも子供心に感じていた.こうした中,上記テレビ番組が強い動機付けになり,人間誰しもが少なからず持っていると思われる「ここではないどこかへ」との願望に火がついた.また,知らない土地を訪ねるばかりではなく,決まった期間のみ働き,その中で何かを成し遂げることが,終わりの定まっていない家業を継ぐこととの対比からか魅力的に感じた.この願望を果たすために,獣医師として協力隊に参加するという手段を選び実行するのは,いろいろな観点からも十分可能と考えた.その日のうちに,心の中の「できると思うのでどうしてもやりたいこと」リストに加えた.
 後年,この協力隊を皮切りに海外長期研修員及びジュニア専門員という,全て国際協力機構(以下「JICA」)が実施する3種類の若手人材向け事業により,外国で働く機会を得たので,以下にその経験等を記したい.

 2 協  力  隊
 獣医学科の5年次になったあたりから,近い将来の協力隊出願を意識し毎年春,秋に発行される募集要項を取り寄せては眺めるようになった.当時,獣医師職の募集は大動物関連の仕事内容がほとんどを占めていた.新卒でも応募可能という要請も散見したが,自らの新卒時の出願は見送った.経験者とのポスト争奪戦になれば不利であるし,そのために希望とは異なるポストで採用されてもこちらから断る可能性もあるので,そうした禍根はその後の出願,選考時に悪影響を及ぼすと考えた.当時「いわゆる勤め人として自分がやって行けるのか知りたい」という気持ちがあり,まずはこちらを優先して地方自治体入りし狂犬病予防員として従事することにした.
 勤め始めて3年目の春,取り寄せた協力隊の募集要項に「南太平洋サモアの動物愛護協会に所属し犬頭数抑制のため不妊去勢手術を行う.サモアは獣医師が少ないため大動物の診療を依頼されることもある」という記載があり,真っ先に目に飛び込んできた.他の要請と見比べても,当時の職務にもっとも近い内容だったので,サモア派遣を希望して出願した.当時の上司が,3年以上勤務してからの出願であれば有給休職扱いとなる旨,内規を調べてくださったが,それを使うことなく退職しての参加を選んだ.勤め人としてやって行けるのか,自分としては答えが出ていたので,もう少し待ち有利な条件を得てから出願することに特に意味はなく,むしろこの機を逸する方が長期的には自分にとり不利になると考えた.
 日本各地で行われた一次選考(英語と専門科目の筆記試験)の合格者が東京に集められ,二次の面接試問により,ふるいにかけられる.この回の獣医師職募集数とさして違わない人数の若者が面接会場の前に控えていた.派遣国を選ばなければ全員合格という按配であるが,皆の話しぶりによるとサモアが一番人気の模様である.珍しく要請内容が大動物云々ではないため,小動物病院勤務数年を経て今後を模索中とおぼしき志願者が押し寄せた感じであった.診療の技量では向こうが上のようである.しかし,どうしても今回のサモアに決めたいので譲れない.一通りの試問を受けた後,自分を採用した場合のメリット,すなわち犬頭数抑制のためのアプローチは不妊去勢手術以外にも種々存在するが,自分は職務上それらを熟知しており,獣医公衆衛生の視点からサモアの実情を分析し,より実践的な方法を提供できる,と続けた.余計なことまで話したわけであるから,面接官の考え方によってはマイナス評価を付けられるリスクがあった.しかし,当時の面接官はしっかりと応えてくださり,専門科目の筆記試験が非常によくできているが特別なことをしたのかと追加の質問を得た.過去問10カ年分を協力隊事務局から取り寄せ,周到に準備したと答えた.これらのことでJICA側に強く印象付けることができ,合格に結び付いたものと考えている.獣医師職への出願に際しては,獣医師免許保有が通常必要であるため,免許・資格を問わない他職種と比較すると応募倍率は低くなる.よって,一次選考はよほど成績の悪い場合を除き,たいてい通過すると思われる.しかし,手を抜かずにあえて時間をかけ一次対策に取り組んだことをきちんと評価していただくことができ,良かったと思っている.
 サモアでは募集要項の文言通り,毎日ひっきりなしに入る不妊去勢手術その他の予約を,診療施設(建築物)がなかったためモバイルクリニック(ピックアップトラック)でこなした.診療業務のかたわら咬傷事故予防,景観美化,観光推進等のために犬頭数抑制を目指す政府の委員会等に出席し,様々な話し合いを行った.常夏の国だが火山島のため,それなりに標高の高い所もあり,冷涼さを生かし小規模ながら酪農が営まれていた.また,ポリネシア系であるサモア人は冠婚葬祭の際,豚をつぶし蒸し焼きにして食べる習慣があるので,街中でもそこかしこの家で飼育されていた.こうした方面からの診療ニーズや,南の島を船で巡業しているサーカス一座のチンパンジーやらダチョウやらの健診等の変わった依頼もあり日々の仕事は多忙を極めながらも変化に富み,充足感があった.ただし,一人の人間が一日にこなせる手術数等知れているので,当初の要請内容ばかりに力を入れても国全体としての犬頭数抑制等達成し得ない.動物愛護を切り口とした事業展開の限界が見えてきた.資源の投入配分をより賢明に考えるべきだと所属先を説得したかったのだが,残念ながら当時はそのための具体的な方法論を持っていなかった.このような経緯から,仕事の相手方に適正な判断をしてもらうための情報を,現場で得たデータ等から構築し,きちんと提供できるようなスキルを得た上で,国際協力の仕事をさらに続けたいとの意思が,サモアで働き始めた比較的早い段階で固まった.当初の任期を1年延長し,都合3年働いてから帰国した.
図1 サモアの伝統家屋ファレで休む犬.通風のために壁はなく,床には珊瑚や貝殻を砕いたものが敷き詰めてある

図1 サモアの伝統家屋ファレで休む犬.通風のために壁はなく,床には珊瑚や貝殻を砕いたものが敷き詰めてある


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