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8 獣医療過誤の紛争処理 獣医療過誤を原因とした紛争の起きた場合,その解決にはいくつかの手段がある. (1)紛争処理の手段 ア 和 解 所有者と獣医師との私的な解決法として,獣医師と所有者との話合いによって合意し解決する方法であり,俗に『示談』という. この解決法は,裁判所の関与しない解決であり,「裁判外の和解」といわれているが,この解決にも法律の専門家である弁護士等の関与は多い. 実際の獣医療過誤事故の紛争解決の多くは,この方法によって解決されている. イ 民事裁判 当事者間の話合いによる解決が不調に終った場合,裁判所に裁定を求めることになる.裁判所は判決によって裁定するが獣医療事故(過誤)の裁判においては,裁判過程で和解勧告の示されることも少なくない.当事者双方が裁判所の和解勧告に応じ,和解が成立すれば裁判は終結する. この和解を「訴訟上の和解」と呼び,調書に記載された時点で,確定判決と同じ効力を持つ(民事訴訟法第267条).もし,和解勧告が不調に終れば,裁判所は判決によって対応する.当事者のいずれかが判決に不服であれば上級審によって再び裁判を行うことになる. ウ 民事調停 獣医療過誤によって生ずる紛争を民事上の調停制度によって解決する方法である.調停に携わる調停委員は裁判所によって任命され,当事者間の話合いを仲介して調停案を提示する.しかし,調停案は判決とは異なり,当事者を拘束することはない. なお,獣医療事故(過誤)における紛争解決の流れは図1に示すようである. (2)獣医師の対応 獣医療事故(過誤)が発生した場合,獣医師は誠意ある対応をとることは当然であるが,次のような事項についても配慮すべきである. ア 所有者の安全確保 獣医療過誤の対象動物に対して安全の確保のために,全力をあげてこれにあたる.同時に獣医療過誤の実態を所有者に対して誠実に報告する.
イ 記録の保全 獣医療過誤の原因や病状の経過及び対応等を正確に記録し,保存しておく.この記録は紛争解決に重要な資料となる.正鵠の記録は獣医療事故を惹起した獣医師を保護するのみならず,反射的には所有者の利益にもなる. ウ 獣医療過誤の対応マニュアル作成 獣医療過誤の発生時に,ただちに獣医師側のなすべき具体的な対応策を定め,常に獣医療関係者に周知しておく.それにより,獣医療過誤の直後における所有者に対し適切な対応が可能になる.獣医療過誤を原因とした紛争の多くは,所有者の獣医師に対する不信感によるといわれている. |
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9 獣医療過誤の予防対策 獣医療過誤を未然に回避する戦略として,次のような事項が考えられる. (1)受任者(獣医師)としての注意義務と診療の範囲を守っているか. 獣医師は,学識,経験,技術を信頼されて診療を依頼されている.したがって,民法上の受任者として,最善の方法を尽くす義務がある.診療の範囲については,特別に限定されることは稀で,内科的疾患の場合に診療を依頼されない範囲といって放置してはおけない.外科的手術の場合に切開部に病因の発見されないとき,みだりに他を切開することなく,所有者の承諾を得た上で処置すべきであろう.ただし,手術中に生命の危険が予知されるような緊急処置は例外である. (2)診療経過報告と指導義務は守られているか. 獣医師には,所有者に診療内容について説明する義務がある.また,診療した動物の衛生管理及び保健衛生等について指導する義務もある. (3)問診や臨床検査等は正しく行われているか. 特異体質等の有無を事前に確かめ,注射の際に不測の事故が発生しないよう最善の注意を必要とする. (4)診療簿(カルテ)の記載と保管は正しく行われているか. 事故の発生した場合,最初に押収される物的証拠は一般にカルテである.正確に診療記録を記入し,保存期間は3年(主に家庭動物)ないし8年(産業動物)を守る. (5)電話による処方は慎む. 電話で処置等を指示したような場合に証拠はなく,水かけ論になることが多く,また無診察による投薬は違法である.家庭獣医師による無診察による無診察投薬等も要注意といえよう. (6)高額治療費を必要とする場合は事前に打ち合わせをする. 獣医療費が高額となるときは,処置前に所有者と十分な話合いが必要である.近年,獣医療費は高額と不当に批判されがちであり,診療費内容を詳細に説明して費用と処置の整合性を確保しておく. (7)所有者の秘密は守られているか. 医師,弁護士,公証人等の職にある者は,業務上知り得たことの守秘義務がある.獣医師も同様といえよう. (8)インフォームド・コンセントは行われているか. 診療に当たって,動物の所有者に当該動物の病態・治療法・予後・飼育管理等について詳しく説明し,所有者の同意を得て治療に当たる.なお,インフォームド・デシィジョン(Informed decision),インフォームド・チョイス(Informed choice)は同じ意味である. | |||
10 リスクマネージメント 獣医療のリスクマネージメントについて行政レベル,獣医師会レベルでは解説されていない.そこで,日本の医療行政側が提示しているリスクマネージメントを参考として抄録する. (1)行政側のマネジメント計画 ア 医療過誤の防止対策としては,多様な戦略が練られ,日本の医療を所管する厚生労働省は『医療安全対策検討会議』を設置し,組織として医療過誤の撲滅に取組み,2002(平成14)年4月,『医療安全推進総合対策』を発表し,医療法施行規則の改正(2002年8月,10月)をはじめ,官・民・学会等が総力をあげて,医療安全対策の構築を急いだ.医療法施行規則の改正(2002年8月)要点を見ると,有床の診療所,病院等を対象とした改正要点は次のようである. (ア) 医療にかかる安全管理のための指針を整備する. (イ) 医療にかかる安全管理のための委員会を開催する. (ウ) 医療にかかる安全管理のための職員研修を実施する. (エ) 医療機関内における事故報告等の医療にかかる安全確保を目的とした改善のための方策を講じる. イ 2002(平成14)年10月には,特定機能病院を対象として,医療法施行規則を改正している. (ア) 医療にかかる安全管理の専任者を配置する. (イ) 医療にかかる安全管理を司る部門を設置する. (ウ) 患者やその代理人からの医療相談に対し,適切に対応できる体制を確保する. (エ) 業務報告に,安全管理の体制確保の状況報告を追加する. (オ) 病院管理および運営にかかる諸記録に,安全管理のための体制確保に関する項を追加する. ウ リスクマネージメントの意味は,ややもすれば安全管理・事故防止と考えられがちであるが,事故発生時や事故処理及び紛争の対応等を含めたマネジメントが本来の意味であり,厚生労働大臣の発表した医療事故対策アピール(2003年12月24日)においては,『医師・歯科医師として持つべき知識・技術・倫理の徹底を図る』,『事故を惹起した医師,歯科医師に対する処分の強化』,『処分を受けた医師,歯科医師の再教育』等について検討することを強調している. (2)医師会側のマネジメント 医事紛争処理委員会の設置:頻発する医療過誤及び医療事故等に対し,医師会や各医学会等は紛争処理機関を設置している.一般的に知られている委員会としては,都道府県単位の医師会に『医事紛争処理委員会』が設置されている.その名称は医師会によって多少異なる.委員の多くは医師会員で構成され,当該医師会内で惹起された医療事故(過誤)紛争の処理にあたっている.また,各分野の医学会においても,当該医学会に関連する医療事故の紛争処理に有効な情報を提供している. |