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総 説

 7 獣医療事故と責任
 (1)獣医療事故の類型
 獣医療においては,病気の動物の所有者の権利意識は強くなり,獣医療過誤の訴訟件数は増加傾向にある.
ア 獣医療事故
  獣医療の継続中に発生した事故で,診断や治療行為に過失はなくても,入院中の飼育管理の不手際により発生した事故はこれに含まれる.
イ 獣医療過誤
  獣医師が疾患動物の診療を行う過程において,過失により動物を傷害または死に至らしめたときに起る.過誤とは,一般に獣医療上必要な注意を怠ったため発生した予期しない事態をいう.
ウ 獣医事紛争
  獣医療過誤や獣医療事故を原因とした動物の所有者と獣医師との争いをいう.また,獣医療に過誤や事故はなくても,所有者の誤解により紛争の起ることもある.

 (2)獣医療過誤の成立要件
ア 主観的成立要件
  獣医師に責任能力のあること.診療時に心神喪失であれば,免責の対象となることもある.しかし,心神喪失の原因に故意または重大な過失があれば,その責任を免れることはできない(民法第713条).法律的には《原因において自由な行動》といわれ,酩酊中の行為はこれに該当する.
イ 客観的成立要件
  (ア) 権利の侵害の認められること.民法では他人の権利を侵害する不法行為(民法第709条),刑法は器物損壊罪(刑法第261条)等が該当する.
  (イ)損害の認められること.民法上は権利の侵害と損害の発生を要件として求めている.刑法上は器物損壊の発生を要件とする.損害は事件発生当時の損害のみならず,将来に起り得るであろうと予測される損害《得べかりし損害という》も含まれる.なお,診療行為と損害発生との間に因果関係が存在することを要する.
ウ 不作為と因果関係
  獣医師が獣医療行為を怠れば責任は追及される.例えば,所有者が診療費未払いのため動物の医療を行わず動物が死亡した場合でも,この行為は,獣医師としての倫理的責任,特に獣医療並びに動物愛護の専門職としての倫理規範に背くものとして排斥される.

 (3)獣医療過誤の類型
ア 比較的単純な技術的過失
  手術事におけるガーゼやピンセットの体内遺留.消毒不完全による術後の細菌感染.輸血時の血液型誤判等,獣医師としての最低限度の常識と考えられる過失が挙げられる.その過失は物的証拠も明確で認定も比較的容易である.
イ 診断の過失
  疾病の診断の誤りによる獣医療過誤には,診断を誤った過失と,誤診と処置を誤った二重の過失とがある.
ウ 治療上の過失
  診断に誤りはないが,治療法に過失の認められた場合で,獣医師の選択した治療法以外の方法によれば,動物(所有者)に不利益は生じないと認められたときにその過失は問題となる.

 (4)獣医療過誤と責任
ア 刑事責任
  人の医療過誤の刑事責任は,過失によって患者を傷害または死に至らしめた場合は,刑法第211条が適用され,業務上の過失傷害,致死罪に問われる.
 過失の判定には,注意義務を怠ってはいないか,結果を予知する義務や危険回避義務に対する違反の存否等が問われる.
 獣医療過誤においても,刑法第211条の適用を受けた判例がある.犬の狂犬病を獣医師が誤診したため,当該犬によって咬傷を受けた患者が狂犬病に罹患したとして,獣医師が業務上過失罪を問われた判例である(大審院判例:刑録16輯292頁).
 器物損壊罪は,故意でない限り刑事上罰せられることはない.なお,本罪は親告罪であり告訴を必要とする.器物損壊罪(刑法第261条)は,他人の物を損壊または傷害に対する犯罪である.故意に魚を流失させた事犯に器物損壊罪を適用した判例もある.
イ 現行刑法に対する疑問点
  動物を器物として扱う現行法には若干の疑問がある.動物は他の器物と異なり,赤い血液の出る生物であり,福祉や愛護は人に次いで馴染むといえよう.現行刑法制定の明治40年当時には,動物の社会性や倫理問題の論究は乏しく,また,獣医療過誤の多発等は立法者の想定外と思う.改正刑法においては特段の配慮を願いたいものである.
ウ 民事責任
 (ア) 不法行為
 獣医療過誤においても,民法第709条に定める不法行為責任を問われる.不法行為で訴える場合には挙証責任は原告(所有者)側にある.
不法行為によって生じた損害に対する慰謝料の請求は,実質的損害に対する慰謝料と同時に精神的被害に対する慰謝料も請求される.損害賠償を請求し得る権利者は動物の所有者である.損害を加えた獣医師の不法行為は原則として自己の行為を前提とする.従って,損害賠償の債務者は損害を加えた獣医師である.しかし,入院動物の世話をしている飼育係(例えば動物看護師)に全責任のあるような不法行為であれば,飼育係自身にも責任があると同時に,使用者である獣医師も責任を負う.
  (イ) 債務不履行
 委任(準委任)契約においては行為の実行を委任され,それを引き受けた獣医師が債務者であり,契約通りに約束を履行しなかった場合に,債務不履行となる.債権者(所有者)が債務者(獣医師)を債務不履行として訴えた場合,債務者は反証して応訴しなければならないので,挙証(反証)責任は獣医師側にある.
エ 行政責任(業務停止と免許取消)
  未成年者,成年被後見人,被保佐人(獣医師法第4条),応召義務違反,届出義務違反及び心身の障害により獣医業務の不可能となった者,麻薬,大麻,あへん中毒者及び獣医師としての品位を著しく損ねた者等については,免許の取消または業務を停止することができると定められている(獣医師法第8条).
オ 道義的・倫理的責任
  獣医学教育を基礎として,獣医師は職業に対する自覚,権利,義務及び職業倫理等は涵養されている筈である.獣医師は動物の診療や保護を通じて所有者の利益を守ろうとするもので,獣医師の職業上の義務を履行することにより,反射的に動物の所有者は利益を受ける.それが獣医療過誤により,所有者の権益を侵害するので法的な責任のみならず道義的及び倫理的責任を無視することはできない.
カ 共同責任
  複数の獣医師が共同して診療を行い,その結果,過誤の生じた場合には,診療に関与した獣医師のうち誰に過失があったか実証できなければ,連帯して責任を負うことになる(民法第719条第1項).
キ 使用者責任
  使用人である獣医師の診療行為や動物看護師の補助行為等が,動物に被害を与えれば,使用者は責任を問われる.なお,使用人の不法行為が使用者たる獣医師の面前で行われた行為でなくても,使用者である獣医師の責任は免れない(民法第715条).
 使用者責任を免責または軽減される理由としては,従業員の選任,業務の監督等について相当な注意を払い,なお相当の注意をしても,事故の発生を免れ得なかったことを証明する必要がある.
 また,使用者に代わって使用人を監督する立場にあった院長や部長等も使用者責任を問われることがある.
ク 管理者責任
  獣医療施設に瑕疵のある場合,その管理者(所有者)に責任を科している(民法第717条).理由は《危険責任の法理》によるもので,危険性の高い獣医療施設を管理する者は,常に危険の防止に十分な注意を払い,廊下で転倒して負傷したり,窓から墜落し負傷した動物に対する責任は管理者にある.これは《無過失責任の法理》にも通ずるものといえよう.
ケ 獣医療施設の自己責任
 診療施設の自己責任とは,院内で事故が発生したとき,施設自体(開設者)が他人の責任を代替するのではなくて,施設固有の責任として損害賠償責任を負うことである.その背景には,現代の医療が多数の専門医療職の分業形態をとっていることが挙げられる.獣医療においても,多数の従事者の関与する組織的獣医療(例:大学病院)では,事故の起きた場合にその責任を特定の個人に負担させることは困難であり,むしろ獣医療施設に直接責任を負担させた方が賠償上からも妥当と考えられる.
  (ア) 獣医療施設の管理者責任
 獣医療施設の設備等の瑕疵を原因として発生した事故の責任には,無過失責任の適用も考えられている.
  (イ) 獣医療契約上の責任
 債務の不履行があったとして訴えられたとき,獣医療施設は契約責任を負うことになる.なお,診療契約の当事者は,獣医療施設開設者と動物所有者であり,契約の責任者は開設者となる.直接の獣医療担当者は,診療施設の使用人としての立場にとどまり,この種の診療施設固有の管理責任を負うことはないと考えられている.
  (ウ) 組織上の責任
 獣医療体制,看護体制,時間外勤務体制,救急獣医療体制等の不備や欠陥も問題となる.例えば,時間外に専門医との連絡はとれないとか,また,診察中の動物の逃走等の過失も問われる.
コ 法律上の効果
  法律上の効果は損害賠償請求権の発生である.損害賠償の方法には金銭賠償と原状回復があり,日本の民法では金銭賠償を原則としている(民法第417条,第722条).
賠償金額は原告の請求に基づいて裁判所が定める.さらに裁判所は被害者の請求により,損害賠償と同時に被害者の名誉を回復するため,謝罪広告等適当な処分を加害者に命じることもある(民法第723条).
サ 請求権の消滅
  医療過誤における請求権の消滅を参考にすれば,刑法第211条に該当する業務上過失致死傷害罪の公訴時効は5年である.民法第709条の不法行為による損害賠償請求権は,加害者を知ってから3年,事故発生時より20年,民法第415条の債務不履行の場合は,事故の発生した時点から10年経過すれば時効は成立する.獣医療過誤における時効もそれに準ずると考えてよかろう.


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