会報タイトル画像


総  説

 3 獣医療と契約
(1)準委任契約
  獣医療の診療行為は,所有者の依頼により獣医師が承諾することによって実践される一種の契約にもとづく行為であり,それは医療の契約に準ずると考えてよい.日本における医療契約は通説として,民法第643条に定める《委任契約》とされており獣医療契約もそれに習う.しかし,委任契約は商行為における契約であり,医療契約のように商行為に馴染まない委任契約は準委任契約と呼ぶ.従って,獣医療の契約も準委任契約として矛盾はないと思う.
医療領域でも出産・美容整形・義歯・矯正等は請負契約であり,入院の差額ベッドは賃貸借契約である.
獣医療においても,断耳・断尾・去勢・整形・健康診断等は請負契約であり,入院は賃貸借契約に相当し契約の混合も稀ではない.

(2)契約の始期と終期
ア 契約の始期
  所有者が獣医師に診療を委託し,獣医師が承認すれば契約は成立する.一般には初診時に診療券を交付することにより,承諾の意思表示と見做される.受付時に診療券を渡すこともあり,診療前に待合室で起きた事故の責任を問われた事例もある.
イ 契約の終期
  準委任契約は,獣医師または所有者の両者に契約を解除したい正当な理由があれば,任意に解除することは可能である(民法第651条).獣医師が正当な理由なく一方的に解除することは許されない.診療を打切ったことにより所有者に損害が発生すれば損害賠償の対象となる.許される範囲は獣医師の病気・診療所の罹災・死亡等であろう.また,所有者が勝手に受療を中断したり,診療費の不払いにより損害の発生した時は,契約の解除と損害賠償の請求も可能である.一般的に契約の終期は,病気の動物が改善・治癒し,診療の継続が不必要となった時点をいう.特段の注意は,獣医師には獣医師法第19条に応召義務が定められ,正当な理由なき契約の解除はできない.しかし,獣医療法には有限会社・株式会社としての開設が許され当該診療施設も多い.これらの営利施設は利益を得て株主に配当する責務もあり,応召義務や診療拒否は不当とする説もある.しかし,獣医師法の理念や日本獣医師会の倫理規範は非営利主義であり矛盾する.いずれ抜本的検討が必要と思う.

(3)契約に伴う獣医師の義務
ア 最高に善良なる管理者としての注意義務
  善良なる管理者としての注意義務は,良識ある一般人の成すべき注意義務とされている.しかし,医師・獣医師等の注意義務は,さらに高度の注意義務であり,《最高に善良なる管理者としての注意義務》が要請されている.
イ 説明義務
  民法第645条は委任契約の受任者すなわち獣医師に,事務処理(治療経過)について説明義務のあることを明記している.また,獣医師法第20条は診療後の説明義務を定めている.いずれにしても,獣医師は診療した動物の予後について説明する法的義務を負う.
ウ 転医の勧め
  獣医師は自らの技能では適切な治療が困難と思った時,速やかに転医するよう配慮しなければならない.[1]疾患に対して専門性に欠けること.[2]病気の動物の搬送が可能なこと.[3]転医先は専門性の高度なこと.[4]転医により改善が見込まれること.等が配慮すべき要件とされている.

(4)契約に伴う獣医師の権利
ア 診療報酬請求権
 委任(準委任)契約においては,特約のない限り委任事務(治療)が終わり,病気が改善されて後に報酬を請求する.しかし,治療に必要な費用の前払いを請求することは可能とされている.特約とは,双方の明示した確認の必要はない.これを《黙示の特約》という.獣医療における診療報酬はその特約による請求と考えられる.
イ 主治医権
 主治医権とは,他の医師の介入を拒否する権利をいう.日本の医療では通説として主治医権は認められていない.一方,主治医権を主張する説もあるが,使用者責任・共同責任等の立場から考えると主治医権の強い主張は難しい.獣医療においても同様と考えられる.

 4 無契約診療
 獣医師の無償の愛,博愛精神の発露ともいうべき診療である.動物愛管法第19条は負傷動物の保護規定であり,交通事故・毒物飲食・被災等により受傷した動物の診療はこれに相当する.民法はこのような症例に対する対応(事務管理)を定めている.

(1)一般事務管理と緊急事務管理
 一般事務管理は,診療契約を伴わない診療を意味し,不慮の事故に遭った動物の利益(所有者の利益)を守るための獣医療といえよう.なお,治療後に所有者が判明すれば所有者に,不明であれば保健所等に善処を依頼することになる(民法第697条).
 緊急事務管理は,一般事務管理より急迫した状況における対応である.管理した者(獣医師)に対して注意義務を軽減し,重過失や故意のない限り過失責任を免じている(民法第698条).

(2)管理の継続と費用請求
 善意による一時的な処置(獣医療)であっても,それを中断すれば動物の生命が危険な場合は治療の継続を求めている(民法第700条).これらの診断や治療に要した費用は所有者に請求できる(民法第702条).所有者の判明しない場合には,保健所を通じて当該自治体と相談することになる.

 5 所有者の期待権
(1)期待権の意味
 獣医療における期待権とは,獣医師の獣医療水準に則った適切な獣医療行為を期待する所有者の権利であり,保護法益は動物所有者のために存在する.
獣医療に明らかな過失の認められる場合には,獣医療過誤として所有者は法的に保護されるが,獣医療行為と動物の被害について因果関係の立証が困難な場合には,獣医療行為自体を杜撰と見做す.一般にそのような事例においては,所有者の被害に対する損害賠償責任は困難であり,《期待権侵害の法理》によって所有者を救済する.なお,『高度獣医療における十分な治療を受けたい』ことを望む所有者の期待が裏切られた,いわゆる『期待権の侵害』によって生じる精神的苦痛を所有者の損害と認定して,獣医師に対し損害賠償責任を負わせることもある.

(2)獣医師期待権の問題点
 獣医療では所有者の期待権が法定で争われた判定はまだ報告されていない.医療における期待権は,判例上にも賛否両論が見られる.例えば,『十分な患者管理のもとにおける診察・診療行為さえなされていれば,ある結果(患者の死等)も生じなかったかもしれない蓋然性のある以上,十分な患者管理のもとに診察・診療をしてもらえると期待していた患者にとってみれば,その期待を裏切られたことにより予期せぬ結果が生じたのではないかという精神的打撃を受けることも必定というべく,患者の期待(これを期待権といってもよい)は,診療契約において正当に保護されるべき法的権利というも過言ではない』(福岡地裁昭和52年3月29日判決,判時867号90頁)として,期待権を認めた判例もある.しかし,これを否定する立場の主張もあり,裁判所は一般に下級審では期待権について肯定的であり,上級審では否定的傾向が強いといわれている.

 6 獣医療事故の実態
 獣医療事故(事故・過誤・紛争)の実態を全国レベルで集約した報告はない.日本獣医師会は獣医師賠償保険に係わる審査報告を公報しているが,訴訟件数にまで踏み込んではいないようである.
 そこで,インターネット上で獣医療過誤の件数を探索したところ(表1),昭和41年〜平成18年に19件の獣医療過誤訴訟事件が拾集できた.勿論,この件数がすべてであるとはいえない.
表1

 因みに医療過誤の訴訟件数は,最高裁判所が毎年公表している.平成18年度の受付件数は912件,判決済は1,139件で未済件数は減少傾向にある.その理由は,平成13年7月最高裁判所に《医事関係訴訟委員会》が設置され鑑定処理等が早くなったことの効果とみられている.


戻る 次へ