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 さて,ここウガンダでの調査はケニア国境東部の街トロロにあるウガンダ・トリパノゾーマ症研究所(UTRO)で実施することになった.トリパノゾーマに特化した研究所で病院も併設されている.建物は立派であったが中味はお粗末.こういう国はどこも財政難で,研究所につく予算などほとんどないのだろう.しかし驚いたことに学生は自分ひとりではなかった.アメリカのコーネル大獣医から2人,イギリスのケンブリッジから4人が来ていた.全員女性だ.コーネルでは希望する学生を海外へ研修に出す制度があるらしく,その年は彼女たち2人が選ばれてウガンダに来たのだという.ケンブリッジからはその前年にも数人のグループが訪れている.自分たちでデザインしたオリジナルT-シャツを売って資金を稼ぎ,研修に来たのだそうだ.そしてその年のケンブリッジ女性4人組は,いくつかの企業を回ってスポンサーを見つけ,渡航資金を工面したらしい.日本の獣医学部にもそんな研修制度や,こんなことを考え実行する学生がいるのだろうかと,当時は大きな意識の違いを感じた.
 さて,サンプリングの様子はこんな感じであった.採材を行う場所は小学校の校庭である.泥で塗り固められた小さな校舎の前に青々とした草をたたえる校庭が広がり,そこに農家のおじさん達が牛を連れてくる.UTROのスタッフは校庭の一角に根を張るやさしそうな木の下に荷物を広げ,大方の準備が整ったところでいざ開始とあいなる.まず農家のおっちゃん達が力ずくで牛をなぎ倒す.するとマーカーを持ったスタッフが牛のケツに番号を書く.そこへ血を採る人がトコトコ出向いて採血をする.採った血液は,容器を並べたトレイを持っている人に渡し,番号を伝える.その人は容器に血液を入れて番号を書く.血液の入ったサンプルを受け取った人は,その血液をひとつずつヘマトクリット管に流し込み,遠心する.遠心が終わったら今度はそのヘマトクリット管を番号順に顕微鏡検査係に渡していく.顕微鏡検査係は受け取ったヘマトクリット管を10〜15本ずつスライドグラスの上に並べ,バフィーコートのあたりを鏡検し,トリパノゾーマ原虫の有無を調べる.陽性が出ると牛の番号を呼び,その場で治療を行った.というわけでざっと10人近くの人間が必要なのだ.
 このチームによる流れ作業は非常にうまく機能していて,いたく感心してしまった.自分は採血を担当していたが,あちらこちらからひっきりなしに声がかかり,のんびりと流れる雲を見ている暇などなかった.多い日には500頭以上も採血をし,持参した検査キットを試していった.
 子供の頃から思いを巡らせていたアフリカは,それだけ先入観の多い場所でもあった.ジャングルとサバンナ,貧困に飢餓,エイズとマラリア,野生動物に原住民,政治腐敗と人種差別,等々,どれもこれもテレビや本から植え付けられたアフリカ像が自分の頭を埋め尽くしていた.そしてウガンダにやって来た.目に飛び込んでくる光景はこれまでテレビで見ていたものとあまり変わりない.もちろんその色彩や匂いや温度を肌で感じることができ,それらが体にしみこんでくる感覚は異なるが,イメージとしてそれほど大きな開きはなかった.しかし人々から受ける印象は格段に違った.2カ月という短い期間にせよ,彼らと同じ村に住み,同じものを食べ,同じ場所で仕事をし,同じ言葉で話していると,ここで自分が接したひとりひとりの人間は,それまでの人生で接してきたひとりひとりの人間と大して違わなかった.考え方や人とのつき合い方が全然違うだろうという自分の予想に反して,それは取るに足りない差だった.
 彼らは貧しいかもしれない.しかし少なくとも僕の目には彼らが惨めな生活をしているようには見えなかった.それは僕がつき合ったひとりひとりのウガンダ人から受けた印象であり,気持ちの上でのつながりを持ったからこそ感じえた思いだろう.しかし社会から受けた印象はまた少し違っていた.それはつまり,個々から感じられるような気持ちが社会全体からは酌み取りにくいからかもしれない.いずれにしろ社会としてウガンダは非常に貧しく見えた.シリアではついぞ感じ得なかった貧しさというものが,この国ではそこここで目についた.多くの人々が生きていく社会として未完成な部分が多すぎるのだ.衛生,通信,交通,社会制度,インフラ,産業,教育,等々,数え上げたらきりがない.そしてそれらの分野での開発を援助するため,欧米諸国がこぞって大金と人材を投入してきたにもかかわらず,アフリカの状況は一向に改善されなかった.何故アフリカは辛酸をなめてきたのだろうか.
 ひとつ感じたのはアフリカ人自身の中にある素養というか能力の問題だ.能力といっても頭の良し悪しを言っているのではなく,組織だった持続的努力を必要とする開発援助のような仕事がこなせるかどうか,という意味で,である.個々人の知的レベルはかなり高く,実際イギリスで会った多くのアフリカ出身者は話題が豊富で,かつ話が面白かった.しかし彼らは往々にして他人の行動に対し批判的な態度を見せるものの,自分から積極的に物事に関わり改善していこうという主体性に欠けていた.彼らは常に傍観者となり,面倒なことには積極的に参加しない傾向があった.こんな素養を持つ人が多い組織においては,何か活動を始めてもすぐに批判ばかりが渦巻き,まとまりがつかなくなってしまう事だろう.自分たちの国や社会の開発を進めていく上で,主体性を持って関わろうとする人が少なければ自ずと結果は見えている.私利私欲に走る人が多ければなおさらだ.そうしてアフリカは長年にわたる欧米の援助をスポンジのように吸い取り,それに見合う結果は生み出されなかった.その原因は援助国側にも被援助国側にもあったのだと思う.
イギリス留学中にウガンダのトロロ近郊で実施した野外調査の風景.
イギリス留学中にウガンダのトロロ近郊で実施した野外調査の風景.
東部の一般的な牛は体格が小さく,力ずくで倒して採血する.


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