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論 説

 5 「学究の科学」と「安全の科学」
 日本生活協同組合連合会が2006年秋に実施したアンケート調査[45]では,BSEのリスクについて,70%が「とても不安」と答えている.BSE対策については,62%が「危険部位の除去と全頭検査の両方が必要」と答え,29%が「全頭検査」,そして「危険部位の除去」が必要と答えたのはたった4%に過ぎない.別の調査によれば,全頭検査について正しい知識を持つ消費者は少数であった[46].食品安全委員会の調査では,そのような情報をどこから得るのかについては,約80%がテレビと新聞,約50%がインターネットと雑誌と答えている[40].事実,メディアの論調はほとんどすべてが「全頭検査神話」に沿ったものであった.
 科学者の中には,このような誤解を正そうとする試みと,結果的に誤解を広げる動きがあった.それは,「学究の科学」と「安全の科学」の違いが一つの原因と考えられる.
 国民がリスクを判断して対策を考えるときにも,政府が政策を立案する際にも,正しい判断を行うためには科学の裏づけが必要である.「安全の科学」の役割の一つは,その時点で最善の科学的情報を収集し,分析して,その結論を国民,政府の担当者などの関係者に伝えることである.その際に重要なことは,科学的にまだ結論が出ていない問題,すなわち不確実性の取り扱いである.結論が出ていないからといって対策を取らないわけにはいかないので,「安全の科学」は確率論等を用いた推測で不確実性を補って,早急に結論を得ることを求められるのである.
 英国のBSE問題が解決したのは,「安全の科学」が英国政府に適切な情報を伝え,BSEの症状を表す牛の廃棄,肉骨粉の禁止,危険部位の食用禁止という正しい対策を実施したためである.政治家は,これに政治的判断で「安心対策」を加えた.それが英国での「30カ月令」,EUでの「30カ月齢以上の食用牛検査」,そして日本での「月齢に関係がない全頭検査」である.
 これに対して,「学究の科学」は,研究者個人の興味や価値観に基づいて,自然界についての理解と知識を広げる役割を担う.そして「学究の科学」では,満足できる答えが得られるまでは,研究にいくらでも時間をかけることが許される.「不確実性」は時間をかけて研究すべき次の重要な研究課題であり,これを推測で補うことは科学的ではないと考える.著者自身が,「学究の科学」と「安全の科学」の両方を行ってきた経験からも,両者の考え方の違いは極めて大きい.
 中西準子博士は,食品安全委員会が行った「米国産牛肉のリスク評価」[44]の後に退任した山内一也博士など専門委員の「事実を基に論を進める科学的思考とは違う」など,リスク評価の議論に対する批判について,次のように述べている[47].
 「もし,ここで示されているような科学的思考にこだわるならば,『評価できない,結論は出せない』という答えしかない.(中略)『評価できない』を『安全とは言えない』という意味で言っているとすれば,『安全ではない』と言うべきだ.しかし,安全ではないという判断にもまた,大きな不確実性があり,従来の意味での『科学的』とは言えないということに気付いてほしい.『安全ではない』という発言は科学的であり,『安全である』という発言は非科学的と考えているような節が見えるが,それは違う.科学者は『評価ができない』と言って,この判断から抜けるとしても,誰かがこの重要な意思決定のルールを作らねばならない.科学者に求められているのが従来の『科学的』という枠を超えたものになっているのである.できるだけ事実で裏打ちされたものでなければならないが,それだけで構築されるのではなく,多くの推定を含み,不確実性の高い領域に踏み込まざるを得ない.その結論は思想や好みに影響されやすく,幅のあるものである.それでもなお,一定の収束を目指す,それは基本的に不確実性の処理のための共通のルールを作ることであり,それこそが今求められている新しい科学であるはずである.」中西準子博士がいう「従来の科学」が「学究の科学」に相当し,「新しい科学」が「安全の科学」に相当する.
 山内一也博士は2005年5月20日の衆議院農林水産委員会において,「全頭検査を行っても潜伏期中の牛すべてを検出できないが,その場合には脳に蓄積している病原体の量が非常に低いためリスクは低い.」と述べながらも,「いかなる安全対策をやってもゼロリスクにはならないが,国民が負担に応じるのであれば,科学的に可能な対策はすべてやるべきである.」「世界に誇るべきBSE安全対策が,貿易の妨げという観点から見直しを迫られている.」と,民意を根拠にして,見逃しが多い全頭検査の継続を主張した[20].
 他方,「安全の科学」は,「新型ヤコブ病のリスクの大きさを規定するときには,恐怖ではなく知識に基づくべきであり,理論的なリスクではなく,現実のリスクを定量化して,対策を講ずるべきである」と述べ[48],さらに,「BSE問題の解決に成功した英国の実績に学ぶべきである」と主張している[29, 36, 37, 41, 42].
 安全な食品は,すべての消費者の望みである.だから,「人間の健康に被害があるリスクについて優先的に対策を行い,健康に被害が出ない小さなリスクには費用をかけない」ことを原則とする現実論に比べて,「どんなに小さいリスクでも,消費者が望むのであれば,可能な対策はすべて実施すべき」というゼロリスクの理想論は常に人気が高い.報道関係者も理想論に惹きつけられて,現実論に対しては否定的に報道することが多い.しかし,対策を必要とするリスクは多く,限られた対策費を最も有効に使用するためには現実論を採用するしかなく,科学的な正当性に基づいて費用対効果の計算を行い,リスクの相対的な大きさに応じたリスク管理を行うことが,社会的公平につながる.
*「安全の科学」は「regulatory science」の訳語である.「規制の科学」という直訳は,「規制を行う行政のための科学」という誤解を招くので,「リスクの科学」,「社会の科学」,「レギュラトリーサイエンス」などを使用することもあるが,本稿では「安全の科学」を使用した. 

 6 結   論
 2001年に日本で最初のBSEが発見されたところまでの歴史は,政府の「BSE問題に関する調査検討委員会」[15]が検証を行ったので省略し,その後の歴史を簡単に取りまとめたが,それはリスクコミュニケーションの失敗と,「安全の科学」の軽視の歴史とも言える.そして,今後の食品安全とリスクコミュニケーションの前進のために,失敗の原因の検証が重要であろう.例えば,英国は「BSE調査報告」全16巻[1]において,当時の科学的水準に照らして対策が十分なものであったのか,リスクコミュニケーションが適切であったのかについて厳しい検証を行っているが,日本もこれに習って,BSE問題の詳細を公的に検証すべきであろう.

(注)本稿は,自然及び人工災害に関する総合科学誌であるJournal of Disaster Research 2007年2巻81〜89ページ(http://www.fujipress.jp/JDR/)に著者が掲載した英文総説をもとにした論説である.

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