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4 インドネシアにおける狂犬病の発生状況
 インドネシアではイスラム教を信仰する人が全体の85%以上を占める.宗教上イスラームの戒律により犬を飼わない.しかし,インドネシア国内でも中国系の人やキリスト教徒が多い地域(スマトラ島北部,スラウェシ島,東部インドネシア地域)では犬を飼っている.そして,狂犬病の発生が問題になっている.かつては,OIEの統計にもインドネシアの狂犬病については載せられていなかったが,最近は報告もある.

(1)インドネシアにおける家畜疾病
 現在,世界には,多くの家畜疾病が存在しており,BSEやHPAI等共通感染症は特に注目されている.インドネシアでは,BSEの発生はないが,HPAIは国中に蔓延している.インドネシアの統計によれば,87種の家畜伝染病があるといわれている.その内訳は,ウイルス病33,細菌病29,寄生虫病25である.このうち43の疾病は経済的に大きな損害を与えているが,その他の44の疾病は永年発生の報告がない.海外悪性伝染病として知られている口蹄疫は1985年以来発生がなく,インドネシア政府は口蹄疫フリーを宣言している.
 主要な伝染病としては,牛では,ブルセラ病,肝蛭,牛流行熱,炭疸病,豚では豚コレラ,豚丹毒,鶏ではサルモネラ症,ニューカッスル病,高病原性鳥インフルエンザ,山羊ではスカビエ,そして犬では狂犬病等があげられる.
 なお,インドネシアにおいて,食肉や牛乳など畜産物を介したり生活していて人に罹患する恐れのある主な疾病は,細菌病では,赤痢,大腸菌症,腸チフス,サルモネラ症,結核,破傷風,炭疽病,ブルセラ病,レプトスピラ症などがある.ウイルス病は,蚊やダニなどの媒介ベクターにより罹患する危険があるデング熱や日本脳炎,さらに狂犬病,発疹熱,オウム病なども発生している.
 家畜の予防接種については,炭疽,ブルセラ病,狂犬病等重要疾病を中心に実施されている.1994年の豚コレラの大発生や1998〜99年及びそれ以降の狂犬病の拡大,1999年以降のジャワ島を中心とした炭疸の発生が目立っている.
 また,1998年の通貨危機による経済破綻は,ワクチンを購入する予算の不足に大きな影響を与えた.
 なお,現在高病原性鳥インフルエンザの発生が多く,人への感染や死亡例が増加している.

(2)インドネシアにおける狂犬病
 インドネシアの狂犬病は,2001年以降1300〜1400件以上の発生がある.以下,発生の多い順に島別に記す.
 スラウェシ島は,近年発生が増加しており,2002年からは全国の半分を占める(700〜800件以上発生)状況である.キリスト教徒の多い北スラウェシ州での発生が多くまた発生が増加している(2000年203件,2002年394件,2004年627件).また,南東スラウェシ州や中央スラウェシ州等他の州も増加している.
 スマトラ島は,次いで発生が多く,毎年600〜700件発生している.観光地としても有名な西スマトラ州(200件前後)や中国系の人やキリスト教徒が多い北スマトラ州(100件前後)を中心に発生がある.さらに東部のリアウ州やジャンビ州へ発生が拡大している.
 カリマンタン(ボルネオ)島は,人口密度が低く,犬の狂犬病自体は少なく,30件以下全国の2%以下の発生である.しかし,中央カリマンタン州の密林の中は,野生動物が狂犬病に罹っている例が多いとのことである.
 ジャワ島は,イスラームが多くをしめるためほとんど発生がない.ジャカルタやジョグジャカルタなどの大都市では飼い犬が増えてきたが,予防接種も徹底している.西ジャワ州で2002年に2件,2005年に1件の発生があった.
 特徴はイスラームの影響で犬を飼っていない地域では当然発生がないことである.
 フローレス島などを含む東部ヌサテンガラ州は10数件まで減少しているが油断はできない.スラウェシ州からの人と犬の移動も多い地域でもあるからである.
 バリ島とその東部の西ヌサテンガラ州,パプア州は,これまで狂犬病の発生がない.同じくマルク州も2002年まではそうであったが,2003年以降発生があった(2003年12件,2004年2件).
 なお,インドネシアでは16の家畜法定伝染病が指定されているが,2003年8月以降の高病原性鳥インフルエンザの発生の中で家畜伝染病予防法の見直しがなされている.
(参考)1998〜99年の東ヌサテンガラ州における狂犬病の発生

  1. 1997年までは,インドネシアの東部,すなわち観光地でもあるバリ島のバリ州,バリ以東の西・東ヌサテンガラ州,イリアンジャヤ州(現パプア州)マルク州では,狂犬病の発生がなかった.
  2. しかし,1998年4月に入り,未発生地であった東ヌサテンガラ州のフローレス島で新たに狂犬病が発生した.これは,南スラウェシ州から狂犬病に罹っていた犬を連れた人が小さなフェリーに乗って移動した事が原因であると考えられた.
  3. フローレス島の中央にあるエンデから狂犬病が侵入したものと考えられた.1998年4月から発生が見られ,7月に東フローレス県の1県1村で4人が,8月に2人が,狂犬に噛まれ,9月には一気にフローレス島東にある3つの島(Adou,Solae,Londata)を含む5県14村に広がり,9月末現在で17人が咬傷被害にあった.狂犬病血清が十分でない事から子供などに死者も出て,新聞でも大きく取り上げられた.
  4. 東ヌサテンガラ州ではそれまで狂犬病がなかった事から,畜産総局家畜衛生局はこれを重視し10月下旬に会議を開催し,防疫のための対策を検討した.
  5. 具体的に,10月29日には州都のチモール島クパンで衛生局長も参加して狂犬病防疫会議を行った.インドネシア政府は,山が多い(最高2,100m)フローレス島の地の利を活かし,発生地より西のエンデ県に防疫線を張り,ゾーン分けをして,東部のシッカ県,東フローレス県では,すべての犬を撲滅する事により狂犬病を防圧する計画を策定した.すなわち,11月3日からシッカ県以東では,犬のと畜を行い,以西ではワクチン注射を実施する計画とした.そして,島伝いでの西ヌサテンガラ州等への拡大を防止しようとした.
     経済的にも,検査をした後に狂犬病陽性の犬のみをと畜する方法をとれない事からこの全頭撲滅の方法がとられた.なお,フローレス東部地域には華人系の人々も多く住み,犬の肉を食する習慣があるほか,飼い犬もいる.犬1頭を提供した者には,1000ルピアの助成金が政府から渡される事になっていたが,さすがに撲殺による愛犬のと畜には看過できないものがあるため,計画はなかなか進まない状況であった.エンデ県では,犬の飼養頭数が43000頭であるが,半数以上の25000頭を撲殺し,残りの18000頭について狂犬病ワクチンを接種する計画とした.
     東ヌサテンガラ州全体として78000頭分のワクチンが必要となってくる.犬のと畜にも1頭当たり2500ルピアがかかり,東ヌサテンガラ州からは,予算も少ない中で,2億2200万ルピアの経費がかかる事になる.狂犬病ワクチンは,東ジャワ州のワクチン製造センターで生産を始める方針とした.
  6. 政府はポスターを使って,役所や学校に張り,注意を喚起するとともに,動物検疫を強化したいと考えた.狂犬病予防のためのポスターも必要だが,政府が作成したポスターは10月時点で500枚しかなかった.
  7. 会議では実際に狂犬病の撲滅ができるのかという質問も出たが,衛生局長は「今やる必要があり,待つ事ができないので,実行あるのみ.評価調査も行い,今後にも活かしていく.」という決意表明もあったとのことである.

(3)狂犬病防疫
 狂犬病は,ウイルスによる伝染病であり,罹患した犬による咬傷がもとで,人,猿,猫などに伝染し,場合によっては死を招く共通感染症である.犬へのワクチン接種と人用の狂犬病血清の保管が重要である.
 ジャカルタ等大都市の病院まで飛行機で半日以上もかかる地域では,狂犬病の発生件数が少なくても,咬傷にあった人の70%以上が亡くなるということもある.
(参考)1998〜1999年の日本の対応
 インドネシア政府は観光地であるバリ島への狂犬病拡大を押さえたいと考えており,動物検疫を徹底させるとともに,東ヌサテンガラ州(フローレス島)に対し追加予算を計上した.
 農業省畜産総局アドバイザーとして派遣されていた私は,JICA事務所と相談して,狂犬病の拡大防止のために普及用ポスターの印刷(1998年11月,印刷費150万ルピア)とワクチンの購入に協力をした.緊急対策として,11,000頭分のワクチンを,現地業務費で対応する事とした(犬1頭分のワクチン代3000ルピア).
 なお,ワクチンは,東ヌサテンガラ州の他,発生の多い北スマトラ州,北スラウェシ州,南スラウェシ州及びバリ州に配付された.

図3 狂犬病フリーゾーンへの犬の持込み禁止の看板(西ヌサテンガラ州スンバワ島)
 図3 狂犬病フリーゾーンへの犬の持込み禁止の看板(西ヌサテンガラ州スンバワ島)

図5 動物用医薬品の販売店(店主は州畜産局職員(獣医師))
 図5 動物用医薬品の販売店(店主は州畜産局職員(獣医師))
図4 狂犬病予防のための移動禁止広報ポスター
 図4 狂犬病予防のための移動禁止広報ポスター

表3 インドネシアにおける狂犬病の発生数の推移

表4 1998年度の狂犬病ワクチンの供給状況

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