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4 真のスポーツ装蹄を求めて
 ここで装蹄業界の歴史や制度から離れて,現在の装蹄に求められている意義について,技術論の面から解説を試みたい.
 装蹄という技術が産み出されたのは,家畜としての馬に求められる労働量が格段に増加し,蹄の摩耗を人為的に防止する必要からであった.しかし,今では馬の用途も競馬や乗馬(馬術競技馬を含む)などのスポーツに限られつつあることから,積極的な能力向上を期待するスポーツシューズとしての役割も求められている.また,馬の運動器疾患に対して,特殊技術を駆使した装蹄の治療的効果も,臨床的には大いに期待されている.複合的な意義や役割を求められる現代の装蹄は,単なる護蹄技術ではなく,「スポーツ装蹄」とも呼ぶべき技術への転換が迫られているといえよう.
 そんな装蹄を支える理論的な基盤が,馬の四肢の解剖学や生理学あるいは病理学などの獣医学的知識であることは,古今を通じて変わらない.しかし,スポーツ装蹄という新たな視点から眺めれば,それだけで十分とは言えない.より速く,より高く,より華麗に走り,動いて演技するには,蹄と地面との間でやり取りされる「力」の実態を把握し,その力を効率的に作用させなければならない.運動器の故障を防ぎ,またそれら傷害への治療効果を高めるには,過大で危険な力を軽減し,合理的にコントロールしなければならない.そこで,生体力学(Biomechanics)からのアプローチが必要となる.これは,生体を機械に見立てて,その機械的,力学的な効率を評価・検証する学問である.その概念は,古くギリシャ時代から存在するが,生体力学という名称を与えられ,学問的な体裁が整ったのは,ほんのここ十数年のこと.三次元空間で営まれる生体の動きを捉え,その動作を作り出すために生体内部で産み出される力を測定することが難しかったからである.昨今のコンピュータや電子計測機器の発達が,ようやくそれを実証科学へと引き上げ,その成果の一部はすでに人のスポーツ領域で貢献しつつある.
 馬の生体力学の研究は,人のそれに比べれば,さらに遅れていることは否めない.たとえば瞬間的には時速70kmを超えて全力疾走する競走馬の四肢にかかる荷重,あるいは疾走中の筋肉の活動様式や筋力などの実態は,いまだに実証されていないのである.それでも最近では,JRA競走馬総合研究所の研究グループが,世界に先駆けて,レースに近い速度で走る馬のそれらデータを測定することに成功している.そこから得られた最新の生体力学的情報は,馬場の改善や調教方法の向上に貢献するだけでなく,装蹄領域においても,科学的根拠に基づくスポーツ装蹄への転身に向けて大いに役立っており,今後のさらなる研究成果とその普及・応用が待たれるところである.

5 海外装蹄事情・寸評
 海外に目を向けてみよう.獣医学領域では年間を通じて各種の国際会議や学会が開催され,国際間の情報交換が活発であるが,残念ながら装蹄業界では,それほどには国際ネットワークは整備されていない.生体力学による底支えが不十分であるため,科学的知見に基づいた討論が難しいことから,装蹄の国際学会の開催は時期尚早ということであろうか.そのため獣医学領域ほど海外の装蹄事情の詳細は明らかではない.それでも欧州や北米では,定期的に装蹄の競技大会が開催され,そこが学会に代わる国際交流のステージとしての役割を果たしている.装蹄を産み出した欧州諸国が,その伝統に支えられて世界の装蹄領域の先駆的役割を果たしてきたことは間違いがない.しかし,それらの競技会を通じて現在の装蹄事情を見てみると,最近は米国の指導的な立場が目立つようになってきた.米国は,世界でも有数な馬大国であり,一説には野生馬を含めて600万頭を超える馬匹を抱えているという.そんな膨大な飼養頭数を背景に,馬の用途も多岐に亘っている.たとえば,競馬だけでも,サラブレッド競走,二輪馬車を引いて競う速歩繋駕競走,400mの直線で競うクォーターホース競走がある.通常の乗馬スタイル(ブリティッシュスタイル)のほか,カウボーイでお馴染みのウェスタンスタイル乗馬競技も盛んである.さらに今でもカウボーイの愛馬として牧場での実務に活躍する馬も多く,特殊な歩きを披露するパレードやショー用の米国独自の乗馬も根強く定着している.そこでは,用途に応じて特殊な装蹄技法が開発されており,それら実践技術の多様化が結果的には装蹄理論の奥行きを広げている.膨大なニーズを背景に,装蹄資材を開発販売する資材業者もまた林立し,価格競争とともに新商品の開発競争が,装蹄技術の向上を後押ししていることも米国の優位性を高めている.
 一方欧州では,古い歴史に裏打ちされて馬文化が熟成してはいるが,国家単位でみれば,それぞれの飼養頭数は限られており,装蹄についても伝統的な技法に膠着しているといえるだろう.資格制度をみても,依然として国家資格を維持しているのは英国のみであり,他の欧州諸国では,国家資格から民間認定資格への変更や資格制度の廃止が進み,装蹄師の社会的ニーズはやや低下していると言わざるを得ない.ただし,欧州経済連合体(EU)の進展により,装蹄業界においても資格制度の一本化や技術理論の統一に向けての動きがあると聞くが,その具体化はまだ遠そうである.
 米国では,もともと国家資格はなく,民間資格も州によっては存在していなかったが,1970年代の初頭に米国装蹄師会(AFA)が設立され,全州をカバーする装蹄師の認定資格制度が整備された.米国には8,000人以上の装蹄師が就業していると言われているが,その実数は定かでなく,AFAの資格を持つ装蹄師は,いまだ3,500余人にすぎず,米国においても資格制度の完全普及はまだ先のことになるであろう.
 日本は明治初頭より国家的な施策として装蹄業界の保護・育成が図られ,それが現在では日本装蹄師会に委ねられたとはいえ,狭い島国であることが幸いして,制度面では安定的に整備されてきた.海外と比較して,このような制度面での日本の装蹄事情は恵まれていると言ってもよい.


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