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平成15年5月6日
日本獣医師会野生動物対策委員会
 
野生動物対策の推進について(報告)

I.多発する野生動物問題と獣医師のかかわり
   近年における,種々の生産活動や社会環境の変化に伴い,人と野生動物の関係が大きく変貌を遂げる中で,多くの野生動物が絶滅に瀕し,また傷ついたり,親とはぐれて救護される野生動物が急増している.一方で,野生動物と人間との軋轢も各地で多発し,適切な被害対策が求められている.こうした野生動物の保護管理や救護の現場には,獣医師が大きく関わるべきであるが,わが国ではこれらの関連分野における研究・教育基盤は脆弱である.
 また,野生動物をめぐる諸問題が全国で多発し,社会問題化している中で,このような問題の解決には,関係行政機関における野生動物専門家の存在と科学的調査が欠かせない.しかし,人材や財源の確保がほとんど行われておらず,動物医療の専門家としての獣医師がこの分野に関与することはまれであった.
 これらの諸問題の原因は,急激な自然開発によって人の活動領域と野生動物の活動領域が接近したこと,経済活動のグローバル化によって人や物の広範,迅速な移動が行われていること等が挙げられる.このような変化は,一方で,われわれ獣医師と関係の深いエボラ出血熱やウエストナイル熱などの人と動物の共通感染症の出現,拡大の原因となっており,その対策として検疫体制の強化や侵入後の適切な対応が求められているが,これらの問題においても,野生動物に係る関連対策は益々重要になってきている.さらに,野生動物における鉛中毒や内分泌攪乱物質(いわゆる環境ホルモン)の蓄積等は,人の生活環境と密接に関わる重大な問題として社会の関心を集めている.
 このような野生動物問題に係る課題については,動物医療の専門家としての獣医師が深く関わるべきものであるが,その取り組みは十分とはいえず,積極的な対応が求められている.また,動物医療に関する国家ライセンスを有する獣医師の能力は,高く評価されるべきであり,これらの問題解決の一翼を担うことが期待されており,その期待に応えることが獣医師の社会的責務でもある.

II.野生動物に関わる施策の現況と今後の展開の方向
   従来の野生動物に関わる施策の推進は,人間社会にとっての有益性や有害性を基準とすることが多かった.しかし,1992年の地球サミットで生物多様性条約が締結されて以降,あらゆる生物の存在に価値を認め,また生態系を保全するために人間活動を適正化することが求められるようになった.
 1993年に「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律(いわゆる種の保存法)」が施行され,種の絶滅回避が社会的責務となった.さらに,1999年の鳥獣保護法改正(後述)に先立つ自然環境保全審議会(当時)答申で,人と野生動物の関係を適正化するために,あらゆる施策に科学性,計画性を付与することが求められた.
 また,2000年の省庁再編により,動物愛護行政が環境省自然環境局に移管され,飼育動物から野生動物までを自然保護行政が所管することとなったが,特に,深刻化しつつある移入種問題では,その原因の多くは飼育動物が野生化することにあると考えられるため,適正な飼育動物の取り扱いと野生化した飼育動物への対策が一元的に実行できると期待されている.
 これらの野生動物に関わる制度においては,獣医師の関与が明文化される方向にあり,いくつかの行政機関ではすでに獣医師が活躍している.また,各地で獣医師会による野生動物保護活動への取り組みが始まり,今後ますます野生動物対策における獣医師の社会的使命は重要になると考える.

III.野生動物対策委員会の検討経過等
   以上の現状をふまえ,社団法人日本獣医師会では,野生動物対策委員会を設置して獣医師に関わる野生動物対策について多方面から検討することとした.野生動物対策委員会においては,平成13年1月から平成15年5月までの間,6回にわたり委員会を開催し,関係官庁の担当官及び野生動物対策の専門家から意見を聴取し,野生動物関係施設の現地調査を実施して現状認識と問題点の整理を行った.また,本委員会の検討を受けて,平成15年2月,沖縄県において野生動物問題に関する一般公開シンポジウムを開催したが,委員会及びシンポジウムの概要は以下のとおりである.
1. 第1回委員会(平成13年1月17日)
   委員会における検討の方向性について協議を行い,まず,診療獣医師にとって身近な問題である野生動物救護について,《1》傷病を負った移入種,有害動物等への対応,《2》傷病動物の野生復帰,《3》人と動物の共通感染症の傷病動物から人への感染,《4》野生動物診療技術の普及等について意見交換を行い,その後,野生動物の保護管理や調査研究のための施設とシステムについて,また,獣医師及び獣医師会と野生動物対策との関わり方について協議した.
 その結果,本委員会においては,当面,《1》野生動物救護,《2》移入種の取り扱い,《3》希少種の保護について,「野生動物による人と動物の共通感染症対策」,「野生動物対策における獣医師倫理」,「野生動物対策における獣医師の役割」等を考慮しながら検討を進めることとした.
 また,検討に当たっては,関係官庁の担当官,野生動物対策の専門家等の意見を聴取することとした.
2. 第2回委員会(平成13年3月29日)
   野生動物救護と希少種の保護について検討を行い,《1》希少種の保護・研究及び傷病動物の保護・治療に関する基幹的施設の設置,《2》野生動物診療技術を普及するためのテキスト作成と獣医師に対する研修の実施が必要であるとされた.
  次に,移入種の取り扱いについて検討したが,《1》生態系への影響をなくすための対策としては,生態系からの個体の排除が最も有効な手段であること,《2》輸入動物に対する規制を強める必要があること,《3》マイクロチップによる個体識別の導入が望まれること等について指摘された後,「移入種対策は,動物愛護に関連する問題でもあるが,本委員会においては,感情論に流されず,論理的な議論を行う」ことが確認された.
3. 第3回委員会(平成13年12月27日)
   第2回委員会の検討内容を踏まえ,環境省自然環境局鳥獣保護業務室から奥山正樹鳥獣専門官の出席を得て,同専門官から「野生動物に係る法制度並びに国及び地方自治体の取り組みの現状」について説明がなされた.
  その中で,本委員会における検討事項の一つである野生動物救護については,平成13年1月に告示された第9次鳥獣保護事業計画の基準において,《1》野生動物救護における獣医師及び獣医師会の位置付けに関し,「傷病動物の保護の実施に当たっては,効果的かつ機動的に救護を行うため,鳥獣保護センター等を中心として,地元の獣医師団体,自然保護団体とも連携を図ることとし,また,救護に携わるボランティアの位置付けを明確にすること等により,民間による積極的な取り組みを推進するものとする.」と明記されていること,《2》野生復帰が不可能な個体ならびに有害動物及び移入種の取り扱いに関し,「野生復帰させることが不可能と診断された傷病動物や,野生復帰させることが被害等の原因となる恐れのある傷病動物の取り扱いについては,学識経験者,関係行政機関及び関係団体からなる検討会においてガイドラインを作成し,適切に対処するものとする.」とされ,各都道府県において地域の実情にあったガイドラインを作成することとされていること,等について説明が行われた.
  その後の意見交換において,傷病動物への対応における人と動物の共通感染症の問題について,同専門官からは「農林水産省及び厚生労働省にも関係する問題であり,状況に応じて両省と連携しながら所要の対応を図っていく必要がある」との見解が示された.
  さらに,羽山委員長から,移入種対策については,内閣府総合規制改革会議の「規制改革の推進に関する答申」を受けて策定される「『人と自然の共生』を図るための国家戦略(新・生物多様性国家戦略)」において,その考え方が示される予定である旨説明がなされた.移入種に係る問題については,飼育動物と動物愛護に関連する問題も含まれることから,環境省の移入種対策及び動物愛護関係担当官の意見を聴取して検討を行うこととされた.
4. 第4回委員会(平成14年2月21日)
   第3回委員会の検討内容を踏まえ,環境省自然環境局総務課動物愛護管理室神田修二室長及び同局野生生物課水谷知生課長補佐の出席を得て,神田室長から「動物愛護管理法と移入種対策」について,水谷課長補佐から「外来種(Alien Species)問題」についてそれぞれ情報提供が行われた.
  神田室長からは,動物愛護と移入種対策について,《1》移入種の駆除に関し,ノライヌ及びノラネコ等は動物愛護管理法における愛護動物に含まれるが,ノイヌ,ノネコ及びノヤギ等野生化した動物は含まれないこと,《2》愛護動物であっても,「正当な理由の下に,不必要な苦痛を与えない方法」(「動物の処分に関する指針」として取りまとめられている)によって処分すれば,動物愛護管理法の規定に違反しないこと,《3》愛護動物以外の動物についても,「正当な理由の下に,不必要な苦痛を与えない方法」により処分するよう努める必要があること等について,見解が述べられた.
  その後の意見交換において,ノラネコ等移入種としての飼育動物に対する規制の実施について,同室長は,「飼育動物による希少種の捕食,希少種との競合及び希少種への感染症の媒介等の問題が顕在化している一部の地域(沖縄県竹富町西表島等)においては条例を制定して対応しているが,全国的な規制は難しいと思われる.」との意見であった.
水谷課長補佐からは,移入種問題の現状,今後の対策について,特に,移入種としての飼育動物対策として,《1》飼育許可・登録制の拡大,《2》取り扱い業者の責任強化,《3》飼育者及び販売業者による繁殖制限及び《4》飼育者及び販売業者による個体識別等について検討する必要がある旨述べられた.
  また,自治体における移入種対策の実例として,「北海道動物の愛護及び管理に関する条例」の中に,アライグマ,プレイリードッグ,フェレット,その他の動物が野生化した場合に北海道の生態系をかく乱する恐れがあると認められる動物への対応が定められたことが紹介された.
  その後の意見交換において,《1》獣医師は,野生動物保護関係者と動物愛護関係者の両者間の調整役となりうること,《2》「日本の生態系を守る」ことは,移入種の個体の処分について社会的支持を得るための十分な理由になりえること,《3》獣医師会は,平成17年の動物愛護管理法の見直しに向けて,飼育動物の個体識別におけるマイクロチップの利用について提案を行うべきであること,等の意見が出された.
  さらに,今後の委員会の方向性として,《1》委員会では,今後も傷病動物保護,移入種の取り扱い,希少種の保護について検討を行うこと,《2》委員会での検討に資するため,平成15年2月に沖縄において開催する三学会年次大会において,野生動物問題に関する一般公開シンポジウムを開催することについて検討すること,《3》次回の委員会では,主に希少種の保護に関する問題を協議することとし,兵庫県コウノトリの郷公園において開催すること,等が確認された.
5. 第5回委員会(平成14年5月9日:兵庫県立コウノトリの郷公園)
   第5回委員会は,兵庫県立コウノトリの郷公園において,同園の増井光子園長,池田啓田園生態研究部長,三橋陽子獣医師,さらに,外部講師として(株)野生動物保護管理事務所の岸本真弓氏,ツシマヤマネコを守る会の柚木 修氏の出席を得て開催された.
  岸本氏からは,「ワイルドライフマネジメントにおける獣医師の役割」と題する講演の中で,《1》“ワイルドライフマネジメント”は,人,野生動物と自然環境の三者の間に立って,その軋轢を調整する手法であること,《2》ワイルドライフマネジメントにおいて獣医師が関わるべき分野,または,獣医師としての特性を活かすことが望まれる分野として,野生動物の個体管理(特に捕獲時の麻酔,傷病動物の治療)や野生動物の生息状況の調査活動が挙げられること等について述べられた.
  柚木氏からは,「ツシマヤマネコの保護の現状」と題する講演の中で,《1》ツシマヤマネコの生息状況はきわめて危機的であること,《2》保護活動においてノネコ,ノラネコ対策は非常に重要であるが,対策を実施する中で,野生動物保護関係者と動物愛護関係者の対立があること,《3》獣医師は,社会から「動物の専門家」として認識されているので,両者の調整役として適任であること等について述べられた.
その後,兵庫県立コウノトリ郷公園におけるコウノトリ再導入の取り組みに関する説明を受け,先進的な野生動物関係施設を見学した.
また,まとめの意見交換において,委員からは《1》野生動物関係行政機関への獣医師の配置と定着の必要性,《2》獣医系大学における野生動物に関する教育の改善等についても指摘された.
6. 日本獣医師会・三学会・沖縄県獣医師会―一般公開合同シンポジウム―
   「ペットの野生化防止と絶滅危惧種の保護,移入動物問題を考える」
(平成15年2月9日:沖縄コンベンションセンター)
  委員会における検討を受けて,平成14年度日本獣医師会三学会年次大会の開催にあわせて,一般公開シンポジウムを開催した.シンポジウムにおいては,本委員会の羽山委員長が座長を務め,以下の講演が行われた.
ア. 基調講演:動物飼育の条件―生態系保全と動物福祉―
中川志郎氏((財)日本動物愛護協会)
  エキゾチックアニマル,エキゾチックペット,ドメスティックアニマルの飼育について考察し,飼育者責任が強調されるとともに,生態系と個々の動物の命は,当然ながら,どちらも人間にとって重要なものであるが,生態系が遺棄された飼育動物によって損なわれている場合,その害を未然に防ぐのが人間の責任であると述べられた.
イ. イリオモテヤマネコ,ツシマヤマネコの問題について
藏内勇夫氏(九州地区獣医師会連合会ヤマネコ保護協議会)
  九州地区獣医師会連合会が実施しているヤマネコ保護活動支援事業(イエネコとの競合,イエネコの感染症からヤマネコを守るため,イエネコの避妊去勢手術を中心とした獣医療を提供する事業)の現状について報告が行われ,次世代にヤマネコを残すことの重要性が強調された.
ウ. ヤンバルクイナの移入動物による影響と保護対策
尾崎清明氏((財)山階鳥類研究所)
  ヤンバルクイナの分布域,生息数と,移入種であるマングースとの関係に関する調査結果について報告が行われ,マングースがヤンバルクイナに及ぼす影響の大きさを指摘し,その除去の必要性について述べられた.
エ. 環境省による移入種対策の現状
河野通治氏(環境省沖縄奄美地区自然保護事務所)
  奄美大島でのアマミノクロウサギ,ケナガネズミ及びアカヒゲなどの希少動物及び沖縄本島のやんばる地域でのヤンバルクイナの保護活動におけるマングース,ノネコなどの移入種対策の重要性について指摘され,動物愛護団体等に対し,移入種の問題を正しく伝え,理解を得るよう努力することが必要であると述べられた.
オ. 希少種を守るための県の取り組みについて
石垣英治氏(沖縄県自然保護課)
  沖縄におけるヤンバルクイナ,ノグチゲラ及びケナガネズミなどの希少種の保護活動における移入種(マングース,ノネコ)の捕獲活動の実態について報告が行われた,なおこのような捕獲活動に対して,全国から「マングースやネコを殺さないでほしい」との要望が,平成13年度に532件,平成14年度(9月末まで)に112件あったことが報告された.
カ. 希少野生動物を守るための獣医師の取り組み
長嶺 隆氏(ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会)
  2002年1月発足して,ヤンバルクイナ等沖縄に生息する希少動物の保護活動を続けている「ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会」の活動について報告が行われ,保護活動の具体的な内容として,《1》保護増殖センターの設置と保護計画の策定,《2》動物愛護管理法に基づく協議会の設置,《3》ペット飼育条例の制定,《4》ネコのシェルターの設置等についてプラン作りを行うべきであると述べられた.さらに,講演後にヤンバルクイナの保護に関するビデオ(飼育動物の遺棄問題を含む)が上映された.
キ. 国頭村安田区における飼い猫対策
中根 忍氏(国頭村安田区活性化委員会)
  安田区における独自のネコ飼養規則の制定とネコにおけるマイクロチップ注入の義務化,さらに,同地区で行われている野生動物保護,自然環境保護運動について,これまでの経緯と現状について報告が行われた.
  講演終了後,すべての演者が参加して総合討論が行われたが,討論においては,野生動物と移入種である飼育動物の両者を救う方向で施策が講じられるべきであるという意見が大勢を占めた.
7. 第6回委員会(平成15年5月13日)
   検討の経過を踏まえ,本会の今後の野生動物対策の検討の方向等について取りまとめた「野生動物対策の推進についての報告案」が事務局から提出され,その内容について協議した.
  協議の結果,本案に若干の修正を加え,本委員会の報告とし,五十嵐会長あて提出することとされた.