第II部 BSE問題にかかわる行政対応の問題点・改善すべき点
 
1 危機意識の欠如と危機管理体制の欠落
   日本は行政の危機意識が欠如し,最悪のケースを想定して防疫体制を強化しておく危機管理の考え方が欠落していた.
 特に農林水産省が,96年4月にWHOから肉骨粉禁止勧告を受けながら課長通知による行政指導で済ませたことは,英国からの肉骨粉輸入を禁止した等の事情を考慮しても,重大な失政といわざるを得ない.90年に感染源となる可能性のある肉骨粉の処理基準強化にとどめたことも結果として判断が甘かったといえよう.
 2001年にEUのステータス評価に対し,EUの評価基準がOIEの評価基準とかけ離れていたことなどから評価の中断を要請したことも経緯はともかく政策判断の間違いだった.
 さらに,危機を予測し,発生を防ぐための措置を講じて危険のレベルを引き下げておく予防原則の意識がほとんどなかった.
 
2 生産者優先・消費者保護軽視の行政
   市場競争の激化に伴い,先進国の法制度や農業政策は生産者優先の産業振興から次第に消費者優先に軸足を移すとともに,国民の生命と健康の保護を最大の行政目的に据えている.
 日本の法律,制度,政策,行政組織は,生産者優先・消費者保護軽視の体質を色濃く残し,消費者保護を重視する農場から食卓までのフードチェーン思考が欠如している.
 また,情報伝達の混乱に伴う風評被害を警戒して,遅滞なく情報を公開し透明性を確保する努力が不十分なケースも見うけられる.
 
3 政策決定過程の不透明な行政機構
   政策の継続性を重視し,意思決定過程を明確にしないことにより,個人が責任を問われることはほとんどない.97年の衆・参両院による行政指導徹底の附帯決議があったものの,97年に米国,オーストラリアが肉骨粉を法律で禁止して以降,2000年までの間,農林水産省が何ら対策を取らなかったことも,意思決定の先送りを繰り返していた証左といえよう.
 政策のサーベイランス機能を中心的に担うのは政治である.農林水産省の政策決定にあたり,最も大きな影響を与えているのは国会議員,とりわけ農林関係議員であるのは故なしとしないが,全国の農村を地盤に選出された多くの議員が強力な圧力団体を形成し,衰退する農業を補助金などを通じて支え,生産者優先の政策を求めてきた.そのような政と官の関係が政策決定の不透明性を助長してきたものと考えられる.
 農林水産省は産業振興官庁として抜きがたい生産者偏重の体質を関係議員と共有してきた.ただし,BSE問題を契機として,大臣をはじめ農林水産省内,そして一部の国会議員に改革を目指す動きが出てきたことは評価に値する.政策判断の軸足を生産者からできるだけ消費者に移す考え方である.
 
4 農林水産省と厚生労働省の連携不足
   中央官庁における縦割り行政と付随する縄張り争いの結果,“内政不干渉”が慣例になり,チェック機能はほとんど働いていない.96年のWHO肉骨粉禁止勧告や,2001年のEUステータス評価の際,農林水産省は厚生労働省との十分な協議を行わず,厚生労働省は明確に意見をいわなかった.官庁同士の連携を図るには,「協議する」「協議を受けた場合には意見を述べる」と明確に位置付けなければ有効に機能するはずがない.
 問題の根源は生産段階における振興と規制の権限が農林水産省に集中しているにもかかわらず,有効なチェックシステムを構築していなかったこと.
 
5 専門家の意見を適切に反映しない行政
   国民の生命に関わる食品安全問題は,科学的な知見に基づく迅速な判断が求められる.健康に対するリスク評価については,専門家の意見が尊重されなければならない.96年の肉骨粉問題では,農林水産省の方針を受けて先送りした.
 関係する学会も政府に提言する意識と行動力が不足していた.
 基本的な問題点は,リスク分析の考え方の欠落.リスクを科学的に評価するリスクアセスメント,リスクとベネフィットや社会的な影響等を比較考量しながら管理するリスクマネジメントが連携しなければ,食品の安全性確保はおぼつかない.行政と科学の間のリスクコミュニケーションも欠落していた.
 
6 情報公開の不徹底と消費者の理解不足
   マスコミの報道については,センセーショナルで集中豪雨的という批判がある.興味本位で不正確な一部メディアが存在するのは事実で,BSE問題でも誤解を招く報道があった.正確で科学的で分かりやすい解説記事の充実が今後の課題.
 行政の正確な情報開示と透明性の確保も不十分だった.BSE発生の際に感染牛の処理情報を誤って伝えたほか,過去の経緯や政策内容についても説明不足.情報提供技術の問題もある.
 消費者の受け止め方にもやや過剰な反応があった.しかし,安全と安心の間には大きな落差があり,消費の低迷は行政不信に表示不信が重なった結果でもある.徹底した情報開示による透明性確保以外に信頼回復の方法はない.
 
7 法律と制度の問題点および改革の必要性
   食の安全を確保する法律(食品衛生法など)は,罰則はおおむね軽い.また,食品表示と関連するJAS法や景表法も,罰則は軽く犯罪を抑止する効果はなく,違反続発の誘因になったとの指摘もある.
 消費者の保護を基本とした包括的な食品の安全を確保するための法律も欠けている.国民の健康を最優先する行改組織も整備されていない.リスク分析を導入するにも,科学的なリスク評価を担う組織が見当たらない.消費者保護に責任を持てる組織も,情報公開や組織間のリスクコミュニケーションを進める組織も欠落.時代の変化に対応できる制度改革が緊急の課題である.