5 英国以外のEU諸国でのBSE発生の急増以降,特に2001年わが国におけるBSE発生時の対応(2000年〜)
 
(1) BSEサーベイランスによる患畜の発見までの両省の対応の評価
  ・農林水産省と厚生労働省のサーベイランス体制
   農林水産省は,2001年4月からアクティブ・サーベイランスを開始.これは,迅速BSE検査と陽性サンプルについての確認検査と都道府県の家畜保健衛生所における病理検査によるもの.内容的にはEUステータス評価案で勧告されていたものと同じ.ただし,これはOIEの基準に従って,年間300頭の牛について検査を行い,わが国が清浄であることを国内外に明らかにし,いたずらに風評被害を生じないようにすることであった.なお,このサーベイランスによりわが国初のBSE感染牛を発見.
 厚生労働省は,2000年後半におけるヨーロッパでのBSE発生国の拡大等から,BSE発生の可能性は否定できないと考え,2001年5月,BSEの発生または非発生状況を確実に把握するため,と畜場の牛と羊を対象としたアクティブ・サーベイランスを開始.これはウエスタン・ブロット法によるもの.
 しかし,千葉県のBSEの発生において,サーベイランスが行われていたにもかかわらずと畜場で敗血症と診断された牛についてBSEが疑われなかったのは,厚生労働省のサーベイランスでは起立不能は「運動障害等の神経症状が疑われるもの」とみなされなかったため.一方,農林水産省は起立不能を神経症状を示す牛として幅広に解釈してよいとの通知を出していた.両省の間でサーベイランス基準に相違のある点は認識されていなかった.
  ・1万頭の牛についてのBSE検査の計画立案
   厚生労働省は,年間に神経症状を示す牛約1万頭を対象としたサーベイランス実施経費を概算要求.また,ヨーロッパにおけるBSE発生状況を考慮して,健康牛についてもBSEサーベイランス事業実施のため,厚生科学研究費の要求作業.これらが公表されたのは千葉県でのBSE牛発見の直前.
  ・BSE発生を予測した危機管理マニュアル
   農林水産省は96年4月に政令の施行通知により,また2001年4月にサーベイランス要領を作成し,BSEまたはその疑いのある牛を発見した際の連絡体制および当該牛の処分の方法につき都道府県に通知.しかし,緊急対応マニュアルは作成していなかった.
 厚生省は96年4月にBSEまたはその疑いのある牛を発見した際の連絡体制および当該牛の処分の方法につき,都道府県等に通知.しかし,現場でのBSEに対する具体的な緊急対応マニュアルは作成していなかった.
 両省のサーベイランス要領の中には,緊急事態に対する相互の連携措置の記述がなかったため,8〜9月段階での大きな混乱を招いた.
  ・2001年6月11日〜14日のWHO/FAO/OIE専門家会議報告への対応
   報告書の肉骨粉の使用禁止についての勧告はきわめて厳しい表現であったが,[1]2001年1月から顕微鏡を用いた検査,[2]同年3月から省令改正に向けた作業の開始等を実施しており,すでに対応済みと判断.国際的に危機感の高まりがうかがえるが,国民への情報提供はなされなかった.
 
(2) 2001年8月6日,後にBSE第1号となった牛がと畜場に搬入されて,その「確定診断」が英国のレファレンス研究所で出される9月21日まで,46日の日時を要したことの農林水産省の評価
   8月6日にと畜場から送られてきた脳のサンプルについて,動物衛生研究所での試験まで9日間,家畜保健衛生所での試験まで2週間以上の間隔.このサンプルについてBSEの可能性は想定していなかったものと考えられる.
 厚生労働省に連絡が行われたのは9月10日で,それまで情報はまったく提供されず.
 緊急事態における連絡体制はまったく作られていなかったが,これもBSE発生時の緊急マニュアルが欠けていたため.
 
(3) 2001年9月10日にBSEを疑う牛の確認について公表した際,質疑応答で当該牛は焼却処分されたはずと回答したが,14日になってレンダリングに回っていた旨の訂正を公表し,対応に混乱がみられたことについての評価
   8月6日,千葉県のと畜場で乳牛が敗血症として診断されて全廃棄処分にされ,家畜保健衛生所に頭部だけが提供され,残りはレンダリング処理.両省の間で異なる基準によるサーベイランスが実施されていたが,その相違がもたらす事態についての認識は両省ともに持っていなかった.
 
(4) 2001年9月10日に動物衛生研究所において確定診断がなされたにもかかわらず疑似患畜として,英国のレファレンス研究所に検体を送付し,「確定診断」を求めたことについての農林水産省の評価
   わが国での初めての事例であり,諸外国でも初発例については国際機関のレファレンス研究所で確認を行うことが通例であることから,英国に検査データ等を送付し,確認を依頼.確認がなされるまでは行政判断として疑似患畜とされた.
 この対応の結果,2頭目からの検査も英国に送るのか,日本の検査技術のレベルは大丈夫かという心配の声が国民の中で聞かれた.
 
(5) BSE患畜発生後に行った農場段階の「目視調査」,およびその結果の公表についての農林水産省の評価
  ・緊急全戸調査
   BSEに関する牛の緊急全戸全頭調査の結果,臨床的にBSEの疑いのある牛は見いだされなかった.当時まだ対策マニュアルは作成されていなかったため,急遽,立案されたものとみなせる.
  ・飼料製造工場への緊急立ち入り検査
   交差汚染防止のためのガイドラインの遵守状況を帳簿等による原料使用状況,製造工程の実地調査等および顕微鏡検査により確認.顕微鏡による検査は英国等を除き現在も各国で採用されている方法であるが微量な混入については検出感度に限界.
 
(6) わが国におけるBSE発生後に取られた一連の措置に関する評価
  ・農場段階での監視体制(農林水産省)
   農林水産省では,10月17日の技術検討会および防疫委員会合同会議を経て,サーベイランス対象の定義および患畜が摘発された場合における疑似患畜を定義.患畜が見いだされた場合の省庁間の連携を含む対応は,その折,初めて検討.
  ・全頭検査体制の確立(厚生労働省)
   10月18日,いわゆる全頭検査が農林水産省との緊密な連携のもとに開始され,国際的にもっとも厳しい安全対策が実施されることになり,と畜場から出る牛由来産物はすべて安全なもののみになったとみなせる.BSE発生のニュースを受けてから1カ月あまりという,きわめて短期間で全国的な検査体制が作られたことは高く評価できる.
  ・研修中に起きた東京都での疑陽性騒ぎについて
   エライザ法では一定の確率で疑陽性が出ること,この時点ではEU並の安全対策になっていることの情報提供が十分なされていなかったことが混乱を招いた理由と考えられる.また,疑陽性となった際の対応について,あらかじめ何らかの措置がとられているべきであった.
  ・死亡牛の検査
   BSE汚染の実態の把握等のために,死亡牛についての全頭検査の実施が必要と考えられる.しかし,農家への補償を十分考慮するとともに,検査システムのあり方を十分検討した上で早急に実施するべきである.
  ・医薬品・医療用具,食品などへの対策(厚生労働省)
   厚生労働省は医薬品等について,10月2日に日本および発生リスク不明国を原産国とする牛等由来原料の原則禁止という国際的に最も厳しい措置を行うなどの措置を講じた.
 これらは予防原則にしたがった妥当な措置とみなせる.
 
6 厚生労働省と農林水産省の連携について
(1) BSEの発生前における厚生労働省と農林水産省の連携に関する評価
   97年に食品行政について両省の緊密な連携確保が行政改革会議において指摘されていたが,縦割りのままで,両者間の連絡会議も形式的なもの.両省の危機意識に差が感じられるが,このことについて意見交換はまったく行われなかった.
(2) BSEの発生後における厚生労働省と農林水産省の連携に関する評価
   BSE発生後,初めて両省間に緊密な連携.サーベイランスの方式では,農林水産省の技術検討会と厚生労働省の研究班の合同会議で,エライザ法に統一.
 10月18日からの全国検査体制も両省の緊密な連携のもとに行われたものとみなせる.また,この際に両省の協議でBSE検査対応マニュアルが作成された.
 
7 わが国におけるプリオン病研究の蓄積と今回のBSE対策への貢献
   今回の全頭検査体制の確立に貢献したのは,帯広畜産大学品川森一教授によるスクレイピーに関する研究の蓄積.スクレイピー研究が可能になったのは,カナダから輸入された羊の子孫でスクレイピーが発生したことで研究を開始という思いがけない幸運のたまもの.
 農林水産省でもカナダからのスクレイピー感染羊が発見されたことで,スクレイピーの研究が家畜衛生試験場で開始.当時,家畜衛生試験場に在籍していた小野寺節教授は科学技術振興調整費によりスクレイピーの研究を開始し,その研究蓄積が現在の農林水産省のBSE対策に貢献.