動物に術後痛はあるか? 
     
  それでは今度は少し観点を変えて,手術の後にみられる術後痛の問題に絞って考えてみたいと思います.小動物の術後痛についての認識は近年急速に高まりつつあるようですが,日本ではまだ比較的新しく,あまり重要に考えない向きも少なくないかもしれません.それだけに術後痛の重要性は,今日の座談会の中でも特に重要な部分だと思います.
マシューズ: 術後の疼痛管理は,人の医療でも比較的最近重要視されるようになった分野で,私どもも数年前から研究し注目しているのですが,これは何も日本だけではなく,北米でも結構新しい考え方です.
  たとえばカナダで5年くらい前に行われた,「どのくらい頻繁に鎮痛剤を打つか?」という調査によりますと,頻繁に鎮痛剤を投与している獣医師は,大学卒業後10年以下で,しかも女性で,痛みの発見役にもなるテクニシャンをもっている方が多いという結果 でした.
竹内: 面白い話ですね.日本では女性獣医師は多くてもテクニシャンを持ってない病院がまだ沢山ありますので,よい鎮痛剤が新しく開発されてもあまり売れないかもしれませんね.(笑)
西村: 卒業後10年以上で男性の獣医師ばかりというのは最悪のシチュエーションですね(笑).
マシューズ:

さて術後の疼痛は,たとえば小さな腫瘍の切除と骨折の手術とでは違います.鎮痛剤の使い方にしても,術前,術中,術後に,どう使うのかをしっかりと認識しておく必要があります.
  ここで手術に際しての痛みの発生機序をちょっと考えてみましょうか.手術による侵害刺激が脊髄に入って,感覚として大脳で感じられるのですが,この間まず侵害受容器興奮があって,次に伝達,そして修飾が脊髄の中で起こり,最終的に脳の中で認識,つまり知覚感覚が起こるのです.この感覚を抑制するために「麻酔」を使うわけです.
 そこで吸入麻酔の場合を考えてみましょう.イソフルラン,ハロタン,セボフルランのいずれを使っても,認識を阻害,阻止することはできるのですが,伝達を阻止することはできません.ですから,手術による侵害刺激は,術中に脊髄に記憶されてしまうのです.ですから術後に痛みといったものを感じるのです.


竹内 啓氏
1932年生まれ、1955年東京大学農学部獣医学科卒業し、大学院博士課程修了後、同大学家畜外科学教室助手、同教室助教授を経て、同教室教授を勤めた後、山口大学・岩手大学教授を歴任し、1998年日本大学生物資源科学部総合臨終学教室教授に就任し、現在に至る。

術後痛の軽減には麻酔前投薬も重要   
  そこで伝達を何らかの方法で阻止しなければなりません.その一つの方法が麻酔前投薬ですが,オピオイドの前投薬では修飾は阻止できても伝達を阻止できません.しかし局所麻酔を使えば,伝達を阻止することができます.ですから硬膜外にモルヒネを投与すると,修飾も伝達も阻止できて具合がよいのですが,硬膜外の投与がなかなか難しいため,カナダの開業医ではあまり使われておりません.現実には多くの先生方が,ブトルファノール,モルヒネ,オキシモルホンなどを麻酔前投薬として使っております. また,オピオイドを術中に使いますと,吸入麻酔の量や血圧の下降を抑え,痛みを伴う手術では,脊髄で起こる修飾も阻止することが期待できます.
竹内: 前投薬として,アルファ2作動薬等についてはどのようにお考えでしょうか?
マシューズ: 私どもの大学ではアルファ2作動薬は使っていません.キシラジンは血圧を下降させる可能性があり,若い動物での死亡率が結構高いといわれています.
竹内: 日本では恐らく臨床家の多くが,麻酔前投薬としてキシラジン,最近ではメデトミジンを使っていると思うのですが,どなたかコメントはありませんか?
大橋: よく使いますが,両方ともそれほど危険性を持っているとは思っていないのです.もちろん,心臓の悪い症例,あるいは肺高血圧状態,フィラリア症などには使わないようにしていますが.
マシューズ: そうですね.メデトミジンの方がキシラジンよりも安全性が高いといわれています.カナダではまだ市販されていないのですが,アメリカでもかなり広く使われています.適正に使えば,安全であると思います.アルファ2作動薬のいい点は,拮抗薬がある点と修飾を抑制するという点で,術後の疼痛も抑えてくれるはずです.
西村: 僕自身は基本的にアルファ2を麻酔前投薬としては使わずに,アセプロマジンとブトルファノールとか,アセプロマジンとモルヒネとか,ミダゾラムとモルヒネとか,あるいはモルヒネ単独などを,動物の状態に合わせて使い分けています.ただすごく攻撃的な大きな犬では,メデトミジンを使うことがあります.メデトミジンは鎮静薬としてはすごくよい薬ですが,麻酔の一部として使った時には,やはりトラブルが多いような気がするのです.
マシューズ: ケタミンは使ってらっしゃいますか?
西村: 猫には使いますが,犬ではあまり使っていません.
竹内: ケタミンの鎮痛作用はどう思われますか?
マシューズ: 私どもは,老齢の動物にケタミンとジアゼパムを併用しています.ケタミンにはよい鎮痛効果 もあります.特に体性痛には.ケタミンは(興奮性の神経伝達物質の一つである)NMDAの拮抗薬としても働きます.私どもは痛がっていてどうも手が付けられない外傷例を処置するためや骨格系の痛みを持っている場合によく使いますね.なお,ケタミンを使う場合には必ずベンゾジアゼピン系の薬剤を併用するようにしております.
山下: 僕らの病院では,ルーチンにメデトミジン5μg/ kgを投与した後にケタミンを使っています.場合によってはブトルファノールを加えて嘔吐を止めています.ちょっとリスクの高いものでは,ミダゾラムとブトルファノールにケタミンというパターンでやっています.ただし頭部と眼科の手術では,ケタミンを使わずにチオペンタールで麻酔導入しています.ケタミンでは脳圧や眼内圧が上がるといわれているからです.
武部: 僕は1人で診療していますから,麻酔として汎用しているのはメデトミジンプラスケタミンで,素晴らしい組合せの薬だと思っております.
竹内: 術後痛の予防と軽減という観点から,麻酔前投薬として非ステロイド性鎮痛消炎剤(NSAIDs)の中の鎮痛作用の強いもの,たとえば近年欧米で広く使われているケトプロフェンとかカルプロフェンを使うことについてはどういうふうにお考えですか?
マシューズ: 術後痛を抑えるためには,私どもは術前にオピオイドを投与しますが,術後にはNSAIDsを使うようにしております.たとえば,十字靭帯の手術ですと,術前にオピオイドを前投薬として使い,手術後麻酔が醒めてきた時点でケトプロフェンを投与します.カナダではカルプロフェンはまだ承認されていないのです.

直井 昌之氏
1958年生まれ、1983年東京農工大学農学部修士課程を終了後、1985年から1989年まで米国ミズーリー大学獣医医学部に留学、1988年から直井動物病院(浦和市)院長。