功と罪の検討比較は罪を先に述べた方が説得力があると思われるので,公表された罪と筆者の私見による罪を述べてみる(当然,読者には異論もあろう). 公に認められた失政は1947年のNEWSWEEK誌に取り上げられた「公職追放」いわゆるパージであり,追放政策そのものは連合国の合意によるものであったが,実施はGHQに任された結果,マッカーサーから権限を委譲されたホイットニー準将とその取り巻きによる私情によって追放の対象となったものもあり,1948年5月までに20万1,815名が公職から追放された.各分野での経験豊かな人材を一挙に追放したため,行政の実施は経験の浅い主任や係長レベルの人たちによって行なわれ,実施内容の細部にいたるまでGHQの原案を日本語に訳し「次官通達」とか「省令」とかの名目で中央官庁より地方に送られた.そしてその実施を確認したり強制したりする業務を行なう「軍政部」(MILITARY GOVERNMENT)が各県に配置され「日本占領軍政関連業務の専門職要員募集」に米国内で応募した米国人が法務,教育,経済,保健衛生,労務などの各部門に就いたが自信あるプロ達であった. 「公職追放は『やり過ぎ』であり日本の復興を遅らせた」というのが失政として批判を浴びた(追放された陸軍獣医は生活に窮した). 私見による罪業は憲法の一字一句まで米国政府とGHQによって作成し,それを押しつけることによって日本人の自主性を骨抜きにしてしまったことで,日本人の心を「去勢」した. さらに表面的な政治体制だけを真似させ,民主主義が機能するために最も重要な大前堤である一市民としての自覚,すなわち個人主義(自分の自由を確保するために他人の自由も尊重し,自分の権利を主張する代償に社会人としての責任と義務が伴なう,という考え方)を植えつけないままに占領行政早期終了. 戦争裁判の名目で勝者による報復断罪をした実態を国際正義を行なったように見せかけ,日本国民のすべてに加害者被告人としての罪悪感を植えつけ日本民族の誇りを奪ったこと. 朝鮮戦争が占領軍の大挙転出を余儀なくした時,平和憲法を曲解することを強要し日本に再軍備をさせ,国民に政治不信の根を下して未完成の占領行政を早目に切り上げたこと. |