功罪の収支は読者の判断にお任せして功績に移ろう.
  国家的には農地解放であり,少数の大地主の農地を借り受けて農業に従事していた小作人は自作農家になり,「百姓」が死語になり農村の貧富の格差が激減した.
  次に婦人の地位向上.自力で獲得した米国と違い,GHQの権力で実現したとはいえ,男性に従属する立場から同等の立場に近くなった.
  財閥解体から産業構造の再編成が始まり,労使の間に搾取と被搾取の関係が解消した.そして最も飛躍的に改善された功績をGHQに帰さなければならないのは保健と衛生である.世界一長寿国はGHQが作った.
  頭髪の中から襟口,ズボンの内側まで米兵によってDDTを噴霧された全国民は敗戦の惨めさを実感したが,シラミやノミによる伝染病が消滅した.蛍も見ない代り蚊も激減した.ペニシリンの国内製造を他産業より早く許可し,次いでストレプトマイシンの製造も許可して感染症の多くを過去のものとした.GHQのサムス準将は衛生局長として保健所の設置を指示,その中に獣医職を置き,食品衛生と狂犬病予防業務を内務省の警察から移管.
  食品関連施設の衛生を徹底的に改善し,各県の軍政部要員に営業停止権を行使させて違反者を取り締まった.医療体制の改革も着手.公職追放で職を失った陸軍獣医将校を救済する目的で「狂犬病予防注射業務を行政から民間に移管」させ,一石二鳥で,大発生した狂犬病は数年内に終息し,復員軍人の獣医の多くが小動物開業への途を選んだ.
  そして意気上らぬ獣医業の活性を図り第1回全国獣医師大会を中之島公会堂で強行.ほぼ同じ頃,家畜保健衛生所を設立した.

あ と が き

  軍政部側の仕事に私が就いたのが1949年春の千葉軍政部で,1951年6月に占領行政が終了する最後の日までの地方民事部公衆衛生業務は東海北陸6県を担当していた.虎の威を借る狐どもが目についたGHQ軍政部(のちに民事部)の通訳たちの中で私のささやかな誇りは,敗戦国民に押しつけてもムリだと信じたことは上司のドクター・ステンゲルと徹底的に議論し,何度かGHQ命令を東海北陸地区だけでも保留させた反骨精神にあった.開放式構造の名古屋屠場には網戸の設置を免除してもらった.
  第1回全国獣医師大会の資料は大阪の高橋正憲先生と府獣医師会のご厚意により,いただいた.
誌上を借りて謝辞を申し上げたい.