10月11日 GHQは五大改革を日本政府に指令.憲法改正を主軸に婦人参政権,農地解放,財閥解体,教育改革,労働条件改善などの即実行を迫った.(★)
  1944年,すなわち敗戦1年前に,コロンビヤ大学教授ベネディクト女史は「菊と刀」という日本人心理分析の本を出版.米国政府が「日本統治は日本人による傀儡政権を通じて行なう間接統治とする」方針を決定する上で「菊と刀」の内容を参考にした.天皇を戦犯とせず日本統治に利用する方針も,この本の記述を元国務長官アチソンが来日して確認し,トルーマン大統領に「天皇は戦犯だと思うが,占領行政を円滑に行なうためには象徴天皇制を憲法に明記して利用する方が良い」と書き送っている.ソ連や濠州などの強硬な天皇断罪案を斥けたマッカーサーの背後には日本人心理を研究しつくした米国政府の日本占領政策があった.(**)
註:(★)1988年講談社発行「昭和二万日の全記録」より抜き書き.
(★★)NEWSWEEK誌1989年発行「日本人が知らなかった昭和史」より抜き書き.
(*)筆者の日記より判読できたもののみ,原文のまま.
(**)筆者註.

占領行政の進展とその功罪

  狂い死にする日本人をサイパンと沖縄で知っていた占領軍は1件のゲリラ報告もなく,羊の群のごとく従順な日本人に安堵した.一方,「極悪非道の米兵は日本軍の上級将校を銃殺し,男性の多くを去勢して重労働に使うかも知れない」という敗戦直前の軍の報道を信じた多くの日本人は進駐占領軍が鬼畜でないことを知り安心する.この極端な対比が占領行政の功績の部分に速度と拡がりと奥行きを増大させた.従順な敗北者にGHQは警戒を緩め,「ララ物資」などを含む食糧の緊急輸入を米政府を説得して実規し飢餓国民を救った.それと同時に矢継早に国家改造の政策実施に着手した.その第一は治安維持法の廃止.次に政治犯の釈放,教育制度の管理,財閥解体の準備,憲法改正指示.軍国主義者と超国家主義者の追放.GHQ覚書という形で1945年10月中に日本政府に示されたが,MEMORANDUMは実質的には命令書であり,「覚書」という日本語訳は「敗戦」を「終戦」と読み変えることを許した日本人深層心理研究結果の恩情処置に思えた.
  その10月に理化学研究所仁科研究室および阪大と京大研究グループのサイクロトロンを破壊した.これは原子爆弾製造につながると見なしたからであったが,直接的には原爆開発には程遠いものであった.その一方で,日本版ペニシリンの碧素研究グループを優遇した.