敗戦,壊滅した日本の物的心的構造

  8月15日 大詔親讀放送.本日未明B29の爆音を遠くに聞き愈々爆死憤死の覚悟をした正午「動員学生は陸獣校より直ちに帰校」の命令内容で放送は敗戦宣言と知る.(*)
  8月18日 内務省より各地方長官に「外国駐屯軍専用慰安婦施設」の設置指令が出る.(★)
  8月19日 校長訓示.授業再開は未定.自宅待機とのこと.(*)
  8月21日 盛岡を発ち8月26日佐賀着.家族の生死すら不明の長崎の級友も狭い部屋で2泊し1人で出発.(*)
  8月30日 マッカーサー元帥,厚木に着陸.(★)
  9月2日 無条件降伏文書調印.(★)
  9月6日 米政府はマッカーサーに「連合軍総司令官は天皇及び日本政府の国家統治の権限を有し,日本国統治に関し日本側からのいかなる異論も受けつけてはならない」と指示.(★★)
  9月8日 マッカーサーは横浜のホテル,ニューグランドより米国大使館に移る.(★)
  9月12日 東京日比谷の第一生命相互ビルを連合軍総司令部(**GENERAL HEAD QUARTERS,通称GHQ)と決定,業務開始.(★)
  9月13日 GHQより「大本営」閉鎖命令.(★)
  9月19日 GHQよりプレスコード(報道規制)発令.放送,新聞,演劇,映画,手紙の検閲及び電話盗聴も始まる.(★)
  9月25日 中部太平洋メレヨン島より敗戦将兵1,628人が復員,第一船高砂丸で別府港に入港(**これが公式報道の第1報).この後6年間にわたり在外残留日本人の660万人が狭い国土と食糧難と住宅のほとんどがバラックの廃墟に帰国した.当時の国民1人当りの居住空間は0.9帖.「1年以内に1千万人以上が餓死する」という報道をGHQは規制しなかった.痩せた野良犬がパンの塊をまたいで通るマンガの掲載も禁じなかった.(★)
  占領第1年目初期は予測された抗戦派日本兵のゲリラの鎮圧と敗戦国民による暴動の抑止が目的であり,寒村に到るまでジープで巡回できるように各都市町村に進駐した20万近くの米英軍の将兵の関心は自分を守ることであり,闇の中の物音に発砲した殺人もあれば,無抵抗と知った日本人への暴力や強姦は神奈川県だけでも9月中に2千件以上が発生したが,占領軍批判の報道は厳しく規制され,白紙紙面の新聞も配布された.(**)