成立と内容概要ならびに考察
本書と同名の古文書についてはすでに白井の『日本獣医学史』[1],島田の「江戸期における牛病治療の資料的研究」[2]に記されている.しかし,いずれも『牛経』が原点に当たることについては直接言及していない.なお,『牛経』は『元亨療牛集』として『元亨療馬集』に付加されている[3].
白井のテキストは発行が本書と同年月ではあっても著者名はなく版元も丁字屋九郎右衛門である.島田のテキストは本文では“写 本「牛療治調法記」”とし“和装本で筆者名および年を欠き”とあるが,付表には著者名なしの天明元年(1781),版元因幡屋新右エ門と記載されている.なお,島田はその付表に『牛科重宝記』をあげており,著者不明,宝暦六年(1756),丁字屋九郎右エ門出版として別書のように扱っているが,版元は異なるが基本的には本書と同質のもので,発行からみると白井テキストの別名写本ではないかと推測される.
内容の解説は,部分的でわずか20行たらずであるが白井は的確に抄録表現している.一方,島田の紹介をみると“病名の記載は,病状を○○○病とせず○○○腰病(腰やまい)という表現で……”とあり本書の表現とは異なっている.また,内容の特色として“病類別
の視野からみると,外観的(外科的)に異常のある疾患と内臓的(内科的)に異常のある疾患とに分類して,前者については針治療法を主体に解説し,後者については牛体を五臓(肺・心・肝・脾・腎)に分類して……”とあるが,本書には○○病の表現はなく,針治療についても穴名以外は詳しくない.後者の部分は薬治療法が主であるとあるので,本書と同じとも考えられる.あるいは,名称だけ同じで内容は本書および他の牛病に関する知識によって独自に記録された別本ではないかと思われる.このことについて島田は次のように考察している“わが国の江戸期牛病治療の技法の学術的根拠となる原典は,中国獣医書の将来とその和刻書による普及と,―中略―,技術的経験と学説の増幅により,日本式牛病治療書が出版され,これらの版本をもとに写本形式で種々の治療書が作成され普及したものと考えられ,―後略―”.これは獣医書全体にいえることであって,白井もその大著のなかで“…我国の醫術は間接に支那の教へを受けたと考へることが出来る.獣医術も亦その軌を一にする.”と記している[4]し,本著者も同じように考えている[5].
内容は,表紙を開いて目次の概略四行と書名および著者,版元名.次いで第一丁,序から始まり,耕夫職婦の讃,牛経網目(目次略),辨牛相法,相耕牛法まで略目次を除き,古中国獣医書『牛経』の「論牛保耕牛,係養民之道第一」,木版耕夫職婦讃第六,辨牛将来有黄並相牛法第四,相耕田牛第五,の抄訳であり,本文にも図はない.以下の項目も順序は同じではないが,ほとんど『牛経』の項目に準じて,図版付きで訳されている.図版は原点そのままではなく,和式化し翻刻されている(図3).
図3
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