日本では,危険性の査定に関しては,危害の特定と危害特性解明の段階にとどまっている場合が多く,人口の部分集団に対する暴露査定などは不十分である.したがって,それらを総括する危険性の特性解明についてはまったくというほど行われていない.大腸菌O157についてみると,種々の食中毒菌と比べた危害の確率や重篤度,年齢や健康状態による感受性の差,原因施設や衛生管理状態による発生頻度の差,流通過程を含めた菌の増殖程度などの定量的査定がなされてきただろうか?「危害=危険性」という図式をもって闇雲に恐怖心を植え付けて伝染病菌に仕立て上げただけであり,危険性の管理に結び付く科学的査定がなされたとは思えない[15,
16]. 危険性解析の目的は健康への影響を減らすことにあるが,日本では管理についての議論がほとんどなされない.「食品の危険性管理における一般原則; 危険性管理と危険性査定の機能的独立性を維持することにより,危険性管理は危険性査定の過程における科学的公正(Scien-tific integrity)を確保しなくてはならない」[3]とされている理由は,査定と管理が同一集団によって行われると,科学性や客観性が損なわれるからであり,外部会計監査と同じ考え方である.日本では,いったん決められた行政措置について監視に基づく再吟味がきわめて不十分なのは,厚生省の諮問委員会のみで検討され,機能的独立性をもつ学会等での議論が不十分なためである. 危険性の情報交換は,査定に当たる集団,管理に当たる集団,作業を行う集団,消費者ならびに関連団体の間で双方行性に行うとされ,管理を有効に行うための重要な鍵である.卵のサルモネラ問題で「月見そば・うどんが消えた」のが日本であり,米国では冷蔵輸送・保管を義務づける法令[10]を公布するとともに徹底した衛生教育を展開し(Fight BAC! Education Program),政府機関である鶏卵協会(AEB)が「卵がなくっちゃ,朝飯は始まらない(If It Ain't Eggs, It Ain't Breakfast!)」というテレビキャンペーンを行った.日本では報道機関の危機をあおる姿勢にも多大な責任があるが,正確な危険性査定を実施し,危険性管理についての十分な情報交換をすることがパニックの防止に必須となっている. |
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