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意見(構成獣医師の声)


 質問4 「兄弟で病気の犬がいるが,子供産ませて大丈夫か?」
 この質問に関する答えは本当に難しい.100%大丈夫という回答はできない.しかし,動物病院内で質問されるケースのほとんどにおいて,飼い主は,獣医師に対して0か100か?を求めてくる.「この病気は治るのか治らないのですか?」という質問で,獣医師が「90%は何とかなると思います.」と答えたとする.その場合に,大多数の飼い主が自分の犬は90%に入るので大丈夫と信じています.そして,100%の回復をすると信じている.「大丈夫かな?」といった質問は,病院あてにかかってくる電話でもよく聞かれる.同様の意味がある言葉としては,「△△ですけど,このまま様子を見ても大丈夫ですか?」である.
 これらの質問の裏側には,心配でしょうがない飼い主さんの気持ちがある.獣医師から一言「大丈夫」という言葉を聞きたいという意図を持っての質問であろう.そして,心配で躊躇しているのを後押ししてもらいたい気持ちがあると思われる.
 では,このような質問に答える際には,どのような獣医学的な知識を元に考えていけば良いだろうか.まず,質問にある○○という部分が,遺伝性疾患,遺伝子の関与した疾患である可能性は無いかどうかを考察しなければならない.しかし,その可能性は無くともいまだ遺伝形式が未知の疾患である可能性は否定できません.はっきりと確信を持って回答することはできない.ここで重要になるのは,飼い主は心配だから獣医師に質問してきているということである.交配(ブリーディング)の基本は,犬種スタンダードの維持もそうだが,健康な個体同士であることが理想である.そして正常な出産が可能であることである.死産や,奇形を引き起こす可能性は除外しないといけない.〔質問3〕でも述べたが,毛色の遺伝子の中には死産を引き起こす可能性の高い遺伝子もある.口蓋裂を通常より高い頻度で引き起こす家系もある.生まれながらにハンディーを背負ってしまう交配をすすめてるようなことがあってはならない.伴侶動物の交配では,人為的な交配となる.そして,産まれてくる子供の遺伝子はある程度推察はできる.めったに見ることができないような個体をわざわざ作り出すことに繁殖の意義を見出してはいけない.めったに見ることができない病気をわざわざ交配で作り出すことには,研究的な意味合い以外には何もない.産まれてきた命に対して申し訳ないことをしてはいけないと思う.
 無計画な交配を行うことで,遺伝性疾患のリスクが広がってきたというのが日本の現状である.裏を返せば計画的な交配を行うことで遺伝性疾患のコントロールは十分可能であるとも言えなくもない.ただ,極端な繁殖制限は,遺伝子プールを狭くしてしまう.繁殖制限は,特定の遺伝子の排除にはいいのだが,遺伝性疾患は無数にあるので,新たな遺伝性疾患の発生頻度を増加させる可能性がある.伴侶動物,産業動物,経済動物の繁殖に対しては,人為的に遺伝子をコントロールできることがメリットでもありデメリットでもある.そのコントロールに対して相談を受けるのが我々臨床獣医師である.しかし,情報が不足しており,飼い主さんへの返答に困ることもしばしばである.私の場合には,既に分かっていることをなるべく伝えるようにして,自分個人の意見として最善のアドバイスをしています.それは時に,曖昧な回答となるかもしれない.遺伝性疾患のリスクが,0か100を尋ねられて,非常に困るのが遺伝性疾患への相談である.

 以上,4つばかりの日頃よく受ける質問を例に書かせていただいた.本当に分からないことばかりの分野が遺伝性疾患,先天性疾患である.
 医学における遺伝学の重要性はいまさら言うまでもないだろう.人医学の分野のみならず,動物の分野でも,疾患と遺伝子の関係が年々加速度を増して解明されている.この流れでいくと程なくして,我々小動物臨床の世界もこの流れに飲み込まれてしまうことも,容易に想像がつく.現段階では,本当に臨床現場で使える知識としてまとめあげられているものは国内にはほとんどないと言える.そのような状況の中で,遺伝性疾患に対して我々のような臨床獣医師は,どのように情報収集をしていけばいいのだろうか?
 私は,小動物診療施設を開設し日々診療を行っているが,そのかたわら遺伝性疾患に対して自分にできることから取り組み始めた.本格的に興味を持ち出して5年以上が経過している.最初に乗り出したのが毛色の遺伝であり,その遺伝形式の犬種毎の確立は,生涯かけても厳しいのではないかと思えるほどの情報量であり途方にくれた.その中で,人気犬種であるミニチュアダックスフンドにターゲットを絞って毛色の謎を解き明かすことにした.
 ミニチュアダックスフンドについては今や説明する必要もないくらい日本を代表する人気犬種である.〔質問3〕でも述べたようにその人気と同時に,特定の色がもてはやされるようになった.繰り返しになるが,「ダップル」と呼ばれる毛色である.ダップル同士の交配で産まれた障害を持った犬を目の前で見た時には,本当に驚き,言葉にならなかった.その犬は,眼は見えておらず,耳も聞こえない,そして眼球も小さかった.遺伝性疾患の治療はほとんど不可能であるのが現実である.我々は,ほとんどの遺伝子の決定事項に対して逆らうことはできない.遺伝性疾患の診療をすると,ものすごい敗北感に包まれる.今後,このような気持ちをなるべく味わいたくないので,交配の相談にはいつもより熱心に答えるようにしている.飼い主さんの質問に対して100%の答えを返すことは非常に困難ではあるが,ベストを尽くした回答をすることはできる.その中で,誤解を生じないためにも正しい言葉(専門用語)で話をすることが重要である.
 先天性疾患(先天異常症)なのか,単一遺伝子病なのか,多因子遺伝病なのか,それとも犬種特異性なのか? これらの単語は,使い分ける必要がある.難しいことですが,きちんと使い分けて説明すれば,私の数少ない経験からも誤解は生じにくいように思われる.では,どのように使い分けているのかということを最後に触れさせていただく.
 先天性疾患(先天異常症)とは,原因が出生する以前にある疾患の総称で,単一遺伝子病,染色体異常症,多因子遺伝病および環境因子による発生異常を含むものである.発生異常とは,受精から初期発生,器官形成の経過中に,外傷,薬物などといった外部からの要因により起こる奇形や機能異常を指す.栄養状態や,ストレスを含めた飼育環境も考慮に入れなければならないケースもある.
 先天奇形は,正常な形態形成が障害されたために起こるものである.先天奇形の原因を探ろうとすれば,正常発生の仕組みから考えていき,そして原因となったであろうものと,奇形の因果関係を明らかにしなければならない.その因果関係が明らかになっていない場合で,先天奇形を疑う場合には,確実ではないが先天奇形の可能性が高いことは,飼い主に話しても良いと考える.
 先天奇形に関与する因子として,成長因子やその受容体が異常な場合もある.これらに関しても,すでに遺伝子の段階からわかっているものもある.すなわち遺伝性疾患として明らかとなっているものがある.
 原因遺伝子の分かっているもので遺伝子検査が行われているものでは,積極的に遺伝子検査を用いて診断を行いそして遺伝病のコントロールをすることが重要である.現在,遺伝子検査が可能な疾患の多くが単一遺伝子病である.多因子遺伝病は,複数の遺伝子が関与していることが示唆されている疾患である.代表的なものが股関節形成不全であるが,遺伝子検査は確立していない.しかし,股関節形成不全は,多因子遺伝病であることは,ほとんどの獣医師が支持する考えであろう.股関節形成不全の両親からは,90%以上の確率で股関節形成不全を将来的に起こしてしまう子供が生まれる.しかし,股関節形成不全と診断されていない両親からでも,数%で股関節形成不全のリスクはある.股関節形成不全であると獣医師が診断することは,さほど難しくない.しかし,その診断した股関節形成不全が遺伝性疾患であることを証明するのは,家系調査を行う必要もあり困難である.ただ1頭の散発的な発生を遺伝性疾患かどうか診断するのに単一遺伝子病であるなら遺伝子に起こった変異を調べればよい.多因子遺伝病の際には,目の前の1頭のみをいくら調べても遺伝性疾患であると結論付けることは困難である.犬種特異性疾患は,特定犬種に多い疾患である.これらもおそらく多因子遺伝病であると考えているが科学的証明がなされていない以上,犬種特異性疾患と呼ばざるをえない.前述したウェストハイランドホワイトテリアのアトピー性皮膚炎もその一つだが,キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルにおける僧房弁閉鎖不全症,ポメラニアンに多いAlopecia X,バーニーズ・マウンテン・ドッグにのみ報告がある全身性組織球増殖症など数えればきりがない.犬種を作り出す際に,遺伝子が固定されてしまったことも原因となっていると考えられる.しかしそれはまだ分かっていない以上,犬種特異性疾患という言葉を使うしかない.その犬種オリジナルの外見上や性格の特徴を出すのと引き換えに,その遺伝子を持ってしまったと考えている.
 獣医師の一言で,飼い主さんは,「この子は遺伝性の疾患を持っているんです.」と,信じ込んでしまう.
 交配の相談や遺伝性疾患の相談では,ちょっとした言葉一つで理解度合いが変わり,誤解を生むこともある.少ない情報の中で,きちんと理解を求めることで,ボーダーコリーのセロイドリポフスチン症のような単一遺伝子病の現状まで把握できたモデルケースもある.言うまでもなく,多くの人がきちんとした言葉を選び,正しい情報を広げ,交配の際にも理解を求め,遺伝子検査を行って繁殖に制限をかけた.獣医師,ブリーダー,飼い主が協力することで,効率よく情報交換も可能となり,家系の追跡調査ができたことが大きかったであろう.そして,幸いにしてこの疾患の遺伝子検査が可能であった.常染色体劣性遺伝という遺伝形式をとる遺伝性疾患は,キャリア犬を交配に使わない繁殖を繰り返すと,疾患遺伝子を排除することは可能である.一方で制限された繁殖は,遺伝子プールを狭めることで新たな疾患遺伝子が蔓延することも考えられるが,目の前のこの致死性の遺伝性疾患の対処を急ぐ必要があったので,ネットワークを組み本格的に対策を講じた.今では,ボーダーコリーのセロイドリポフスチン症は,数年後には,ある程度の国内における制圧が可能であると見通しが立つところまできている.今後の遺伝性疾患への対処法としてのいいモデルケースになったと考えている.私は,国内で発生した本疾患に対して獣医師として深く関与できたことを幸いに思っている.多くの問題点,改善点,そして少しばかりの明るい見通しを見ることができた.しかし,最初に述べたように,その調査の最中で遺伝性疾患の犬を抱えた飼い主へ行ったアンケート調査では,「獣医師は遺伝性疾患に対してほとんど知らない.」という多数の回答を得た〔8〕.非常にショッキングな内容であった.その結果に対して自分には何ができるのかを考えて,自分にできることをしようと考えながら本稿を執筆してきた.これを機会に遺伝性疾患に対して多くの獣医師にもう少し興味を持ってもらえたらと考えている.
 ペットブームと言われてから長い時間が経過したわけではない.遺伝性疾患が広がった時間もそう長くないはずである.だからこそ,今から伴侶動物に対しての遺伝性疾患への対策を始めれば,まだ対処できるかもしれない.しかし,先延ばしにすればするほど現状は悪化し,伴侶動物に関しての遺伝性疾患削減の理想的な環境整備に要する時間と労力はもっともっと必要になるだろう.今から少しでも始めていけばいい方向に変われると信じている.「我々が,若かった頃には乱繁殖でけっこう遺伝病を診る機会があったなぁ…」そういう風に若い獣医師に言えるようになればいいかなと思っている.


参 考 文 献
[1] Scott, DW, Miller WH, Griffin CE : Canaine Atopic Disease, Small Animal Dermatology, 6th ed, 574-601, W. B. Saunders, Philadelphia. (2001)
[2] Hillier A & Griffin CE : The ACVD task force on canine atopic dermatitis (I) : incidence and prevalence, Vet Immunol Immunopathol 81, 147-151 (2001)
[3] DeBoer DJ & Hill PB : Serum immunoglobulin E concentrations in West Highland White Terrier puppies do not predict development of atopic dermatitis. Vet Dermatol 10, 275-281 (1999)
[4] Schwartzman RM : Immunologic studies of progeny of atopic dogs, Am J Vet Res 45, 376-378 (1984)
[5] Schwartzman RM, Massicot JG, Sogn DD et al : The atopic dog model : report of an attempt to establish a colony, Int Arch Allergy Appl Immunol; 72, 97-101 (1983)
[6] Sousa CA & Marsella R : The ACVD task force on canine atopic dermatitis (II) : genetic factors, Vet Immunol Immunopathol; 81, 153-157 (2001)
[7] 堀口隆史,熊井治孝,福岡忠治,ほか:犬猫の疾病統計に関する研究-XXXIX,1994〜2003年における犬のアトピー性皮膚炎の発生状況,第25回動物臨床医学会,皮膚科系2,171-172(2004)
[8] 今本成樹:ボーダーコリーの神経セロイドリポフスチン症:国内の発生状況および発症犬オーナーへのアンケート調査結果,第4回 日本獣医内科学アカデミー 抄録集 Vol.2
[9] 今本成樹:ダックスフンドの飼い主とうまくつきあうために:CLINIC NOTE,3(2005)
[10] 今本成樹:毛色の遺伝と潜在精巣:CLINIC NOTE,4(2005)
[11] 今本成樹:ミニチュアダックスフンドの毛色の遺伝と遺伝性疾患:獣医臨床遺伝研究会フォーラム「伴侶動物の遺伝性疾患」,15-19
[12] 今本成樹,大和 修:どうする!?遺伝性疾患,第7回 ボーダーコリーの神経セロイドリポフスチン症―遺伝性疾患に対する取り組み:獣医師,飼い主,ブリーダーおよび研究者が協力してできたこと―:CLINIC NOTE,28,38-44(2007)
[13] Messick JB. Hemotrophic mycoplasmas (hemoplasmas) : a review and new insights into pathogenic potential Vet Clin Pathol, 33, 2-13 (2004)
[14] Leigh Anne Clark, Jacquelyn M, Wahl, Christine A. Ress, Keith E. Murphy : Retrotransposon insertin in SILV is responsible for marle patterning of the domestic dog, Proceedings of the National Academy of the United States of America 1,376-1,381 (2006)

参 考 図 書
・遺伝医学への招待,改定第3版,南江堂,新川詔夫,阿部 京子共著
・これだけは知っておきたい遺伝子医学の基礎知識 本庶 佑監修 (株)メディカルドゥ



† 連絡責任者: 今本成樹(新庄動物病院)
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