今振り返れば,大玉村の時代は勉強に明け暮れた時代だった.県民の森という森林公園の管理も担当していたから,自然や森についても学習しなければならなかった.そのため,自然公園の管理員(レンジャー)兼解説員(インタープリター)のような役割も務めた.さらに,一応村役場の職員だから行政や法律についても学ぶ必要があった.その傍ら,野生動物の専任獣医師の仕事に当たるという日々だった. それから10年くらいバタバタしているうちに,平成6年(1994年)日本野生動物医学会設立の話が持ち上がった.当時,助手クラスだった坪田敏夫先生(現北海道大学教授),鈴木正嗣先生(現岐阜大学教授),羽山伸一先生(現日本獣医生命科大学准教授)たちが中心になり,さらに高橋 貢先生が会長を,増井光子先生が副会長を引き受けてくださることになり,同会は発足した.その頃,福島県鳥獣保護センターもテレビ番組等に時々顔を出すようになり少し有名になってきていたので,保護センターの代表として白羽の矢が立ったのか,私も理事に選ばれることになった.いずれにしても,学会ができて大学や研究機関における野生動物医学研究がまとまり始めたのは確かである.しかし,全国の大学に野生動物獣医学が波及するようになるためには,若手研究者の育成が必要であった.ちょうどその頃,福島県鳥獣保護センターの活動はちょっとした壁に突き当たるようになる.世の中,バブルの爛熟期で行政も盛んにハコ物を作っていた時代であった.ところが,ほかの部署は景気がよいのに,保護センターの予算は一向に増えないのである.やがて,そこには大きな原因が二つ作用していることに気がついた.一つは,県から村への管理委託という構図.この構図の中では,県にとっても,村にとっても保護センターは常に外様であること.もう一つの原因,これは県の担当者から直接聞いた話だが,「傷病野生動物を救うだけでは,行政的な意義が弱い」ということだった. |
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なぜ,傷ついた野生動物を救うのか? 命を救うことを生業にしている獣医師にとっては,救うのは当たり前の行為と思われがちだ.しかし,社会的にみれば結構議論の分かれるところなのである.救うこと賛成派の論拠の一つが「命の重さ」の平等である.あえて言えば,ヒューマニズムや人間らしさ,愛,やさしさというところだろうか.一方,反対派の論拠は,「人も動物も命の重さに違いはない」という部分を百歩譲ったとしても,人と野生動物の存在を同列でみるべきではないということのようだ.早い話,例えばタヌキを10匹救ったところで,生物多様性の保全にとっては何の効果もないだろうというのだ.これは行政も同じで,行政が救護に対して積極的に予算を配分する場合は,行政的な意義,要するに納税者である国民や市民に対して合理的な説明ができるか否かが大きな問題となる.勿論,地方の財政が逼迫している現代ではなお更のことで,小さな税収から野生動物救護の予算を切り分けるにはかなりの根拠が必要となってくるはずである.救護の意義とは何か? 保護センターのしくみをどう変えたら,予算や人を増やすことができるのか? 運命の女神が微笑まないかなぁと待ち焦がれていたところへ,県民の森を整備する話が持ち上がった.しかも,大規模な整備になるので,県が作った財団が施設管理と運営を行うことになるというのだ.当然,保護センターの管理も財団に移ることにはなるが,残念ながらセンターの施設整備とか予算の増額はないということだった.ただし,財団のなかの環境管理課が担当することになるから,いろいろと融通は利きそうで,少し期待に胸を膨らませた. 平成10(1998年)年4月,いよいよ財団が正式に発足し,私も大玉村から財団へと転職することになった.このチャンスをどう生かすか,まさに試練の時である.一年目と二年目,保護センター運営のコンセプトを練り上げた.今まで細々ながら実施してきた様々な活動をまとめてみると,意外に広範囲に渡っており,3つの基本コンセプト([1]命を尊び,命を救う文化を育てる,[2]生物多様性の保全と環境倫理,[3]野生動物の力を借りて安全・安心な社会をつくる(環境モニタリング))と具体的な目標を8つのミッションに表すことができた.今後は,それぞれの活動をさらに推し進めるとともに,ミッション発表の舞台を見つけ出す必要がある. 平成12年12月,その舞台は野生動物医学会からやってきた.それまで大学を会場に開催してきた年次大会を,福島県鳥獣保護センターでできないかという話が,理事会で持ち上がったのである.不安が全身に広がった.咄嗟に頭に浮かんだのが,300〜400名の規模を想定した場合の,人と場所と予算の確保である.「できるのだろうか?」鳥獣保護センターは当時,獣医師である私と,臨時職員2名の超零細施設である.しかし,学会を保護センターで開くことができれば,新しいミッションで動き始めた保護センターを公にアピールできる.千載一遇のチャンスなのだ.悩んだ.次回の理事会までに決断を迫られた.大学なら,スタッフや学生に恵まれている.教室も,講堂もある.福島に帰ってから,眠れない夜が幾夜も続いた.実施体制がみえてこないのだ.費用の調達方法も検討がつかなかった.一つ一つ当たってみて,ダメなら砕けるしかないと考えるようになった. |
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(次回へつづく) | |||||||||||||||||||||||||
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† 連絡責任者: | 溝口俊夫(福島県鳥獣保護センター) 〒969-1302 安達郡大玉村字長久保63 TEL・FAX 0243-48-4223 E-mail : wcf@guitar.ocn.ne.jp. |