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柏崎佳人†(国際協力機構 ウガンダ「家畜疾病対策計画」長期専門家)
子どもの頃,「兼高かおる,世界の旅」という番組が日曜の朝に放映されていた.文字通り,兼高かおるという人が世界を旅してまわり,各国での様子を紹介する紀行番組である.その映像を見ながら朝食を食べるのが我が家の習慣で,父がサイフォンでいれたコーヒーの香りが漂う中,この同じ地球上に住む近境・辺境の人々の様子に目を光らせていた.「いつか自分も色々な国で暮らしてみたい」と,小学生の頃には漠然と思うようになっていたが,そもそもこういう感覚というのは生まれたときから近づいてくるものなのかもしれない. もうひとつ,小さい頃から自分が思い描いていた将来像は,獣医師になることであった.当時は単に小動物臨床獣医師をイメージしていたのだが,小学校の卒業文集にはしっかりと「大きくなったら犬猫病院のお医者さんになりたい」と書いてある.幸いなことに獣医学部に進学することができ,漫画「動物のお医者さん」のような楽しい大学生活を送っていた.最終学年になり,同級生の間でも就職先の話題が増えてきた頃,「海外に出たい」という気持ちがまた沸々と湧き上がってきた.「将来を決めなければいけない」という時限爆弾が働いたのだろうか.とはいっても,どのような形で獣医として海外に出たらいいのか,当時の自分には何の手がかりもなかった. そんな時にふと思い出したのが,中学・高校の頃に母がよく話していた青年海外協力隊のことである.うちの母はちょっと変わった人で,ひとり息子の自分に「あんたも一人前になったら協力隊にでも行って人生経験を積んだらいい」と諭していた.当時は「何を言ってるんだ,この女は」としか思わなかったが,いざ就職が目の前に迫ってくると,それが俄然,頭の中で重みを増し,他に考えていた就職先の候補がどんどん色褪せていった.自分が望んでいた二つの願いが同時に叶うのである.海外で獣医師として働く.こんな一石二鳥的夢物語を現実にしてくれる制度が,この官僚社会日本にもあったのだ.そう悟りを開いてからは何の迷いもなく協力隊応募に邁進し,晴れて合格.社会経験もないままに中近東のシリアへ行くことになった. 以上の経緯からもわかるとおり,自分が青年海外協力隊へ志願した理由は全く個人的な願望に根ざしたものであり,国際協力に興味があったわけでも,途上国の人たちを助けようという立派な志があったわけでもない.ただ獣医師として海外で働きたかっただけだ.そんな自分を受け入れる羽目になったシリアの配属先にとっては傍迷惑な話だが,本人は意気揚々で,3カ月間の派遣前訓練も存分に満喫し,当時の獣医学部長に餞別としていただいたジェームズ・エリオット(おそらくイギリスで一番有名な獣医師であり作家でもある)の本を片手にシリアへと旅立った. 本多勝一の著書「アラビア遊牧民」によると,アラブ文化圏は様々な意味で日本文化とは対極にあるらしい.当時,日本ではシリアについての情報などほとんど見つからず,物騒なイメージしかなかった.そのアラブの雄が自分にとって初めての外国となったわけだ.シリアでの配属先は,ハマという非常にイスラム色の強い街にある獣医研究所である.もっとも研究所とは名ばかりであり,自分が所属していた寄生虫セクションでの仕事は,ベドウィンのテントに出かけて採材をし,糞便や血液の検査をこなすだけだった.協力隊員の活動には具体的な目標や計画のない事が多く,目的意識をしっかり持っていないと,ただ時間を浪費するだけで終わってしまう.それに危機感を持った自分は,何とかもう少し突っ込んだ検査を取り入れようと,情報を集め,マニュアルを作り,それを実践し,という作業を繰り返していった. シリアで暮らした2年9カ月,私生活では様々な出来事の繰り返しであった.一方,研究所では,こなしていかなければならない義務が決められていたわけではなく,シリア人スタッフにとっても自分にとっても単調になりがちだった.しかし日々の仕事というのは多かれ少なかれ単調なものであろうし,その中で教えられたことも非常に多い. 赴任した当初は研究所の所長とよく口論になった.理由は簡単,約束を守らないのだ.アラブ人が約束を守らないのは普通のことである.彼らには,約束をしないで断るよりも,とにかく約束をして相手を喜ばせることが良いことだと考える風潮がある.道を聞かれた時でも,相手を喜ばす為に知らなくても適当に答えるのがアラブ人なのだ.そんなことはこれまで何度も言われてきたし,それまでの経験を通して自分の頭の中でもよくわかっているつもりだった.しかしそれでも約束を破られると頭にくる.たいした約束でもないので,それが守られようと守られまいと大勢に影響はないとわかっていながら,それでもやっぱり気に障る.この,「頭で理解していること」と「心で感じる気持ち」のギャップは,理性や知性だけでは埋めようもないほど深く(もともと持ち合わせていないという意見もあるが),特に最初の一年間は腹が立ってくやしくて眠れない夜が続いた. 一度こんな事があった.ラマダン(イスラムの断食月)を迎え,自分も職場の同僚に倣って日中の断食にトライしていた.その日は木曜日,翌金曜が休みなので夕方のバスに乗って北部の街アレッポへと向かった.当時はラマダンが5〜6月と夏至に近い時期であったので,バスの中は冷房がかかってはいたもののそれでも結構暑く,乗客は皆,水も飲めずにイライラした様子であった.そのバスの一番前に4〜5歳の男の子を連れたキリスト教徒らしい女性が座っていた.男の子はなかなか大人しくしていられない様子で,バスの通路を前後に行ったり来たりしながら歩き回っている. そのうちに自分の真後ろに座っていたおばさんが,その男の子を膝の上にのせて遊ばせ始めた.その子は前に座っている日本人の存在に気がつき,自分の気を引こうと襟足の毛をくすぐったり息を吹きかけたりし始めた.大人気ないと思いながらも,とても子供の機嫌を取るような気分ではなかったので無視を決め込んでいた.ところがその子はやめない.仕方なく手で払って嫌がっている素振りを見せたり,後ろを振り向いて抱きかかえている女性をにらんだりしてみたのだが,その女性は男の子を注意するでもなく,したいままにさせている.そのうちに今度は「アナ・ヤーバーニー(僕は日本人)」という日本人をからかう唄さえ歌い始めた.しかも自分の耳元に顔を寄せてである. 暑さと断食のストレスも手伝って怒り心頭に達し,すくっと立ち上がって後ろを振り向き,「いい加減にしろ」と怒鳴ってその子に手を挙げてしまった.頭を平手ではたいたのだが,その勢いで頭が窓ガラスにぶつかり,自分でもびっくりするくらいの鈍い音がした.インパクトの瞬間にヘッドがクルリと回転するのだ.あーあ,やっちゃった.その子は大声を上げて泣き始めた.抱いていた女性は何て事をするんだとばかりにののしり始める.自分はとにかく思っていた不満をぶちまけ,あとは席に座ってだんまりを決め込む.これ以上アラビア語で口論しても勝てるはずがない.しかし「沈黙は金なり」のヘッドロックはなかなか効かない.バスの中は蜂の巣をつついたような騒ぎになり,すべての乗客が敵になった.その子の母親もやって来て文句を言い始める.アレッポに着いたら警察を呼ぶとも言い出した.「警察かあ,事務所(現JICAシリア事務所)に連絡がいくだろうなあ.それでなくても俺は問題が多いのに.」などと思いを巡らせながら,「早くアレッポに着け着け」と願っていた. と,その時,前の方に座っていたひとりの若者が立ち上がった.彼はその母親に向かって彼女のしつけがなっていないと非難を始めた. 「ラマダン中でみんなイライラしているときに,子供が騒いでいても知らん顔.そしてしまいには子供を他の女性に預けたまま自分はいい気に寝ている.ここはお前の家じゃないんだぞ.」 これが抜群のカンフル剤になり,母親はバツが悪そうに子供を連れて自分の席に戻った.バスの中も潮が引くように静けさを取り戻し,やっとカセットテープの音楽が耳に入るようになった. 「うわー助かった」と,一気に緊張が解けて気が楽になった.理由は何であれ子供を殴ったのである.言い訳は通用しないし,それ以前にアラビア語でうまく説明できる自信もない.しかもその子が僕にしていたことなど誰も気づいていないのだ.九死に一生を得たとはまさにこのことであり,その一方で「自分の味方になってくれる人というのはどこにでもいるんだなあ」と,いたく感激した.バスがアレッポに着いた後,その青年を捕まえてお礼を言ったのはもちろんである.彼は何でもないことだと言っていたが,自分にとって彼の行動はとてつもなく大きな意味を持つものだった. 旅行をしている時は気持ちもおおらかであり,まわりの人間の小さなルール違反などは許せるくらいのゆとりが心にある.また自分をはっきりアウトサイダーと認識しているので,ある程度の引け目からか,そういう気分にさせられるのかもしれない.ところが一旦住み始めると話は別である.その土地の習慣に染まっていくうちにアウトサイダーという気持ちは薄れ,自分もその土地の人間であるという認識が生まれ,小さな欠点にも目が届くようになる.すると自然に不満も多くなり,まわりの人間のルール違反が気になりだす.これは別に心にゆとりがなくなったからではなく,「生活する」という行為から生まれる当然の成り行きだと感じる.あのバスの中での出来事にしても,もしも僕が旅行者だったらきっと我慢できていただろう.長い間ハマで生活し,色々なストレスを抱えていくうちに,それがどこかで爆発してしまう瞬間というのがある.しかしそれを理解してくれる人間がいるというのも事実で,だからこそ救われるのだ. |
ハマ市にある羊の市場.毎朝開かれており,隊員の頃はよくここへ採材に出かけた. 写真は購入した羊をトラックに積み込んでいるところ. |