会報タイトル画像


論 説

生産病の今日的課題

高橋秀之(動物衛生研究所生産病研究チーム長)

先生写真 1 は じ め に
 生産病とは,家畜の高能力化のための育種選抜,多頭羽飼育あるいは集約管理等,家畜の生産性を高度に追求することによって起こる疾病である[3](図1).狭義には,「濃厚飼料多給による代謝障害」があげられるが,広義には,代謝障害に加えて,繁殖障害,泌乳障害,運動器障害,更には,日和見感染症の側面を持つ子牛や子豚の消化器病や呼吸器病等もこの疾病の範疇に入る.生産病は,口蹄疫,BSE,豚コレラ,鶏の高病原性インフルエンザ等のように国家防疫上の緊急性や危険性をはらんだ感染疾病と異なり,一般消費者にとって比較的馴染みのうすい病気ではある.しかし,畜産現場では日常的に頻発し,生産農家の経営を圧迫している最重要疾病の一つである.
図1 生産病の発生経過
図1 生産病の発生経過


 2 問題となっている生産病
 問題となる主な生産病を品種別あるいは動物種別に分けると,次のようになる.
  (1)乳   牛
代謝障害:
ルーメンアシドーシス,脂肪肝やケトーシス等の肝機能障害,第四胃変位,低カルシウム血症
繁殖障害:
卵胞発育障害,卵巣嚢腫,鈍性発情,排卵障害,子宮内膜炎,胚の早期死滅,着床障害
運動器障害:
蹄葉炎等蹄病全般
泌乳障害:
臨床性乳房炎,潜在性乳房炎,慢性乳房炎
 (2)肉   牛
代謝障害:
ルーメンアシドーシス,肝機能障害,ビタミン欠乏症
その他:
畜舎環境由来の慢性呼吸器病,消化器病
 (3)豚 ・ 鶏
 畜舎環境由来の慢性呼吸器病,暑熱や寒冷環境による栄養障害,呼吸器感染等

 3 生産病を取り巻く最近の動向
 (1)潜在性生産病のまん延
 潜在性生産病とは,肉眼では異常が検出できず,血液や乳汁等の体液成分検査等によって病態の進行が初めて検出される生産病である[2].つまり,潜在性生産病とは,臨床性生産病の前段階の病態といえる.近年の畜産学関連分野における栄養管理技術や家畜管理学の進展,及びこれらを取り込んだ生産獣医療の取り組み等によって,臨床症状を伴う生産病はかなり減ってきている.しかし,潜在性の生産病については解決したとはいえず,むしろ深く広くまん延しつつある状況にある.潜在性の生産病は臨床症状を伴わないので見過ごされる場合が多い.しかし,繁殖機能や免疫機能へも悪影響を及ぼし,また,何よりもそれによる経済的被害額は,臨床性生産病の数倍にものぼるといわれる.今後,獣医・畜産分野が総力をあげて研究すべき重要課題と思われる.
以下に潜在性生産病の例をあげる.
  1. 潜在性ケトーシス
     潜在性ケトーシスとは,ケトン血症やケトン尿症を呈し,ケトーシスの臨床症状を起こす前の病態である.泌乳初期の乳牛の10〜30%が潜在性ケトーシスを呈するといわれる.この状態が持続すると,乳量や繁殖性あるいは免疫機能の低下を起こし,乳房炎等の誘発につながる.
  2. 潜在性低カルシウム血症
     低カルシウム状態(血中カルシウム濃度が約8mg/dl以下)が続くことをいい,分娩時に発生しやすい.潜在性低カルシウム血症が続くとルーメンの運動低下や食欲減退,あるいは第四胃の運動低下や膵β細胞からのインスリン分泌の低下を起こし,第四胃変位やケトーシス,脂肪肝等を誘発させる.
  3. 潜在性ルーメンアシドーシス
     濃厚飼料の多給は,相対的に粗飼料を減少させ,且つルーメン内での乳酸の産生量を増大させ,ルーメンマット形成が不十分となり,反芻や唾液分泌量の減少が起こる.その結果,ルーメンpHが低下し,ルーメンアシドーシスが発生する.潜在性ルーメンアシドーシスとは,このような急性症状を示す以前の状態である.潜在性ルーメンアシドーシスは,急性症状を示さないために診断が難しく,酪農場で大きな問題となっている.この病態は,臨床性ルーメンアシドーシスよりも経済的被害は甚大である.
  4. 潜在性乳房炎
     乳用牛の死廃傷病事故の中で最大の問題となっている乳房炎は,罹りやすい上に極めて治りにくい病気のため,世界的に共通して家畜の最難治疾病の一つとされている[1].その年間被害額は,日本全体で約800億円は下らないと概算される.また,その被害額の7〜8割は発熱,発赤,腫脹,疼痛といった臨床症状を示さずに乳汁体細胞数等が増加する,いわゆる潜在性乳房炎によるとされており,酪農家にとって潜在性乳房炎による経済的被害は甚大である.特に,黄色ブドウ球菌によって起こる潜在性乳房炎は,乳房組織内に微小膿瘍や肉芽腫を形成して慢性化の経過をたどりやすい.治療には,もっぱら抗生物質が用いられているが,一旦治癒したとしても再発しやすく,完治できない場合が多い.更に,薬剤耐性菌の出現や薬剤残留の問題等も悩みの種となっている.最近になって,抗生物質に代わる,あるいは併用可能な治療剤として,甘草エキス(グリチルリチン),ラクトフェリン,朝鮮人参エキスと
    いった生理活性物質や組換え牛顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(rbGM-CSF)や組換え牛インターロイキン8(rbIL-8)といった免疫賦活サイトカイン等が種々試みられている[8, 9].
(2)周産期の免疫機能の低下
 周産期には,周産期疾病といわれる乳房炎,乳熱,起立不能症,第四胃変位,ケトーシス,ルーメンアシドーシス,低カルシウム血症,蹄葉炎,胎盤停滞等,種々の疾病が多発する.この原因として,妊娠末期の乳牛は,胎児の成長や分娩後の泌乳に向けた乳腺の発達等により栄養要求量が急激に増加する時期であること,及び分娩という大きなストレス負荷に伴い,血中コルチゾール濃度の上昇や貪食細胞機能やTリンパ球機能といった免疫機能が一時的に低下すること等がいわれている.また,糖質の不足は免疫細胞のエネルギー不足を来たし,また蛋白質の不足は免疫細胞の分化・増殖に必要な原材料の不足を来すこともいわれている.そのため,周産期に免疫機能を正常に保ち,周産期疾病を未然に防ぐためには,個々の乳牛の泌乳能力や生理機能を勘案した特にきめ細かな飼養管理が必須となる.周産期における免疫機能の詳細なメカニズムは未だ解明されておらず,今後,抜本的な取り組みが必要と思われる.

(3)受胎率低下
 近年,急激な個体の改良に対して飼養管理技術の向上・普及が充分対応できない状態に陥り,受胎率の低下として問題が顕在化してきている.乳牛の受胎率は過去20年間に約20%低下し,肉用牛の受胎率も徐々に低下する傾向にある.牛の受胎率低下は,乳牛の高泌乳化や肉用牛の肥満化が主要因と考えられるが,その他の要因も複雑に絡んでいると考えられることから,繁殖技術のみならず,育種・飼養・衛生管理等,畜産獣医技術全般に関わる問題といえる.牛の受胎(繁殖性)の阻害要因を解明し,受胎率の改善・解決に向けた早急な対策が必要である.

(4)飼料高騰による影響
 平成17年に食糧・農業・農村基本計画が閣議決定され,飼料自給率向上が重要課題として位置づけられた.更に,バイオエタノールの需要増大に端を発した平成18年秋以降の輸入穀類の高騰に伴い,濃厚飼料の自給率向上と飼料費の低減に向けて,食品残ー飼料化(エコフィード)の取り組みに益々拍車がかかりつつある.しかし,農家がひっ迫している状況下での性急なエコフィードへの切り替えは,不適切な飼料内容,製造副産物(かす類,リサイクル飼料)等による新たな生産病の発生にも繋がる恐れがあり,事前の十分な調査研究が必要と考えられる.

(5)EUにおける未経産乳房炎への取り組み
 未経産乳房炎(初産牛乳房炎)に対する取り組みは,日本ではさほど重要問題としてとらえられていない傾向にあるが,欧米,特にEUでは重要問題として真剣に取り組みが行われている.また,2007年の6月にはベルギーにおいて未経産乳房炎国際会議も開かれている[4].未経産乳房炎への取り組みの基本的考え方として,黄色ブドウ球菌やCNSの乳房感染は初産分娩前から起こるので,未経産の時期から乳房感染の予防対策を徹底することにより,分娩後の乳房炎の発生や産乳性低下を阻止しようとするものである.そのため,病原学,遺伝学,栄養学,免疫学あるいは衛生・飼養管理的な面等,あらゆる方向からの研究が盛んに行われている.


次へ