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解説・報告

競馬の薬物規制制度(アンチ・ドーピング)について

横田貞夫(日本中央競馬会馬事部獣医課課長)

先生写真 1 は じ め に
 「競走馬のドーピング」というと皆様は何を思い浮かべられるだろうか? 一昨年,世界の最高峰の競馬と称されるフランスの凱旋門賞競走において日本で最強馬の称号を欲しいままにしていたディープインパクト号が3着入線後,失格となるという事件が発生した.詳しくは当時のマスコミ報道等を参考としていただきたいが,JRA日本中央競馬会はホームページ上で下記のように掲載している.

 10月1日(日)の凱旋門賞に出走し3着となったディープインパクト号の禁止薬物に関する理化学検査において,同馬の検体から禁止薬物(イプラトロピウム)が検出されたという報告を,フランスの競馬統括機関であるフランスギャロから受けました.
  このように,競馬の世界においてもオリンピック等のスポーツ競技等と同様にドーピング検査が行われている.今回はこの紙面をお借りして,競馬におけるアンチ・ドーピングについて紹介したい.

 2 ドーピングとは
 競馬における薬物規制制度を紹介するにあたっては,ドーピングあるいはアンチ・ドーピングというものについて,まず述べさせていただきたいと思う.
 ドーピング(doping)という言葉はdopeから来ている.この語源はアフリカ東南部の原住民カフィール族が祭礼や戦いの際に疲労回復あるいは士気向上のために飲む「強い酒ドップ(dop)に由来すると言われている.これが後に「興奮性飲料」という意味合いなり,さらに「麻薬」という意味でも使われるようになった.近年は,ドーピングとはスポーツ競技における不正な薬物使用のことを意味し,覚醒剤や麻薬等の不法薬物の乱用(Drug abuse)とは,区別して用いられている.
 人のスポーツの世界で一番話題になったのは,1988年ソウルオリンピック陸上男子100mの優勝者ベン・ジョンソンが金メダルをR奪されたことではないだろうか.ソウルオリンピックの前年(1987年)にローマで開催された世界陸上選手権大会男子100mで,前回のロスアンゼルスオリンピック金メダリストであるカール・ルイスを破って9秒83の世界記録を樹立.ソウルオリンピックでも9秒79の世界新記録で優勝したものの,競技後のドーピング検査で蛋白同化ステロイド(筋肉増強作用のある)スタノゾロールが検出され,金メダルとともに記録もR奪されたという事件であった.オリンピックの花形競技でのドーピング失格ということで,非常に衝撃的な出来事だった.その後のオリンピックでも何件かの薬物陽性事案が発生しており,失格となる選手が出ている.
 日本においても,昨年からドーピング検査を抜き打ちで実施することになったプロ野球において,福岡ソフトバンクのガトームソン投手から内服用育毛剤であるフィナステリド(体内で男性ホルモンに影響し,筋肉増強剤の使用を隠す効果があるために隠蔽剤として禁止薬物に指定されている)が検出され,処分された.
 これらのドーピングコントロールは,「ドーピングのないスポーツに参加するという競技者の基本的権利を保護し,もって世界中の競技者のために健康,公平性と平等性を促進する.」(世界アンチ・ドーピング規程より引用)とされている.
 日本のスポーツ界では,プロ・アマを問わずアンチ・ドーピングに対して意識が希薄であるといわれているが,これは薬物を取り扱う日本の医師の社会的地位の高さや,日本人の国民性から他国に比べてドーピングという行為が「違法」で「卑怯」な行為であるという思いが強く,ドーピングをしてまで競技に勝とうとする者が少なかったことによると考えられる.しかしながら,最近は大相撲等でもドーピングの噂が絶えず,ドーピング検査はアマスポーツはもとより,プロスポーツにおいても今後はさらに厳格に行われていくものと考えられる.
オリンピックをはじめ,各種スポーツ競技におけるアンチ・ドーピングを統括する組織として,1999年に創設されたWADA(World Anti-Doping Agency:世界アンチ・ドーピング機構)という機関があるが,ここで2003年3月5日に『世界アンチ・ドーピング規程』が定められ,競技参加にあたって使用が禁止される薬物や行為をリストとして公表している.
→ http://www.wada-ama.org/rtecontent/document/WADA_Code_Japanese.pdf

 3 競馬におけるアンチ・ドーピング
 意外なことに(というより,知られていないと言った方が良いのかもしれないが),世界初のドーピング検査は競馬で行われたと言われている.1911年ウィーンで行われた競馬において,オーストリア競馬協会が初めてレース出走後に薬物検査を行い,出走馬からアルカロイド(コカイン,モルヒネ等)が検出されたという報告がある.1900年頃,競走馬には「アヘンと麻薬の混合物」が与えられていたといわれており,当時はドーピング(薬物を使用すること)というのは,競走馬に対して行われることを指していた.その後,競馬における組織的なドーピング検査が行われるようになったのは1930年頃のアメリカであり,競馬に出走する馬に麻薬・覚醒剤等を投与するケースが多く発生したため,本格的にレース出走後の薬物検査が開始された.
 日本においても,1955年頃から日本中央競馬会が中心となり,薬物検出に関する技術的な研究をはじめ,世界各国で行われている競走馬の薬物検査について調査・研究が続けられ,1965年には,公正な第三者の検査機関として恚」走馬理化学研究所が設立された.

【(財) 競走馬理化学研究所】
 競走馬理化学研究所は,1965(昭和40)年8月1日に東京都世田谷区上用賀の地に財団法人として設立され,競走馬に係る薬物検査と検査法の開発・改良の研究を中心とした業務を行っている.1973(昭和48)年4月には軽種馬の親子判定・個体識別のための血液型の検査(現在はDNA型判定による親子判定が行われている)・研究業務を加え,競馬の公正確保に不可欠な競走馬の薬物検査と正確な血統保持のための検査を主たる業務とする我が国唯一の検査・研究機関として,信頼される競馬の一翼を担うと共に学術の振興に寄与している.2000年(平成12年)栃木県宇都宮市に移転,2003年(平成15年)からは競馬に騎乗する騎手のドーピング検査も行っている.

 

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