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 5 犬の低温精液による人工授精
 犬の新鮮精液による人工授精は,採精後,直ちに腟深部に授精し,精液が逆流しないように,おしりを約10分間持ち上げておくことが重要となる.ビーグル犬では,精液量が2ml前後で,精子数が2億以上必要となる(表3).
 人工授精は,精子数はもちろん精子濃度が重要であるので,精液量は1.5〜2mlにとどめる.正常なビーグル犬では,1回の射精精子数が3〜4億であるため,人工授精の精液量は,精子の含まれる第2Fに第3Fを少量加えて調整する.
 犬の精液を低温で保存する場合,第2Fをそのまま保存すると,精子活力は表4に示したように24時間後には43%に低下する.そこで,第2Fを遠心分離して精漿を除き,卵黄トリス・フルクトース・クエン酸液(EYT-FC)で希釈して低温保存すると,48時間後においても精子活力が84.3%を維持している(表5).
 EYT-FCで希釈し,4℃で48時間保存した低温精液による腟内への人工授精の結果は,表6に示したように10頭(100%)がすべて受胎した.しかし,原因が不明であるが,うち2頭が流産した.
 また,犬の低温保存精液の人工授精に使用可能な日数を検討した結果は,表7に示したとおりである.
 すなわち,4日保存での受胎率は5/6(83.3%,産子数3.2±2.3匹),5日で1/2(50%,産子数2匹),6日で0/5(0%)であった.
 このように低温精液での人工授精では4日間の保存においても83.3%の高い受胎率が得られたが,産子数が減少していた.
 ◎輸入低温精液による人工授精
 実際に輸入低温精液を人工授精に使用する場合を想定して,アメリカの犬精液銀行から精液を空輸して人工授精を実施した.
 すなわち,雌犬に発情出血が認められれば,約2週間後に精液を採取,空輸をお願いすることを精液銀行に第一報を入れる.上記の方法で犬の排卵日を血中P4値から推定し,排卵後4日に使用する旨を第二報として連絡する.アメリカから低温精液を空輸し,成田の検疫を通過して,本学に到着するのに採精から約30時間である.もちろん,空輸のためのフライトを前もって決めておくことが必要となる.精液が到着すると,直ちに精液性状を観察して人工授精を行う.この場合の人工授精は,到着した精子をすべて用いたため,表8に示したように精子数に大きな幅が認められた.また,対象の雌が2頭(No. 213とNo. 217)の場合については,精液を2等分して用いた.このように,4回の精液の輸入で5頭に人工授精した結果,4/5(80.0%)が受胎した.不妊であった1頭の精子数が156×106であったため,精子数が2億に達していなかったことが不妊の大きな原因と考えられた.また,受胎したうち1頭(No. 217)が流産し,低温精液と流産に何らかの関係がある可能性が示唆された.

表3
表4
表5
表6
表7
表8
 6 犬の凍結精液による人工授精
 犬の凍結精液の性状は,家畜に比較して精子の耐凍性が弱く,融解後の精子活力が低い.このため,耐凍剤としてグリセリンに加えて,界面活性剤であるOruvas ES paste(OEP)を添加することが多い.OEPの添加によって精子アクロソームが明らかに保護される(表9).しかし,OEP添加の凍結精液についても,腟内授精では充分な受胎率が得られていない.ただ,授精部位を子宮角内に行うと高い受胎率が得られるため,現状では,犬の凍結精液は経腟または外科的に子宮内に授精する必要がある.
 ◎犬の子宮内授精に必要な精子数
 犬の新鮮精液による腟内授精には,2億以上の精子が必要であるが,子宮内授精に必要な精子数は表10に示したように,片側の子宮角に,精子数1.0×107以上必要である.
 ◎犬の凍結精液による人工授精
 犬の凍結融解後の精子活力は,OEP添加によっても25%前後である.精子活力のある精子を1×107以上を子宮角内に注入するには,凍結精液で何匹の精子が必要であるかが問題となる.そこで筆者は,片側子宮角内に凍結精液1×108を注入することを計画した.その結果は表11に示したとおりである.
 すなわち,受胎率は9/10(90.0%)で,産子数は平均3.6±0.9匹で,授精側の排卵数に対する産子数は平均63.4±13.3%であった.なお,産子数は,授精側排卵数を上回るものがなかったため,人工授精は左右子宮角に行う必要があるものと思われる.
表9
 7 ま  と  め
 犬の凍結・低温精液を輸入する場合は,輸入検疫証明書,雄犬の健康証明書など準備しなければならない書類が多数必要となる.また,今回の人工授精は,原則として自然な交配によって子犬を得たことのある雄犬と雌犬の間で実施することになっているので,この点の確認が必要となる.人工授精後には,使用済みストローなどから雄犬のDNA登録を行わなければならない.また,妊娠・分娩した場合は,母犬と全子犬のDNA検査によって父犬の確認が必要となる.
 精液を輸入する場合は,犬の精液銀行,または,これに類する組織の関与無しには実現しないため,事前の交渉など,かなり手間と時間のかかる問題である.犬精液の輸入対象国としては,北アメリカ,ニュージーランド,オーストラリア,EU圏が考えられる.
 低温精液は,1回勝負となるので,輸送のトラブルがあれば今回の発情での授精は断念しなければならないことを頭に入れておく必要性がある.輸送のトラブルを想定して,同一犬の凍結精液を準備しておくことも考えられる.
 低温精液は,保冷剤を入れて輸送できるが,凍結精液は液体窒素が必要となり,ドライタンクを送り返すことを考えるとコスト高となる.また,雌犬のオーナーが,特定の雄犬の精液を希望しても,雌犬の遺伝病のチェックデータを要求されるのが常で,お金を出せば購入できるものでないことも心得ていなければならない.
 人工授精を実施する獣医師としては,精液からの感染なども充分考慮する必要があると思われる.
 国内では人工授精するだけ,と気楽に考えて人工授精技術のみを磨けば解決する問題ではない.
表10
表11


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