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矢原芳博†(日清丸紅飼料(株) 畜産研究所検査センター所長)
1 は じ め に ここ数年,養豚現場では離乳後事故の上昇に悩まされている.かつて一貫生産農場の離乳後事故率(離乳後〜出荷までの死亡頭数/離乳頭数)の目標値は3%といわれてきたが,現状ではこの目標を達成する事は極めて難しい状況になってしまった.離乳後事故率は10%を越え,20〜30%のレベルは珍しくなくなってきている.はなはだしいケースでは単月で50%を越す事故率も経験しており,うなぎのぼりの事故率に四苦八苦しながら対処しているのが実情である.この傾向はどうも世界的な傾向のようで,欧州でも米国でも日本以外の東アジアでも同様の事故の爆発は情報誌やインターネットを通じ度々目にする. そもそもこのような離乳後の事故多発傾向は,1980年代後半から原因不明の不可解な子豚の病気としての報告から始まる.世界中の研究者がこれらの疾病の原因追及に取り組んだが,1991年に豚繁殖・呼吸障害症候群(PRRS)がオランダで初めて報告され,さらに1996年にカナダで離乳後多臓器性発育不良症候群(PMWS)の発生が報告されて,この2つのウイルス感染症が今日の離乳後の事故多発の主因である事が分かってきた.PRRSウイルスとPMWSの原因ウイルスと考えられている豚サーコウイルス2型(PCV2)は,いずれも何らかの形で宿主の免疫機構を抑制する事が知られており,感染豚はこれらのウイルスによって免疫抑制を受けた後に,農場内に常在する様々な2次病原体に日和見感染を起こし,死に至る. 本稿では,これら2つのウイルス感染症が世界的な広がりを見せる経緯をまとめ,今まさに日本の養豚現場で発生しているこれら離乳後の難治性,常在性の疾病の状況を紹介すると共に,試行錯誤の中で行われている対策についても紹介したい. |
2 PRRSの出現の経緯 1980年代後半,欧州各国と米国より母豚の繁殖障害(特に早産の多発)と離乳子豚の事故率が増加する奇妙な疾病が多発しているというニュースが流れてきた.死亡する離乳豚がチアノーゼを示す事から「ブルーイヤー病」,原因が分からない事から「ミステリー病」など様々な名称がつけられ報道されるようになってきた. 世界各国で同時多発的に発生したこれらの疾病は,1991年にオランダ中央獣医学研究所が原因ウイルスを発見し,レリスタットウイルスと命名して以来,すべて同一のウイルスが原因である事が分かってきた[7, 10].病原ウイルスの発見により,各地で別々に呼ばれてきたこれらの疾病は,繁殖障害と離乳後子豚の呼吸器症状の両方(あるいは片方のみの場合もある.)が主症状であることから,豚繁殖・呼吸障害症候群(Porcine Reproductive and Respiratory Syndrome; PRRS)と呼ばれるようになった. 一方,日本でもやはり1980年代後半から各地で同様の疾病が報告されている.その当時はそれぞれが同一の原因による疾病だとは分からず,各地で風土病的に考えられ,欧米の場合と同様に様々な病名で呼ばれていた.オランダでのレリスタットウイルス発見から3年後の1994年に日本でも千葉県の,いわゆる「ヘコヘコ病」の罹患豚からウイルスが始めて見つかった[6].その後のRetrospectiveな研究により,1986年程度までPRRSウイルス(PRRSV)抗体の存在が確認されているが,それ以前PRRSVがどこにあったのか? 何を宿主として生活していたのかは,いくつかの仮説はあるものの,全く分かっていない.いわゆるエマージング疾病の典型例といえる.ウイルス発見以来,既に十数年経過しており,その間世界の多くの研究者がPRRS対策について研究しているが,未だに決定的な対策は見出されていない. 固相酵素抗体法(ELISA)による抗体検査により,日本の養豚場も高率にPRRSウイルスの浸潤を受けていることが判ってきた[1, 9].しかし抗体陽性農場のすべてが,高い離乳後の事故を示している訳ではなかった.同時に様々な機関で行われた野外分離PRRSVの実験感染でも,PRRSV単独感染では,野外で見られるような激しい呼吸器症状を再現できない事がほとんどであった.以上の2つの事実を組み合わせて考えても,養豚場で発生しているPRRSという疾病は,PRRSVの単独感染のみで起きる単純な感染症ではなく,PRRSV感染により免疫に影響を受けた子豚が,引き続き2次感染病原体の影響を受け,複数の病原体の多重感染を受けている状態であるといえる. かくしてPRRSは1990年代以降の養豚産業における経済的被害の主要な要因であり続けている.全米養豚協会(National Pork Boad)の試算ではPRRSによる経済的被害は少なくとも年間5.6億ドルに上ると試算されている(http://www.prrs.org/index.htm). |
3 PRRSVが持つ特徴 PRRSV発見以来,過去からのウイルス性の呼吸器病の対策例に倣い,様々な対策が試みられてきたが,PRRSVにはPRRSVが持つ特徴により,従来からの対策がなかなか効果を発揮しない. PRRSVが持つ特徴の1つは,ウイルスが標的とする細胞が,本来肺の局所免疫を担当する肺胞マクロファージだという事である.PRRSV実験感染後数日の肺を採材し,気管より還流液を回収すると,健康な豚では数億個のマクロファージが採取できるが,感染豚の肺からは,死滅したマクロファージが採取できるのみとなる.この事実からも,PRRS感染後に,他の2次感染の影響を受けやすくなることが容易に想像できる. 第2の特徴として,本ウイルスのウイルス排出期間の長さが挙げられる.通常ウイルス感染の場合,局所感染を突破し,全身感染に移行する際には,血液を介し(ウイルス血症)全身へウイルスが届けられる.宿主はこれに対抗するため抗体を産生し始め,抗体の量があるレベルに達すると,血中ウイルスは中和され,全身に分布するウイルスも死滅し治癒に至る.しかしある種のウイルスは,血中抗体が上昇した後でもウイルス血症が継続する.これを持続感染(persistent infection)と呼ぶが,PRRSVの場合このウイルス血症の持続期間が非常に長いことが知られている[8].これは農場内において,絶えず感染源となるウイルスが供給されているという事であり,疾病のコントロールに対しては大きな障害となる. 第3の特徴は,PRRSVの遺伝子変異の幅が非常に大きい点である.PRRSVはゲノムとして一本鎖RNAを持つ.15,428塩基からなるPRRSVのRNAゲノムは,7つのオープンリーディングフレーム(ORF)を持ち,1つの酵素と6つの構造蛋白をコードしている.このうち,GP5と呼ばれるウイルス膜上の糖タンパクをコードするORF5領域は,600個強の塩基で構成されるが,このORF5領域は,全ゲノムの内で最も変異が激しい.一般にPRRSVはヨーロッパタイプと北米タイプに分類されるが,両タイプ間のこの領域の相同性は60%程度しかない.ちなみに日本には現在まで北米タイプのみが認められ,ヨーロッパタイプの報告は無い.北米タイプ間のORF5は15%以上の変異が見られるといわれている.この部位の変異が5〜10%以上見られる株間の交差免疫はきわめて部分的なものとなり,異なる株によるPRRSの再発症も起こりうるとされている.現に日本でも,野外分離株のORF5配列のシークエンスの比較を行ったデータでも,同一農場に異なったクラスターのウイルス株が同時に存在し,さらに経時的にそのパターンが変化している事がわかっている[11].つまりPRRSVは1つのウイルスでありながら,その変異株が多様であるため,PRRS耐過豚群であっても別の株の浸潤を受けた時に,再度の発症を起こす危険を孕んでいる. 最後の特徴は,獲得抗体の持続期間が短く,特に農場内に長期間飼育される母豚群の保有抗体のばらつきが大きくなりやすい点である.現在PRRSV抗体検査法としてはELISAが一般的に行われるが,母豚によっては感染後数カ月で抗体が低下し,陰転する場合すらある.またPRRSVに対するウイルス中和抗体は感染後4週間以上たって出現し,しかもそのレベルは非常に低いといわれている. これらの事実から,PRRSV浸潤農場においては,何の対策も打たなければ,母豚の抗体価は陰性のものから非常に高い抗体価のものまで,ばらつきが大きく,なおかつその状態が長期間継続することとなる.これは即ち移行抗体のバラツキを意味し,生後,子豚は移行抗体消失と同時にばらばらに感染をするため,ウイルスコントロールが極めて難しくなる. |
4 PRRS対策の推移 上記のようなPRRSV特有の問題点を理解した上で,PRRS対策を考えなければならない.1990年代に提唱された方法として,隔離早期離乳(Segregated Early Weaning; SEW)がある[J].これは哺乳豚を,移行抗体が消失しない日齢で離乳して,離乳後は他の子豚のいない施設に離乳することで,感染を分断し発症を防ぐという考え方である.このSEWの効果をより確実にするために,繁殖部門と離乳部門を別農場とし,かつ両農場の距離を数百マイル以上離すという,いわゆる2サイトシステムも考案された.それまでも繁殖農場と肥育農場を分けるシステムは存在したが,温度管理の必要な離乳舎は,繁殖農場側に置かれるのが通常であった.(日本にはこのタイプの2サイト農場は現在でも良く見られる.)現在ではさらにこの考え方を発展させたマルチプルサイトシステムを採用するインテグレーターが北米では主流となっている.また農場の設備を完全に更新するような“マルチサイト化”ではなく,とりあえず既存の離乳舎を空舎にして,その間は別な飼育場所を確保し,一定の空舎期間を取った上で再び離乳舎を使用するという,パーシャルデポピュレーション(部分的な豚群入れ替え)もPRRS対策として多用されている.現在では極端な早期離乳は,その後の母豚の繁殖成績への悪影響が大きく,かつ体重の小さな哺乳豚を離乳させ飼育する難しさから行われなくなりつつあるようだが,離乳豚を他の豚群と隔離するという考え方は本疾病の対策の基本的な原則となっている.特に北米ではPRRS出現前後で,飼育システムがマルチサイト化へ大きくシフトした.1つのウイルス病が,養豚産業全体のシステムをドラスティックに変えてしまった点で,PRRSという疾病は養豚の歴史上大きな意味を持つといえる. さらに上記のような隔離飼育を成功させるためには,少なくとも離乳までの子豚を感染させない事が大前提となる.即ち分娩舎でPRRSV感染を起こさせない事が重要である.まずは哺乳豚には十分な移行抗体を賦与する必要がある.このためには母豚群の抗体レベルを十分に引き上げなくてはならない.繁殖サイクルに組み込まれた後でPRRSV抗体を積極的に保有させる事は難しいので,繁殖母豚は育成期間中に十分な時間をかけて,隔離しながらPRRSVに暴露させ,完全にウイルス排出をしなくなってから経産母豚群に繰り入れる方法が有効である.この方法をいわゆる馴致(Acclimatization)と呼んでいる.このように離乳豚の隔離飼育の成功のための前提として,農場内の母豚を「抗体は持つが,ウイルスは排出しない」状態にそろえてやることが重要である.なお馴致は,言葉を変えれば人工的な感染ということもできる.馴致の実行に当たっては,農場内に広めるべきでない他の疾病が存在しない事を確認した上で行うべきであり,そのような病原体の存在下では馴致は行うべきでない. PRRSVに対しては,現在世界的に数種の生ワクチンが発売されており,日本ではそのうちの1種(インゲルバックムPRRSV;ベーリンガーインゲルハイム ベトメディカジャパン(株))が発売されている.このPRRSワクチンは発売当初は子豚接種用のワクチンであったが,現在では母豚の免疫安定化の際の目的で使用されることが多い.PRRSVの特徴として,感染後(あるいはワクチン接種後)中和抗体上昇までの期間が4週間程度と長いことから,接種後十分な免疫効果を得られるまでの期間,離乳豚をPRRSVに感染させない事がワクチン効果を得る前提条件なのだが,実際の生産現場ではそのような期間を確保できる農場は限られている.結果として子豚への接種は普及しなくなってきた.しかし最近では,母豚の免疫安定化が保たれ,なおかつ離乳豚の隔離飼育により,離乳後PRRS感染までの期間を4週間以上確保できる農場においては,PRRSワクチンの子豚接種で効果を挙げているケースもあり,一般衛生管理の向上により,子豚接種の有効性も向上する可能性がでてきた. |