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論 説

 4 日本のBSE問題
 日本は1996年までEU諸国から肉骨粉を輸入したため,EUは日本国内にBSEがいる可能性があると考えた.しかし,日本政府はこれを否定し,国内にBSEが存在しないと主張した[14, 15].現実には,日本のBSE問題は1990年代に始まっていたのだが,これに気が付かなかっただけだった(図2).以下,年次別に状況を述べる.
図2 日本のBSEの出生年と発見年

図2 日本のBSEの出生年と発見年
32例の感染牛の出生年(黒棒)と発見年(白棒).1996年の肉骨粉禁止の通達が1997年の減少の原因と考えられるが,通達の遵守が不十分であったために1999年から再び発生.2001年に政府は法律で肉骨粉を禁止した.1992年生まれの牛は14歳のメス和牛.2001年と2002年生まれの各1頭は,2歳以下の弱齢去勢オスで,後に感染性がないことが示された.他の28頭は乳牛.
(1)2001年 全頭検査神話の始まり
 2001年にBSE検査を開始すると,9月10日に千葉県で感染牛が見つかった.危機管理の不手際により,政府は感染牛の死体を焼却処分したと発表し,後にこれを肉骨粉に加工して出荷したと訂正した.政府に対する信頼は崩壊し,食肉産業は大きな打撃を受け,パニックが広がった[15].
 しかし,政府はすばやく立ち直り,英国とEUに習って対策を実施した.すなわち,9月18日には牛から牛への感染防止対策である肉骨粉投与禁止を実施した.19日にはEUと同様に24カ月以上のBSEを疑わせる症状の牛と,30カ月以上の食用牛の検査を実施する方針を決定した.27日には人への感染防止対策として,食肉処理施設において危険部位の除去を開始した.
 これでEUと同等の安全対策がすべて整い,10月2日には与党3党の国会議員有志,厚生労働大臣,農林水産大臣が「牛肉を大いに食べる会」を開いて,牛肉の安全性を宣伝した.
 さらに,政府は,国際獣疫事務所の見解に従って,たとえBSEに感染した牛でも,その牛肉と牛乳は100%安全だと宣伝した[16].これは科学的に正しい見解だったが,消費者団体もメディアも納得せず,牛肉の売上げの減少は止まらなかった.政治家は,この傾向を変えるために,追加の安心対策が必要であると感じた.
 政府の原案は,EUに習って,食肉処理施設において生後30カ月以上の牛だけを検査することだった.しかし,この方法では,生後30カ月以下の牛は検査を受けず,したがって,政府の証明書なしに販売されることになる.国民は証明書がない肉は買わないだろう.だから,食肉処理施設では全ての牛を検査して,証明書をつけるべきだ.このような案が浮上した.
 「全部の牛を検査して,政府が安全を保証すればいい」という考え方は,日本人の国民感情に合致した.政府が30カ月齢以上の牛を検査する方針を発表した翌日の9月20日には,全国農業協同組合連合会が,食用牛については30カ月齢以上の検査ではなく「全年齢の全頭検査」を要求した[17].9月25日には全国消費者団体連絡会が[18],10月5日には自民党狂牛病対策本部が同じ要求を提出した.
 この問題が国会において始めて議論されたのは,10月4日の衆議院予算委員会だった[20].武部勤農林水産大臣は30カ月齢以上の牛だけを検査する理由として,次のように説明している.「BSEに感染するのは,99.95%が30カ月齢以上の牛であるという研究結果もある.30カ月齢以上の牛をすべて検査すれば,BSEに感染した牛はすべて発見できるのだから,これが食用になることはない.」
 この答弁の「感染」は「発病」の間違いである.もし,生後30カ月でBSEに感染するのなら,それより若い牛にはBSEがないことになる.しかし,事実はそうではない.牛は生後1年以内にBSEに感染するが,長い潜伏期を経て平均60カ月(5歳)で発病して,特有の症状を表すようになる(表1).これが,過去に見つかった感染牛の99.95%が30カ月齢以上だった理由であることは,前述の通りである.
 同じ委員会において,坂口力厚生労働大臣は次のように発言をした.すなわち,「30カ月齢以前の牛を検査してもBSEを検出できないと考えられているが,皆さんが全部の牛の検査をやった方がいいというのであれば,検査体制を整えたいと思う」.
 10月5日に開催された政府主催の第1回BSE対策検討会では,消費者団体代表から「潜伏期間中はBSE病原体を検出できるのか」という質問があった[19].
 これに対して,厚生労働省は次のように答えている.「BSEには潜伏期があり,発病するのは約3歳(著者注:約5歳の誤り)である.そして,発病の6カ月前から病原体が検出できることがEUと英国で確認されている.検査をしても,30カ月以下の感染牛を発見することはできない.そういう理由で,30カ月以上の検査を行うことを決定した.」
 ところが,この答えは聞き流され,参加者からは全頭検査実施の要求が続いた.会合のまとめとして,厚生労働副大臣は以下のように述べている.「科学的に考えれば,牛肉の安全を守るためには30カ月以上の検査でいい.しかし,皆さんの不安を解消しないと風評被害も起こりかねないので,皆さんの強い声を大臣に伝えたい.」
 10月9日の参議院予算委員会では自由民主党松谷
蒼一郎議員が全月齢の全頭検査の実施を要求した[21].これに対して厚生労働大臣は次のように答弁している.「この18日からは生後30カ月以上の牛は全部検査をして,皆さんに安心していただけるようにする.それに加えて30カ月以上だけでなく,全部の牛を検査すべきだという意見もある.科学的な考え方では,検査は30カ月以上でいいのだが,検査した肉としない肉があるというのは国民に与える影響も大きい.だから,科学的なことはさておいて,全部の牛の検査を実施することを考えたい.」
 これを受けて,厚生労働省は「食肉処理時のBSE検査については,国民の不安を解消するという観点から,30カ月齢未満の牛も含め全ての牛を検査の対象にすることとなった」との発表を行った[22].
 全国の食肉処理施設では,急遽,BSE検査の体制を整えたが,10月11日には東京都において技術研修のための牛試料が陽性になり,東京都は12日から4日間,食肉処理を禁止するなど大きな騒動になった.その後の確認検査でこの牛は陰性であった.この件から一次検査には擬陽性があることが分かり,風評被害を招きかねない一次検査結果を発表すべきか,議論になったが,これも危機管理体制の不備を示す例である.
 10月18日に政府は全国の食肉処理施設において全頭検査を開始した.そして,厚生労働・農林水産両大臣は「牛海綿状脳症(BSE)の疑いのない安全な食品の供給について」と題する談話を発表して,「今後は,食肉処理施設においてBSEに感染していないことが証明された安全な牛以外,食肉処理施設から食用として出回ることはありません」と述べた[23, 24].
 同日の記者会見において,新聞記者の質問は,検査でBSEを見逃すことがないのかに集中した.「本当にこの検査が万全で,感染した牛を一頭も見逃すことはないのか」との質問に対して,両大臣は,「陽性のものを見逃すということはない」,「全頭検査によって安全な牛以外は,食肉処理施設から出ていかない」と答えている[24].検査には見逃しがあるので,この回答が間違いであることはすでに述べたが,新聞,テレビは,この談話と記者会見を「政府が行った安全宣言」と報道した.これは「牛肉の安全」を意味するものであったが,「BSEはもう出ない」と誤解した動きもあった.
 9月25日から27日に行われた文部科学省の全国調査では,全国2万9,070校の公立小中学校のうち,1万568校で,給食から牛肉を外していた.
 全頭検査の開始とともに,それ以前の未検査の牛肉の処置が問題になった.農林水産大臣は「牛肉は安全」といい続けてきたが,もはや世論は未検査の牛肉を受け入れる状況ではなかった.自民党BSE対策本部は,10月16日に,「全頭検査前に解体された牛肉は,国が買い取って焼却すべき」と決議し,農林水産省は,「10月17日以前にと畜解体された牛肉を市場から隔離し,国民の不安を念には念を入れて払拭し,市場における牛肉の滞留を解消して円滑な食肉の流通を確保するため,全国に会員を有する団体が買い上げ,冷凍保管を行い,冷蔵倉庫から搬出させないこととし,最終処分は国の責任において万全を期す」とする,牛肉在庫緊急保管対策事業を10月26日に実施した[25, 26].
 10月25日には,週刊誌等で新型ヤコブ病の可能性が報道されていた女性患者について,厚生労働省の専門委員会が「ヤコブ病の可能性は低い」との見解を明らかにした.
 その後11月21日に2頭目,30日に3頭目のBSEが相次いで発見され,パニックが広がり,BSE発見前にはkg当たり1,130円であった牛肉が,12月7日には351円まで下落した(図3).
図3 牛肉価格の推移
図3 牛肉価格の推移
2001年9月にBSEが発見され,枝肉1kg当たりの卸売価格は約1/3に下落したが,翌年4月以後は徐々に回復し,年末には以前の価格帯に戻った.黒丸はBSEの発見.[26]を一部改変.

 このような情勢を受けて,12月14日,農林水産大臣は,集められた未検査の牛肉1万2,626トンを焼却処分にすると発表し,買い上げと焼却に必要な経費約300億円は国が負担し,一般廃棄物として焼却すると説明した.この事業が多くの不正の温床となったが,ここでは省略する.
 その後,政府は全頭検査の科学的な事実についての説明を行っていない.国民の不安を解消するために始めた全頭検査の意味を否定するような科学的事実を公表するわけには行かなかったのであろう.その結果,消費者の間には,「すべての牛を検査して,政府が安全を保証しているのだから,BSEに感染した牛を食べることはない」という誤解が広がった.こうして,「全頭検査神話」が作り上げられていった.
(2)2002年 パニックの終焉
 誤解は,消費者だけでなく,国会議員にも広がっていた.2月1日にパリの国際獣疫事務所を訪問した自民党調査団は,「全頭検査によって日本の対策は万全」と主張した.ところが事務局長のBernard Vallat博士から「30カ月未満の牛の検査には科学的な根拠はなく,消費者への政治的な配慮であり,安全対策としては無駄である」と言われた[28].
 しかし,検査の限界を認識する議員もいた.3月26日の参院予算委員会BSE問題集中審議において,江田五月議員が「24カ月齢以下の牛はBSEに感染していても検査では分からない.全頭検査は必要だが,それで安全が確保できたとは論理的に言えない.国民にあいまいな認識を伝えるべきでない」という趣旨の質問を行った[20].
 これに対して,農林水産大臣は「英国の成績では,30カ月齢以上でBSEに感染する確率が99.95%で,若い牛ほど確率は低いが,大事なことは安全と安心の距離を埋めることで,0.05%といえども感染の確率があればこれを排除する,世界に類例のない体制を作ろうと全力を挙げている」と,以前と同じ回答を行った.
 その後,政治の場でBSE検査の限界について取り上げられることはなかった.しかし,民間では検査の科学的な意味を国民に知らせようとする努力が始まった.2月には国際獣疫事務局名誉顧問の小澤義博博士が論文の中で,若齢牛の検査は無意味であることを述べた[29].
 7月3日には,農水省の招聘で来日したスイス連邦獣医局のDagmar Heim博士が武部勤農水大臣との対話の中で,全頭検査には科学的な根拠がないと主張した.その後の記者会見の中で大臣は,全頭検査には科学的な根拠はないかもしれないが,政治的な根拠は確かにあると説明している[27].これは全頭検査の正しい評価であり,農林水産大臣の発言はそのような政治的意図によるものであったとも推察される.
 4月2日に発表された「BSE問題に関する調査検討委員会報告書」は,BSE発見前後の農水省,厚労省のBSE対策を厳しく追及し,食品安全基本法の制定(2003年5月16日),食品安全委員会の設置(2003年7月1日)など,わが国の食品安全の体制が大きく変わるきっかけになった[15].
 この報告書は,政府に対する信頼の確保と,消費者の不安の解消のために,情報公開とリスクコミュニケーションの重要性を強調している.この報告書は,「全頭検査の誤解」を解くための貴重な機会であった.また委員の中にはBSE問題の専門家である山内一也教授も含まれていた.にもかかわらず,そこには,BSE検査が感染牛を見逃すという事実については一切触れていない.
 そればかりか,そこには政府の立場に立って,全頭検査を評価する以下の記述がある.「10月18日,すべての年齢の牛について危険部位の除去と,いわゆる全頭検査が開始された.これにより,国際的にもっともきびしい安全対策が実施されることになり,食肉処理施設から出る牛由来産物はすべて安全なもののみになったとみなせる.BSE発生のニュースを受けてから1カ月あまりという,きわめて短期間で全国的な検査体制が作られたことは高く評価できる.」
 この記述が,パニックを収めるための政治的な配慮であったことは容易に理解できるが,国民に真実を伝えるための情報公開とリスクコミュニケーションの実施を提言した報告書としては,大きな疑問が残る.
 5月に4例目,8月に5例目,2003年1月に6例目のBSEが発見された[16].この間,農家は廃用牛の出荷を自粛し,食肉処理施設はその入荷を制限した.行き場を失った廃用牛を河川敷などに捨てる事件が続発し,廃用牛をこっそり殺処分したとのうわさもあった.このような牛の中にBSEがいたとすれば,感染牛の数は現在知られているものよりかなり増えるはずである.
 北海道の食肉処理施設では,「生体検査で左前脚に神経症状があるが,BSEに特徴的な症状は見あたらない」と判断した牛が,検査の結果,4例目のBSEであることが分った.潜伏期のBSEを目視で発見することは不可能だが,メディアの厳しい報道があり,担当の29歳の女性獣医師が自殺するという痛ましい事件も起こった.
 「全頭検査神話」の効果が現れたためか,BSE発生の約半年後からパニックは徐々に収まり,牛肉の価格は9月には1,000円台を回復した(図3).
(3)2003年 全頭検査神話の強化
 5月30日の厚生労働省薬事・食品衛生審議会伝達性海綿状脳症対策部会において,検査の限界が議論され[30],参考人から「検査でBSEではないとされた牛の中に,実際はBSEに感染した牛がいるのか」との質問があった.
 厚生労働省はこれを認め,「全頭検査でBSEのリスクが大きく減るが,まだ見逃しがあるので,危険部位除去でリスクをさらに減らす」という答弁をした.リスク管理の常識では,90%以上のリスクを削減できる危険部位の除去が第1選択であり,見逃しが多い検査は補助手段に過ぎないことはすでに述べた.したがって,厚生労働省の説明は全頭検査を正当化するための詭弁であった.これを聞いた山内一也委員は,「危険部位の除去が最重要であり,全頭検査はリスクをさらに減らすための手段だ」と延べて,厚生労働省の見解を訂正した.
 参考人から,これまで行政が「全頭検査をすれば肉は安全」という間違った宣伝していたことの責任を問う質問が行われたが,十分な回答は行われていない.
 5月16日に,消費者の安全を目標に掲げた食品安全基本法が制定された.7月1日に,内閣府食品安全委員会が設置された.そしてBSEパニックが収まりつつあったこともあり,全頭検査見直しの機運が芽生え始めた.
 しかし,10月と11月に23カ月齢と21カ月齢のBSE陽性牛が見つかった[16].このことは,「全頭検査の正しさが証明された」という関係研究者のコメントと共に,メディアで大きく取り上げられ,全頭検査見直しの機会は遠のいた.
 これらの牛は,これまで発見された感染牛の1/500から1/1000の量の病原体しか持たなかった[31].したがって,危険部位さえ除去すれば,これらの牛のリスクは無視できる程度であったが,この事実は一般にはほとんど知られていない.さらに,この2頭の牛がBSEなのか,当初から疑問が持たれ,動物衛生研究所において感染実験が行われた.その結果,2007年に,これら2頭には感染性がないこと,すなわち「(伝達性)牛海綿状脳症(BSE)」ではない可能性があることが確認された[32].
 12月24日,米国で初めてのBSEが発見され,政府は米国産牛肉の輸入を停止した.米国産牛肉は危険だという報道が氾濫し,これまで嫌われていた国産牛肉がにわかに安全なものに代わっていった.その理由は,日本は世界一厳しい全頭検査を実施しているからというものだった.こうして,全頭検査神話はさらに強固なものになっていった.

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