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3 控訴審における飼い主らの主張
《治療義務違反》
 飼い主側は,獣医師Aは《1》遅くとも平成13年8月までに,本件腫瘤の悪性・良性の別を判定するために生検(無麻酔の針生検または局所麻酔下の針パンチ生検)を行う義務があるのにこれを行わないまま放置し,また本件手術に際しても,生検の実施により必要な切除範囲を検討せず腫瘤の状態を確認しないまま悪性腫瘤の部分を取り残し,かえって悪性腫瘤を肥大化させ,それにより併発した肺水腫と思われる症状により本件犬を死亡させた.
 《2》手術後傷口から何度も出血等していたから,血液検査を行って適切な治療方針を選択すべきだったのに,本件腫瘤が悪性であることが判明した後も何ら適切な措置を講ぜず,思いつきで傷口を絞り出させるなどした.
 《3》手術後の平成14年7月25日に呼吸異常を認識したのだから病因の診断に必要なX線検査を行うべきだった.
 《4》手術後の平成14年7月28日,息苦しそうにやっと息をしている本件犬に対し,強い痛み止めを注射して死なせた.
 《5》これらにより本件犬の死期を早めた治療義務違反があると主張した.

《説明義務違反》
 さらに,《6》手術を行うに際し,本件犬の症状(本件腫瘤の悪性・良性の別),手術による回復の見込み,手術により生ずる危険,本件手術を施行しない場合に予想される結果等について説明すべき義務があったのに,本件腫瘤が悪性か良性かはわからないが,摘出するしかないと説明するにとどまった.老犬であり本件手術以前の手術の予後があまり良くなかったことから,飼い主らは再度の手術はできるだけ避けたいと考えていたのであり,そのような意向を獣医師らは認識していた.仮に本件腫瘤について悪性の可能性があること,あるいは良性のものであっても手術が危険なものであることについて説明を受けていれば,本件手術に同意せず穏やかな老後を送らせる選択をしたものである.そして手術前の犬の体調は良かったのだから,手術を受けなければ手術の1カ月半後に死亡するようなことはなかったのであって,犬の死亡との間に因果関係が存在する.
 《7》病理組織検査の結果を告知する際,より高度な治療方法や安楽死の選択についても説明すべきだった.
 《8》手術後の異常について,その時々の本件犬の症状,その原因,適切な治療方法等を説明すべきだったのに民間療法を説明するにとどまったことは説明義務違反にあたる.
 以上の3点を説明義務違反として主張した.

4 名古屋高裁の判断
 名古屋高裁ではこれらの主張を次のように判断している.
平成7年6月20日発行『小動物の臨床腫瘍学』[7]を参照し,治療における医学的知見を踏まえた上で,
 《1》本件腫瘤のあった部位は左前腕部(左前肢)であり,その生検材料の採取が困難な状況にあったとも,危険を伴うものであったともいえず,本件腫瘤が悪性のものであり再発すれば断脚(断肢)するしかなく,すでに後肢に関節症の症状のあった本件犬にとって重大な障害を残す状況にあったのであるから,遅くとも「本件手術施行前に,本件腫瘤につき悪性・良性の別の診断に必要な生検(針パンチ生検を含む.)を行うべき義務があった」.獣医師らは,本件腫瘤が悪性のものか良性のものかは治療内容に影響しないかのように主張するが,腫瘍のタイプにより治療内容が変わることが一般的に予定されており,悪性の腫瘍の場合であっても手術以外に保存的治療法を含む他の治療法もあったのだからこの主張は採用できない.一方で,腫瘤のあった部位が左前腕部(左前肢)であり,断脚(断肢)せずにその機能を保持しようとする範囲では最大限に切除したのであるから治療義務違反があったとはいえない.
 《2》手術後の術部に対する一応の治療を実施している.また,7月9日以降は独自の処置を行うことを飼い主らが自ら選択したのであるから獣医師の治療義務違反があったとはいえない.傷口を絞り出させたとも主張するが,もともとこれは飼い主の発案によるもので,医学的に無意味な行動であっても飼い主の思うとおりにさせてやろうとしたとも考えられるのであるから,獣医師Aの治療義務違反があったとはいえない.
 《3》手術後の呼吸異常は往診した際,症状緩和のための対症療法を行ったものと認められ,同時期にX線検査を行って診断し治療に当たることで,延命にどの程度効果があったかは証拠上不明といわざるを得ない.
 《4》《1》に示したように,手術に際しその実施前において必要な生検を行うべき治療契約上の治療義務があったのに,これを怠った義務違反行為(過失)があったが,その他の治療義務違反は認められない.
 そして,《5》本件生検はそれに従って以後の本件犬の治療方法について飼い主らに対する説明がなされ,その同意の下に治療方針が決定されるための前提となる検査であるから,本件犬に対する本件手術の実施の要否等に関する説明義務に関連するのであるが,生検をしなかったことそのことにより,犬が死亡すべき時期でない時期に死亡したとの事実を認めるに足りる証拠はない.本件犬は,生後13年あまりの老齢犬であること,ゴールデン・レトリーバーについては10歳までに死亡するものが多いこと,手術当時,腫瘤のほかに後肢の関節症等の疾病もあったことが認められるから,それほど長期の余命はそもそも期待できないものと推認される.
 説明義務違反については,《6》「ペットは,財産権の客体というにとどまらず,飼い主の愛玩の対象となるものであるから,そのようなペットの治療契約を獣医師との間で締結する飼い主は,当該ペットにいかなる治療を受けさせるかにつき自己決定権を有するというべきであり,これを獣医師からみれば,飼い主がいかなる治療を選択するかにつき必要な情報を提供すべき義務があるというべきである.そして,説明義務として要求される説明の範囲は,飼い主がペットに当該治療方法を受けさせるか否かにつき熟慮し,決断することを援助するに足りるものでなければならず,具体的には,当該疾患の診断(病名,病状),実施予定の治療方法の内容,その治療に伴う危険性,他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失,予後などに及ぶものというべきである」.本件については,生検義務違反によって,手術の実施に際し腫瘤が悪性・良性のいずれのものであっても摘出するしかないこと,腫瘤が大きくなっているため,もともと後肢の悪かった犬の歩行に支障を来すおそれがあることを説明するにとどまり,「手術に伴う危険性として腫瘤が悪性である場合には,術後再発したときは断脚するしかないことについては説明しなかったのであるから(これを説明したのは手術施行後の病理組織検査結果が判明した後であった),この点につき獣医師Aには治療契約上の説明義務違反がある」というべきである.犬が平成14年6月当時すでに老齢であったことや,本件以前の腫瘤の手術結果が思わしくなかったことなどから,できるだけ余生を平穏に過ごさせてやろうと飼い主らが考えていたこと,そのため腫瘤が悪性のものであり,手術にもかかわらず完治せず再発した場合には断脚のほかに治療法がないことの説明を受けていれば,犬にとって負担となる手術に同意することはなく,経過を観察しながら保存的な治療を選択することになったものと認められ,また手術を受けることなく保存的な治療をした場合には,それほど長期の余命は期待できないものとしても,手術後1カ月半程度で死亡することはなかったものと推認できる.
 《7》飼い主らは手術後に腫瘤が悪性であることが判明した際,より高度な治療方法または安楽死についても説明すべき義務があるのにこれを怠った旨主張する.しかし,再発の場合には断脚のほか,治療効果に疑問を呈しつつも,抗がん剤の投与や放射線治療の他に選択可能な治療方法につき一応の説明を尽くしているのであるから説明義務違反があるとはいえない.安楽死については,一般に治療行為と評価することはできないものであるから,飼い主が獣医師に対しこれを積極的に希望することを明確に表明した等の特段の事情がないかぎり,獣医師が安楽死につき説明すべき義務を負うものではない.
 《8》飼い主らは,手術後のその時々の犬の症状,原因,適切な治療方法等を説明すべき義務があるのにこれを怠った旨主張する.しかし,腫瘤が悪性のものであることが判明した後は,その旨及び効果的な治療方法として再手術か断脚しかない旨説明し,実際に再発した際もこれを説明していた.犬の死期が迫った時点では,その症状,原因を診断し,説明したとしても飼い主らが選択し得る適切な治療方法はもはや存しなかったのであるから,自己決定のために説明すべきものは何もなかったとして,この主張を退けた.
 また飼い主らは獣医師の妻Bに対しても,治療義務違反及び説明義務違反がある旨を主張したが,本件犬の治療契約はその飼い主らと獣医師Aとの間で締結されたのであって,Bは獣医師の資格を有せず,治療行為の補助をしていた者にすぎないから,治療契約に基づく債務としての治療義務や説明義務を担うものということはできない.そして,犬の治療の過程において,BはAの指示に基づきその指示のとおりの治療補助行為を行い治療に関する説明を行ったとしても,当該行為による債務不履行または不法行為としての責めはAが負うべきものであり,原則としてBは負わない.Bが指示を実行する際,故意または過失により犬の身体に指示以外の侵襲を与えたという場合や,指示のない行為をして犬の身体に侵襲を与えたという場合,またAの了解を得ないで犬の治療に関する説明を行い,そのことが本件犬の治療に関する飼い主らの対応を誤らせる原因となったという場合には,BがAと別個に,またはAとともに不法行為法上の責めを負うことになるとして,主張を退けた.
 以上により,名古屋高裁金沢支部は獣医師Aについて,必要な術前生検を怠った治療義務違反,及び悪性で再発した場合には断脚しかないことを術前に説明しなかった説明義務違反があったと認めた.これと相当因果関係のある損害賠償金の認定は以下のようになされた.すなわち,ペットの治療契約上の義務違反がなければ手術を受けさせることはなかったので,本件手術費及び術後の術部に対する治療費として7万円を認めた.慰謝料については,相当の老犬であり手術当時におけるその交換価値はほぼ皆無であったと推認されるが,子供のいない飼い主らにとって正にわが子のような存在であり,犬の治療方法選択に当たっての自己決定権を侵害された精神的苦痛は慰謝に値すると認められ,1人当たり15万円が相当であるとした.これに弁護士費用5万円を加え,合計42万円の支払を命じた.

5 考  察
 獣医療にまつわる訴訟の高裁判決は非常に珍しい(検索できた中では初の事例である).これまでの獣医療事故訴訟においては,治療上の過失,手術ミス等が主な争点であったが,本件では『獣医療における説明義務』が中心となった.
 人の医療過誤事件においては,説明義務違反は技術上の過誤と並ぶ責任成立要件として,大きな地位を占めている[6].医療行為そのものには不適切な点はないとされた場合にも,説明が不十分あるいは適切でなかったとして,医師の賠償責任が肯定されることは少なくない.
 医師の患者に対する説明義務が最高裁判決で認められたのは,昭和56年[1]が最初であった.この判決は頭蓋骨陥没骨折の傷害を受けた患者の開頭手術を行う際に,医師はその手術の内容及びこれに伴う危険性を説明する義務を負うとしたもので,ここで医師に認められた説明義務は「治療の内容と危険性」であり,「患者の現症状とその原因」,「手術による改善の程度」,「手術をしない場合の具体的予後内容」,「危険性について不確定要素がある場合にはその基礎となる症状把握の程度」,「その要素が発現した場合の対処の準備状況」についてまで説明する義務は無いとされた.しかし,平成2年に日本医師会長宛てに提出された日本医師会生命倫理懇談会の報告に明記されている医師の説明義務とその範囲は,《1》病名と病気の現状,《2》これに対してとろうとする治療の方法,《3》その治療方法の危険度,《4》それ以外に選択肢として可能な治療方法とその利害得失,《5》予後であった[2].
 一方,日本獣医師会が規定しているインフォームド・コンセントとは,「獣医師と飼育動物の飼育者との間の信頼関係を築き,両者が協力し合うことによってより良い小動物医療を提供することを目的として実施する」ものである.そして,獣医師による事前説明の具体的な内容としては,《1》受診動物の病状,《2》検査や診療の方針とその選択肢,《3》予後等,《4》診療料金とされている[4].今回の判決では前述のように,「当該疾患の診断(病名,病状),実施予定の治療方法の内容,その治療に伴う危険性,他に選択可能な治療方法があればその内容と利害得失,予後などに及ぶ」とされた.つまりこれは,日本医師会の示している医師の説明義務に準じたものだったのである.
 本件事例を一読すると,日本獣医師会の指針は満たしていたかのような印象を受ける.しかし熟読すると,治療方法等の説明にあたりさまざまな状況を考えたのに,それをすべて口に出して説明してはいなかった.これは臨床獣医師が日常的に遭遇する場面であり,身につまされる獣医師も多いことであろう.特に本件のように,犬が高齢であったり,飼い主が手術に積極的でなかったりする場合,麻酔や手術によるリスクを最小限にとどめるために,1回の施術で治療したいと考える獣医師の心情も容易に想像できる.本件判決文からは,犬の体格,腫瘤の正確な部位及び大きさ,血液検査データ等の全身状態が提示されていないため詳細な状況は把握しがたい.また飼い主により飼育動物に対する姿勢も異なるため,腫瘤の発見当時及び術前にどれだけの説明をすることが適切であったかははっきりしない.しかし一般論として,治療に際し説明をするにあたっては,獣医師は専門家として有する知識を,素人である飼い主にも理解できるように,順を追って丁寧に説明し,その時点で想定できる情報はできるだけ飼い主に与えて理解してもらう必要があろう.それが,今回の判決が示した(人の医療水準に準じた)法的に獣医師に求められるインフォームド・コンセントであることを認識しなければならない.
 今回紹介した獣医師の説明義務違反を認める判例が出たことにより,今後は説明義務違反を争う事例が増えてくる可能性がある.獣医師は飼い主に不誠実だとの誤解を生じぬよう,誠意を尽くした診療をする不断の努力が求められている.
引 用 文 献
[1] 判例タイムズ,447,78,判例タイムズ社,東京(1981)
[2] 判例タイムズ,1217,294-303,判例タイムズ社,東京(2006)
[3] 日本医師会生命倫理懇談会:日本医師会雑誌,103(4),515-535(1990)
[4] 日本獣医師会:獣医師倫理関係規程集,7-8(2004)
[5] 日本獣医師会誌,58(3),161-162(2005)
[6] 手嶋 豊:判例タイムズ,1178,185-189,判例タイムズ社,東京(2005)
[7] Withrow & MacEwen:小動物の臨床腫瘍学,加藤 元,他訳,55-59,文永堂出版,東京(1995)

 

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