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論 説

これからの産業動物獣医師の役割
―岩手大学農学部附属動物医学食品安全教育研究センター設立にあたって―

内藤善久(岩手大学農学部附属動物医学食品安全教育研究センター長)
 
先生写真1 は じ め に
 平成18年4月岩手大学は,農学部に附属施設として「動物医学食品安全教育研究センター」を新設した.ある方が,その名称を「少し名称が長いですね」と感想を述べられたことがある.しかし,この名称にはこれからの産業動物獣医師の役割が込められていることを申し述べた.すなわち,「動物医学」と「食品安全」との用語は,いつも連動して語られていなければ,本当の意味の「食」特に畜産物の安全と安心は確保できないと考える.その考えの一つには「動物医学」の意味する産業動物(牛,豚,鶏)の臨床と衛生は,いつも安全な畜産物を供給することを念頭において日々の診療あるいは検査にあたることを基本としなければならないとするものである.また,その二つには「食品安全」が単に「食品」となったものの安全性のみを検証するのではなく,動物の健康と給与飼料の安全性にまでさかのぼって検証されて,はじめて本来の食品の安全が確保されるものであるとするものである.これらの二つの強い思いが「動物医学食品安全」の用語に込められていることを理解していただきたいとのことを説明した.本センターが設立された中で,臨床にたずさわる臨床獣医師と家畜衛生にたずさわる家畜保健衛生所獣医師をここでは産業動物獣医師と包括して,その将来像について私見を述べる.

2 生産者が期待する産業動物獣医師
 少し古いデータになるが,日本獣医師会が「獣医業の将来見通しに関する調査報告書」(1)の中で“生産者が我々産業動物獣医師へ何を望むか”について調べた結果によると,臨床獣医師に期待するものとしては「近代的な治療技術を身につけて欲しい」(15%)などとともに「診療以外の指導などもして欲しい」ことを29%の生産者が強く望んでいた.また,もし,そのようなものに対して指導性を発揮できなければ,アンケート結果にあった「期待すること無し」の比率(32.5%)がさらに増えてくることが心配される.臨床獣医師の社会における必要性をさらに高めるためには,獣医療技術以外の畜産関連の知識から食品の安全性,そして環境に至るまでの広い学問的知識が必要と考えられる.一方,その中で「家畜保健衛生所獣医師に対して期待すること」では,やはり予防業務などの実際業務以外に「畜産の有用な情報を提供して欲しい」とするものが43.7%と社会情勢の動きに対応しようとする生産者の要求がこのアンケート結果にも現れていた.
 このように,生産者が,臨床獣医師や家畜保健衛生所獣医師に対しては最新の獣医療技術はもちろんのこと,それ以外での指導性に対しても強い期待を寄せていることがわかる.これらのことから,産業動物獣医師が社会の変化に応じて生産者と消費者のいずれにも期待される獣医師であり続けるには,獣医療技術の専門性を深めると同時に獣医学プロパー以外の広い知識の習得が重要であることが上記のアンケート結果からも伺い知ることができる.その後のアンケート集計がないので,最近の動向は読めないが,産業動物獣医師に対しては,「食の安全と安心」や環境対策などの専門以外の広い知識がさらに求められてきていることが推察される.

3 消費者の視点に立った産業動物獣医師
 消費者は,「牛海綿状脳症(BSE)」や「高病原性鳥インフルエンザ」などの社会的な事例を背景として,畜産物の生産から食卓までの過程が常に厳密に検査されていることを強く望んでいる.しかし,昨今になって日本における畜産物の検査システムが一貫性に欠けていることに気づいた.それは,行政における縦割り制度である.食肉検査システムを例にとっても,農林水産省における家畜保健衛生業務や診療業務と厚生労働省の食肉衛生検査業務との連携が少なかったことが,大きな「食の安全と安心」に関わることとなった.さらに,このことを言及するとそれぞれの基盤の違いにあることによった.農水省は生産者の立場を強調し,一方,厚労省は消費者の立場からそれぞれ発言していることが多かった.このことは,我々大学の中でも同様であった.10数年も前になるが,公衆衛生学の専門家である本学の品川邦汎教授と獣医内科学を専門とする著者とがある機関から酪農家の実態調査を依頼されたことがあった.その時,検査対象となった牛乳の中には細菌数の多いものや時には菌数が少なかったが悪臭を発するものなどを目の当たりにして愕然としたことが想い出される.その時始めて,自分が生産者だけの視点で発言してきたことを自省した.それから,品川教授と一緒に岩手大学の中に臨床関係者や公衆衛生学関係者,さらに畜産を担当する関係者との間で学問分野の枠組みにとらわれずに,学際的・横断的な教育研究を展開することが今後重要であるとの認識で立ち上げたのが「動物医学食品安全教育研究センター」である.

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