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4 世界牛病学会の日本招致と今後への期待
 ここで,筆者は日本産業動物獣医学会会長就任当時から,国際交流の場と考え,種々取り組んできた,世界牛病学会について述べたい.
 世界獣医学協会(WVA)に加盟している学術団体のうちで,最も組織の大きいのが世界牛病学会(WAB)である.WABはドイツのハノーバー獣医科大学の故ローゼンベルガー氏らの提唱で発足し,1960年に第1回が開催され,以後,2年おきに開催されている(表1).

表1

 WABの目的は,牛の管理,生産,疾病防除に関する科学的及び臨床的な知見を普及することである.そのために牛病のみならず,牛の生産に関するあらゆる分野(栄養,遺伝,繁殖,バイテクなど)の有能な研究者によって得られた最新の知見を公開して,牛臨床獣医師の知識と技術の向上に寄与することである.
 世界牛病学会の日本人パイオニアは,第7回(1972年,ロンドン)に参加した故臼井和哉氏(本誌,第26巻,第4号,198〜200頁)が嚆矢であった.臼井氏の紹介と啓蒙により,国内でもWABに対する関心と機運が盛り上がり,徐々に参加者が増えていった.
 1985年になって,当時のWAB事務局長のハノーバー獣医科大学シュテーバー氏から日本側の責任者を決めるよう要請がきた.それを受けて,全国家畜病院運営協議会の場で,当時44歳であった筆者が日本代表に選ばれた.
 このことが1986年のWAB(ダブリン)で報告され,日本の実質的な加盟が実現した.組織としての正式な加盟は1988年(マヨルカ)になされ,その間,研究者と臨床獣医師を網羅した全国組織としての世界牛病学会日本部会が1987年に臼井氏を会長として会員459名で発足した.
 その後WAB日本部会は,入会の勧誘(700名に達した),WABからの情報伝達,WABへの講演募集と参加案内,参加と視察ツアーの組織(1988年から毎回),各誌へのWAB参加報告,海外著名学者の招聘,シンポジウム開催,WAB機関誌の配布など精力的な活動を展開した.
 他方,日本獣医師会では従来の学会組織が改組され1990年4月に日本産業動物獣医学会が日本学術会議の登録団体とされたが,WAB日本部会は,その対象,目的,活動が同学会と軌を一にすることから,検討の結果,発展的に解消され,1991年4月からは同学会がWABの日本における受け皿となり(本誌,第44巻,第3号,225〜226頁),同学会内の世界牛病学会部会として発足した.
 その間,上記の諸活動は益々活発になされ,WABの参加者数と発表数は大幅に増加した.
 WABは1990年までは異なる国での開催を原則としてきた.そのためすでにアジアを除く5大陸で実施され,中には国力や人口,獣医師数で日本よりはるかに小さな国々でも開催されてきた.筆者が,「日本では1万人以上の獣医師が牛の臨床や家畜衛生,食品衛生に従事している.」というと,目を丸くして驚き,「ぜひWABを日本で開催してほしい」と要望されることが頻繁であった.
 すでに日本では世界獣医学大会をはじめ,獣医畜産関連の国際学会が数多く開催されてきた.それらの経験を参考にして,2000年のWAB(ウルグアイ)に2004年の札幌開催を目指して立候補した.
 カナダと日本の一騎打ちとなり,最初の理事14名による投票では7対7と同数.再度の投票となり,前回から立候補を続けていたカナダに同情票が2票移り,札幌は惜敗した.理事の一人であった筆者はただちに相手に祝意を述べ,次回の立候補を表明した.すべての理事がこれに賛同してくれた.
 これを受けて,2年後の招致に向けた活動を再開したが,諸般の事情から立候補が断念され,今日にいたっている.
 世界が期待している日本開催には,わが国としても次のような大きな利点がある.
  • 居ながらにして世界の最先端の知識と技術が入手できる.
  • 国内事情から縮小を余儀なくされている産業動物分野の獣医師の活性剤となる.
  • 世界各国の獣医師との一体感が醸成される.
  • 研究者のみでなく,一般の獣医師会会員が参加することにより,国際交流の基盤が飛躍的に拡大する.
  招致を実現するためには,WABに多くの獣医師が参加して,多くの知己を得ることが大切である.
 牛病のみならず,豚,馬,鶏など産業動物に関係する獣医師一人一人が,活発な国際交流を行っている小動物関係獣医師に見習って,海外に関心を持ち,実際に出かけることを期待する.


† 連絡責任者: 浜名克己
〒579-8012 東大阪市上石切町2-1277-1
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