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解説・報告

犬及び猫のインフルエンザ
─ 公衆衛生委員会(日本獣医師会公衆衛生部会常設委員会)の見解 ─

丸山総一 (日本大学生物資源科学部教授・神奈川県獣医師会会員)

 1997年に香港でH5N1亜型の鳥インフルエンザウイルスによる人の症例が初めて報告されて以来,鳥インフルエンザは家畜衛生,公衆衛生の面でも世界的な問題となっている.鳥インフルエンザによる人の感染は,2006年には10カ国,81名の患者と52名の死者が報告されている(6月6日現在,WHO).わが国においても,2004年に山口県や京都府でH5N1亜型の高病原性鳥インフルエンザウイルスの感染が鶏に発生し,大きな社会問題にもなった.また,昨年から今年にかけては,茨城県内でH5N2亜型による鳥インフルエンザが発生したが,ようやく沈静化した.
 2004年にアメリカのフロリダ州で,馬インフルエンザウイルスと同じ亜型のウイルスによる感染が犬に発生した.この事例以降,米国の各地で犬インフルエンザが報告されるようになった.一方,タイでは,猫や猫科動物でH5N1亜型の鳥インフルエンザウイルスによる感染が2003年〜2004年にかけて報告された.このように,インフルエンザウイルスに感染しない動物種と考えられてきた犬や猫でインフルエンザの発生が報告され,このウイルスの宿主域の拡大が危惧されるようになった.
 現在,わが国では1,200万頭の犬,1,100万頭の猫が飼育されているといわれている(平成17年,ペットフード工業会資料).今や犬及び猫は単なるペットというより家族の一員として扱われるようになり,人との距離は以前にもまして近くなってきた.このような背景から,自分の飼育している犬や猫がインフルエンザに感染し,また人にもうつるのではないか,という相談が最近開業獣医師に持ち込まれることが多くなったとのことである.日本獣医師会の公衆衛生委員会においても,犬及び猫のインフルエンザの問題が提起され,どのように対応すべきか見解が求められた.
 わが国で牛海綿状脳症が初めて発生した際,国民へ情報が正しく伝わらなかったため,多くの風評被害が発生した経緯がある.したがって,犬及び猫のインフルエンザに関する各種の情報を収集・分析するとともに,正しい情報を飼い主に提供し,われわれ獣医師も冷静に対応することが重要であると思われる.
1 犬インフルエンザの発生状況
 2004年1月,アメリカ合衆国のフロリダ州のジャクソンビルのドッグレース場で犬インフルエンザの発生が初めて報告された.
 (フロリダ州の事例)本症に罹患した22頭のレース用グレイハウンドのうち,8頭が出血性肺炎で死亡した.この事例から分離されたウイルス3株を解析したところ,すべての株は馬インフルエンザウイルス2型と同じH3N8亜型と一致した.グレイハウンドが馬とどのような関係にあったかは不明である.
 その後,2004年6月から8月にかけて,6州(アラバマ,アーカンサス,フロリダ,カンサス,テキサス,ウェストバージニア)の14カ所のレース場でも犬インフルエンザの事例が報告された[1].
 (アイオワ州の事例)2005年4月,アイオワ州の2カ所のドッグレース場で,H3N8亜型インフルエンザウイルスによるグレイハウンドの感染流行があった.症状は突然の発熱,咳,呼吸促迫,出血性の鼻漏が特徴的であった.罹患率は100%,死亡率は5%以下であった.感染犬のほとんどは治癒したが,出血性肺炎で死亡した個体もいた[7].
 2005年1月から5月にかけては,11州,20レース場で犬インフルエンザの流行があった.犬インフルエンザはカリフォルニア州やワシントンDCを含む12州で,ペットの犬にも発生した.これらの事例は,動物管理センター,ペットショップ,動物病院等で発生した[1].
2 犬インフルエンザウイルスとは
 インフルエンザウイルスはオルトミクソウイルス (Orthomyxoviridae) 科に属し,直径80〜120nm,8つの分節状になった一本鎖RNAを有している.核蛋白質及びマトリックス蛋白質の抗原性により,A,B及びC型に分類される.犬インフルエンザは,A型インフルエンザウイルスが原因である.A型のウイルスは,ヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の表面糖蛋白により,多くの亜型に分類される.現在,HA型は16(H1-H16),NA型は9(N1-N9)のタイプがある.A型インフルエンザウイルスによく感染するほ乳類の人,豚及び馬では,感染するウイルス亜型は限局されており,通常の宿主となる動物以外から他の亜型が検出されることはほとんどない.
3 犬インフルエンザの伝播様式と症状
 犬インフルエンザウイルスは呼吸器分泌物のエアロゾル,汚染器具,罹患犬と非罹患犬の間を行き来した人を介して拡散する.潜伏期は通常2〜5日で,罹患犬は最初に臨床症状が現れてから4〜7日間ウイルスを排泄する.
 犬インフルエンザの臨床像は軽症型と重症型に分類される.犬種,年齢に関わらず,すべての犬は感受性がある.本ウイルスに暴露されたすべての犬は感染し,また感染した犬の80%近くは臨床症状を示す.幸いなことに,ほとんどの罹患犬は軽症型である.
 軽症型: 罹患した犬は10日から30日間持続性の軽度の湿性の咳をする.Bordetella bronchiseptica/parainfluenza virusによる混合感染の「ケンネル・コフ」に類似した乾性の咳を発することもある.そのため,犬インフルエンザは,しばしば「ケンネル・コフ」と間違えられる.犬は細菌の二次感染により,膿性鼻汁を排泄する場合がある.
 重症型: 犬は高熱(40〜41℃)を発し,呼吸促迫や努力呼吸といった肺炎の兆候を示す.肺炎は細菌の二次感染による場合もある.致死率は5〜8%である.

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