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獣医師の役割と伴侶動物医療の今後
(小動物臨床部会の役割)
細井戸大成†(日本獣医師会小動物担当理事・大阪市獣医師会副会長) |
![]() 日本獣医師会においては数年来の検討の結果,17年度より職域別の部会制を発足させた.事務事業の運営形態が大きく変わり,各部会がそれぞれの目的・役割を明確にしつつ,獣医師会運営に深く関わっていくこととなった. 小動物臨床部会を担当する職域理事として,若輩・不勉強をお許しいただき,「獣医師の役割と伴侶動物医療の今後について」述べたい. ここ数年来,小動物獣医療をめぐる情勢を考察すると,少子化,一人暮らし世帯の増加等を背景にペットを家族の一員と認識し,室内で動物と暮らす人が増加している(一説では,わが国の35%強の世帯でペットが飼育され,うち70%が室内飼育といわれている). つまり,「動物を飼う」から「動物と暮らす」,言い換えれば,ペットを単なる「愛玩動物」から生活をともにする「伴侶動物」と認識する人が増えていることの現れでもある. また,動物が室内で暮らすことで,人と動物との関係がより密接となり,人も動物も寿命が延び,動物が罹患する疾病も複雑となり,小動物診療獣医師には,動物の健康管理ばかりでなく,人と動物双方の健康と福祉と生活の質を維持するために多様かつ高度な診断や治療が要求されるようになってきた. 一方,家畜衛生・公衆衛生領域においては,わが国で,平成12年に口蹄疫が92年ぶりに発生したほか,平成13年にはBSE,平成16年には高病原性鳥インフルエンザが79年ぶりに発生した.そして,海外では,特に近隣の東南アジア諸国において,狂犬病・SARS(重症急性呼吸器症候群)・鳥インフルエンザによる人の死亡も報告されている. 新興・再興感染症の多くが人と動物の共通感染症であり,獣医師の感染症の予防に関する責務や社会で果たすべき役割はより重要になってきている. このような状況の中,今回は,獣医師の役割の変遷から小動物獣医療に関することについて,おもに「伴侶動物医療」という狭義な表現を用いて,現状と今後について述べたい. |
2 社会における獣医師の役割の変遷と社会貢献 1950年代,わが国の食生活が貧しく動物性蛋白質の確保が困難な頃から,われわれ獣医師は畜産振興に大きく寄与してきた. 当時は,(産業としての)畜産振興への寄与=(獣医師の)社会貢献という図式が成り立ち,獣医学の進歩・発展が,直接,国民の食の確保・安全につながっていた. 家畜飼養学(産業動物栄養学),家畜伝染病学(感染症予防),家畜繁殖学,畜産学などの進歩に伴い,経済効率を向上させながら,良質で安全な食肉・食鳥・鶏卵・乳製品を確保することが可能となった.具体的には,飼養・飼育環境の研究,牛・豚・鶏などの品種改良,飼料・添加物の研究による栄養効率の改善,各種ワクチンや抗生物質による感染症の予防や蔓延防止,受精卵の移植など繁殖技術の向上,さらには,遺伝子研究,クローン技術の開発などにより,効率よく,良質な動物性蛋白質の確保が可能となった. 反面,経済性の追及に伴い,乳牛の搾乳量の増加や肉牛の短期間での体重増加を目的とする濃厚飼料多給に関連した乳房の感染症,ケトーシス,関節疾患,消化器疾患の多発,本来は草食獣である牛の飼料に添加された肉骨粉が問題とされるBSEの発生,野生動物,家畜,家きんと人の体内を経由することによって感染性,病原性が変異した新型インフルエンザの流行(具体的には,鶏舎・豚舎併設飼育など(今も東南アジア,特に中国の南部地域で行われている)で見られるインフルエンザウイルスの鶏から豚,豚から人の体内を経由することによってウイルス株が変異し,感染性・病原性が強くなったインフルエンザの流行)やSARSなど新興感染症の発生等,人と動物の健康に関わる問題が増大してきた. これらの問題に対応して食の安全と安心を守ることは,獣医師の大切な任務として,現在も続いている. また,経済成長が始まった1965年以降,獣医学教育の充実(4年制から6年制への移行),医薬品・化学製品の開発や研究,遺伝子研究が進む一方,人と動物の共通感染症の予防と管理など,人と社会全般の健康を守る公衆衛生という任務も獣医師にとってより重要になってきた. 公衆衛生行政における獣医師の主たる業務は狂犬病予防,食品衛生,と畜検査であった. 1950年に施行された狂犬病予防法のもとに狂犬病撲滅に向けての努力の結果,1957年以降,狂犬病の国内発生はない.(1970年にネパール旅行中に犬に咬まれ,帰国後,狂犬病が発病し,死亡した青年の報告例はある).現在も,各地自治体と地元獣医師会等が委託契約を結び,行政と臨床獣医師とが協力して狂犬病予防注射業務を実施している(接種率の伸び悩みへの対応として,社会の変化に即した接種方法・接種場所の変更など改善すべき点はある). また,食品衛生分野においては食中毒の防止,と畜検査では,家畜の防疫対策もかねて,「生体検査」「寄生虫検査」「病理検査」「微生物検査」などを行い,安全な食を提供することで,人と社会全般の健康を守るという食べ物からの人への感染症を予防するための重要な任務を担ってきた. 感染症の原因が,食品であれば,「食品衛生法」,食肉であれば,「と畜場法」,食鳥であれば,「食鳥処理の事業の規制及び食鳥検査に関する法律」,動物であれば,「感染症法」に基づき対応してきた. しかし,動物性食品による食中毒ばかりでなく,残留農薬・添加物残留動物用医薬品による問題,動物用医薬品(特に抗菌剤投与)の残留による耐性菌の出現,新興感染症の発生など公衆衛生業務もより多様化してきている. 特に,1998年に,人の「伝染病予防法」が抜本改正され,新たに「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)」となったとき,人の感染症対策の法律に,「獣医師」の役割が明文化され,人の感染症対策にとって,人と動物の共通感染症(ズーノーシス)対策や獣医師の役割が必要不可欠と認識された. ここで,ズーノーシス(Zoonosis)という言葉について,整理する. ズーノーシスは,「人と人以外の脊椎動物の双方が罹患する感染症」と定義されている. 日本語では,これまで適切な訳語がなく,人と家畜が共通にもっている伝染病という意味で「人畜共通伝染病」と呼ばれたり,家畜に限定せず,解釈を動物一般に拡大して「人獣共通感染症」と呼ばれたりしてきた.厚生労働省の行政用語では,感染症の中で,動物から人に感染するものを「動物由来感染症」として分類されている.人の健康に危害を与える可能性のあるものを防止するという観点から,動物から人への感染をなくす,つまり,動物での予防・蔓延防止と感染動物(あるいは疑われるもの)と人を極力接触させないことが公衆衛生対策として重要であるという考えのもとに,人だけの感染症と明確に区別するために「動物由来感染症」という表現をしているのである.これは,決して,「動物=悪」ではなく,公衆衛生対策上の対象を明確にするための表現である. しかし,日本獣医師会・日本動物病院福祉協会(JAHA)では,動物福祉という観点,また,一般社会が受けるイメージを考慮し,「人と動物の共通感染症」という表現が適切と考え,採用している. そして,最近問題となる人の感染症(エイズ・インフルエンザ・ウエストナイル熱など)の多くが,人と動物の共通感染症であり,これらの病気の中には,本来は動物の感染症であったものが人への感染性を獲得し,感染環を形成したといわれているもの(牛型結核→人型結核,ハクビシン由来のSARSなど)も多数ある. わが国は幸い,四方を海で囲まれ,野生動物の移動が少なかったため,動物から人に感染して人に重篤な症状や死を引き起こす感染症の侵入や蔓延に関して,比較的安全であった. しかし,昨今の国際交流の増加に伴う人と動物の移動範囲の拡大とスピード化,また,エキゾチックアニマルブームによる多種にわたる輸入動物の増加など,海外からの感染症の侵入は身近な問題となっている(検疫制度の強化,輸入動物の制限など法を整備し,対応している). つまり,身近なペットばかりでなく,野生動物の感染症の調査・研究,さまざまな動物の生態学や行動学に基づく動物の移動に対応した適切な検疫の実施など,多岐に渡る分野での対応が獣医師に求められ,今後,ますます,公衆衛生行政の充実=(獣医師の)社会貢献が重要となる. 次に,伴侶動物医療(小動物臨床)という分野について,考察する. 大学での獣医学教育は,獣医学を「基礎獣医学」,「応用獣医学(公衆衛生)」と「臨床(動物医療)獣医学」分野に大別される. 臨床は,獣医療の中で獣医師が最も直接的に社会と結びつく分野である. しかし,わが国が経済的に安定しなかった頃,小動物臨床に対する評価はあまり高いものではなく,ペットを飼う人に対する社会の感性,ペットに対する評価,ペットを診療する獣医師に対する評価なども,今とは比べものにならない. しかし,1980年頃より,ペットを飼う家庭が増え,ペットに対する社会的認識が徐々に変化し,小動物臨床の分野において,欧米の獣医学,人医学が応用されるようになり,飛躍的に進歩するようになった. また,人と動物がふれあうことによって生まれてくる相互の精神的,肉体的な関わりである「ヒューマン・アニマル・ボンド:人と動物の絆」(以下「HAB」)を大切にするという概念が定着してきた. HABは,地球の歴史,人類の歴史とともに築かれてきたものであり,1970年代より,欧米では,獣医師,動物行動学者や精神医学・臨床心理学の医学者らによって,人と動物の相互作用(Interaction)を科学的に解明するための研究がはじめられた. わが国でも,1980年代後半より,HABに関する研究や活動が広がりをみせはじめ,多くの学会(ヒトと動物の関係学会など)や団体(獣医師会やJAHAなど公益法人や任意団体)が,人と動物の関係に関する研究,学会での研究発表や検討,そして,活動(広報・動物介在活動/療法・動物介在教育など)に取り組んできた. 飼い主の意識も,「ペットを飼う」から「ペットとともに暮らす」という意識に変わり,社会では「アニマル・セラピー」という言葉も出現し,定着してきた. このことは,ペットが伴侶動物として,家族の一員として,社会の一員として,認識されるようになり,より重要な存在になってきたことを証明することでもある. つまり,小動物臨床が一部のペット愛好家のためのものだけでなく,人と動物双方の健康と福祉に大きく寄与する伴侶動物医療として社会認知され,人医療と同様に,より高度化,より専門性が求められると同時に,伴侶動物医療の充実=(獣医師の)社会貢献という図式が成立するようになってきた. 言い換えれば,伴侶動物医療において,人にとっての精神的支柱となりうる動物に対し,より高度でより専門的な,また,よりきめ細やかな動物医療を提供する必要性がでてきた. |
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