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日本住血吸虫病(片山病)の終息と広島県の取り組み
― 白馬・吹雪号の昭和天皇と片山病 ―
1 日本住血吸虫病(片山病)
発生各地では官民が一致して予防,絶滅対策に取り組んだものの,効果は中々あがらなかった.1957年にいたって厚生省は,改正された寄生虫予防法に基づき,日本住血吸虫予防撲滅対策10カ年計画を策定し,水田水路のコンクリート化,殺貝剤の散布,患者の調査と治療などの予防,撲滅対策を強力に推し進めることとなった.
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2 藤井好直医師の片山記
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3 吉田龍蔵医師の活躍
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4 片山病に対する広島県の取り組みと動物実験
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5 白馬・吹雪号の昭和天皇と片山病 昭和天皇は相模湾の海洋生物などのご研究でも有名なように,生物学者としても広く知られている.まだ摂政宮時代の1926年5月(大正15年),広島県下をお巡りになった殿下は吉田医師を召されて,片山病研究の労をねぎらわれている. 1930年11月(昭和5年),神辺町を中心に陸軍特別大演習が行われた.このとき陛下は,福塩線(当時は両備鉄道)の道上駅と万能倉駅の中間地点で下車され,ここから愛馬・吹雪号で数百メートル離れた正戸山まで行き,この山頂から大演習の状況を視察された.片山に近い眼下に広がる一面の水田地帯は,片山病の流行地である. 正戸山にはこのときの御統監之趾の記念碑があり,さらに現在は地元の福山市御幸町郷土史研究会によって,御召列車の臨時停留所跡,正戸山の中腹で吹雪号から下りて山頂へ向かわれたという,下馬所跡の石碑などが建立されている(写真1,2). なお,このときにも陛下に召されてお言葉を賜った吉田医師は,「日本住血吸虫病(片山病)の梗概」と題する冊子を謹呈している. 戦後,全国を巡幸された天皇は1947年12月(昭和22年),3回目の備後路の旅で神辺小学校を訪れた.このとき,案内役の楠瀬県知事に「その後,片山病はどうなっていますか」と尋ねられて関係者を感激させた.このことから福山市と神辺町では,市議会と町議会の中に御下問奉答特別対策委員会を設置し,県でも翌年「広島県地方病撲滅組合」を「御下問奉答片山病撲滅組合」と改め,一層の防除対策に取り組むこととなった. われわれの年代の昭和天皇に対する思い出は,戦後に全国を巡られた人間天皇としてのお姿であり,もう一つは戦時中の白馬・初雪号に跨がった軍服姿の英姿である.この映像が脳裏に焼き付いている. 生物学の研究に取り組まれていた昭和天皇の遺伝子は,野鳥の研究で山科鳥類研究所に通われている紀宮さまに,しっかりと受け継がれているようである.雅子さまも幼い頃は獣医さんになりたい夢もお在りだったという.犬と戯れる愛子さまを始め,動物を愛される皇室ご一家の姿は微笑ましく,祝福申し上げたい.
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