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私の歩んだ日本獣医師会の24年と今後の期待(|)
五十嵐幸男†(日本獣医師会顧問・埼玉県獣医師会会員) |
![]() あの日から約60年近い歳月は流れた今,感無量の心境であり,帰国後日本国政府から現役軍人として戦争参加した私あて「勅令第1号に基づき同令第4条の覚書該当者の指定」という一枚の紙片が届き,いわゆる公職追放の処遇を受けた.さらに加え農地解放と称する無血革命で,働くに職なく,土地なき者の選ぶ道は唯一己の技術を信じるのみで獣医業開業の道しか残されていなかった. 当時(1948)7月法律第116号をもって,獣医師会と装蹄師会はGHQの指令により解散したが,その後自然科学の学問体系の中で広汎にわたる応用技術が国際的にも認識され,自主的な組織として中央,地方を通じて獣医師会の設立が進み,1948年11月9日,日本獣医師会が設立.以来,偉大なる発展を遂げ今日55団体27,330人の構成獣医師を擁する全国団体となった. この間私は1955年以降埼玉県獣医師会理事,副会長を経て1981年より1999年6月まで6期18年間会長を務め退任と同時に名誉会長の推薦を受け,一方1973年日本獣医師会理事に就任,常任理事,副会長を経て1999年より3期6年間第10代会長の重責を拝命,多くの先輩や同僚達の深いご理解,ご協力,温情により明朗にして開かれた獣医師会構築に精進し,2005年6月28日第62回通常総会席上退任し,在任中多くの貴重な体験をしたので以下年代順に概要を述べ反省の資料としたいと思う. |
1 中村 寛会長時代(1973〜1977年) 筆者は埼玉県獣医師会会長栗田武男先生の強い推薦により日本獣医師会理事に選任され,中村 寛会長, 椿 精一,杉山文男両副会長のもとで,初めての理事職に専念することになった.当時畜産の構造変化が進み,農林省信藤衛生課長の所謂,経済衛生,生産的獣医臨床技術のあり方が鋭意検討中であり,一方1968年以来懸案であった獣医師会館建設のために1973年1月建設準備委員会が発足した. 中村会長は産業動物獣医師,獣医公衆衛生は国民に対し安全な食糧の供給を,小動物臨床は正しい動物愛護精神に立脚し飼い主と親密で良質な獣医療を提供すべきであると力説し,就任挨拶の重要事項として[1]新日本獣医師会館建設,[2]獣医師法改正,[3]大学教育年限延長,[4]人工授精師との業務分担問題,[5]食品衛生等を明示された.10月9日には「動物の保護及び管理法に関する法律」が成立公布された. 1974年度頃より魚病対策が急務であるとの声を受け,1975,76年全国的に魚病講習会を開催.八竹昭夫氏らにより養魚界における抗生物質や海草などから漁網を守るための除草剤TBTO等の乱用が指摘され,水産界の薬物乱用に警告を与えた経緯もある. 11月獣医学教育年限延長対策委員会が開催された.中村会長はかねてより政治力の弱さを感じ長谷川四郎,玉置和郎議員に働きかけ12月5日86名の議員により獣医師問題国会議員連盟結成総会が開催され,獣医師問題解決に向けて対応することとなり,1976年文部省に獣医学教育年限延長問題実現を要請し,併せて,調査研究会(越智勇一会長)が発足した. 1976年6月22日砂防会館に於て獣医師法制定50周年記念大会を開催し,約1,200名の参加を得た.この際,[1]6年制獣医学教育の早期実現,[2]獣医師法の改正促進,[3]動物保護法制定の推進,[4]家畜共済制度の改善,[5]産業動物自衛防疫体制の強化,[6]動物薬種商制度の改善等決議し最後に神奈川県獣医師会元会長島崎重太郎(90歳)先生の万歳三唱で閉会となった. なお,50周年を記念し6月27日と7月3日の2回にわたりHNK教育テレビで「あすの村づくり―産業動物獣医師の実態」という番組が放映された.石橋アナウンサーを司会に中村会長以下五十嵐,伊豆,安達,酒井,佐藤ら6名の産業動物を中心とする臨床獣医師が出演し,農村獣医師の高齢化と減少が進み,農村獣医師に若手獣医師の参入減少等がみられる一方,豚,ニワトリ等新分野での獣医師の衛生指導の必要性,食糧の安全性,人と動物の共通伝染病の研究防遏等を話題とされたことを思い出す. 1977年5月20日獣医師法改正案が第80国会で可決,7月28日ホテルオークラに於て祝賀パーティが開催され,海部文相,鈴木農相,渡辺厚相,長谷川建設相等の参加をいただいた. このように中村会長は政治力の強化により諸問題,会館建設,獣医学教育改革,獣医師法改正,動物保護等の重要問題解決に精進努力された.また会報を通じて「科学技術者としての獣医師のありよう」や「落丁多し―ある獣医師のあしどり」等に健筆を振い,会員指導の道しるべを示されたことも偉大であり,ご勇退後も獣医師会に多額の浄財を寄贈し,獣医学術の振興を図ることを目的として「中村 寛獣医学術振興基金」を創設された.その後先生の功績と人徳を敬仰する多くの会員の声を結集し,中国地区獣医師会連合会が発起人となり,2002年先生の米寿を機に顕彰碑の建立を企画された.幸いにして宇津浜田市長のご理解を得,浜田市城山公園内に顕彰碑が完成し,未来永劫にその功績を称えられることとなった.なお,中村先生は浜田市名誉市民でもあることを付記する. |
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