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「生物学的整形外科」の新しい展開(VI)
岸上義弘†(岸上獣医科病院院長・大阪市獣医師会会員)
2 脊髄の再生 これまでの生物学の概念として,神経系は外胚葉から,筋肉・造血系は中胚葉から,肝臓などは内胚葉から形成されると考えられてきた.その垣根を越えて幹細胞は分化しないという常識が有った.しかし幹細胞を含む骨髄の間質細胞の多分化能が次々と発見されており,その様子を見ていると,胚葉という既成概念は,見直される段階にきていると感じる.幹細胞のもつ可塑性は案外大きいのかもしれない. その骨髄間葉系幹細胞を使って,脊髄麻痺を治療するという試みが始まっている. 従来,重度の脊髄損傷に際して,侵襲を受けた脊髄は不可逆的に機能不全となり,回復しないと考えられてきた.しかし近年,脳も脊髄も再生する可能性があるという報告が散見されるようになった.幼若なマウスやラットにおいては,実験的に切断した脊髄がふたたび機能回復していくという結果も出ている. ここでは脊椎椎体脱臼による脊髄損傷性後駆麻痺となった猫に対し,2カ月半が経過した時点で,自己骨髄由来幹細胞を培養し脊髄病変部に移植し,症状の改善が獲得された1例を報告する[7, 8]. 本例の猫の骨髄から骨髄液を採取し,幹細胞を培養増殖し,それを凝集して脊髄病変部に注入したところ,当初まったく動かなかった後肢が,片側ではあるが手術後約2カ月で前肢との協調運動を始めた.電気生理学的に脊髄を経由した筋電図を計測することにより,改善が認められた.獣医科領域の臨床症例であるため,病理学的検索は不可能'である.よってこの脊髄再生が自己幹細胞によるものか,ヘミラミネクトミーによるものか,判断はできない.しかし,通常の脊髄損傷では脊髄損傷後2カ月半経過したものでは,整形外科的な手技だけで回復することはないと言われていることから,自己間葉系幹細胞が何らかの働きをした可能性があることを示している. 症例:雑種猫,雄,体重,4.92kg,年齢3歳 経過:飼われていた家から家出し,3週間自宅に戻らなかった.3週間後,近所の知人に発見された.発見時には両後肢は伸展したままであり,完全な後駆運動麻痺があり,前肢のみで這って移動が可能な状態であった.両後肢ともにUMN(upper motor neuron)サインが認められた.プロプリオセプション(固有知覚)や深部痛覚も消失していた. 単純X線検査にて,第12胸椎と第13胸椎間に脱臼が認められ,胸髄を圧迫している像が確認された(図26). 発見された当日に近くの動物病院に上診.その時点で外傷後3週間経っており,外科的に処置するにはゴールデンタイムをすでに経過してしまっているとのことで,内科的な処置のみを受けた.メチルプレドニゾロン1mg/kgSIDを2週間投与した.しかし両後肢の運動麻痺や知覚麻痺はまったく改善されなかった. その後,受傷してから約2カ月半後(症状に変化無し),本症例は当院にて外科的処置と組織工学的手法による手術を受けた. 方法:イソフルレン麻酔下にて,大腿骨近位端からジャムシディー針を挿入,自己骨髄液を採取した.即座にCO2濃度5%,摂氏37.0度のインキュベーター内で,DMEM培養液(Dulbecco's Modified Eagle Medium, Invitrogen Corporation)による自己骨髄間葉系幹細胞の培養を実施した. 5日後,培養の成功を確認してから,培養液を捨て,シャーレ内にトリプシン0.25%入りTrypsin-EDTA液(Invitrogen Corporation)20mlを注入,幹細胞のR離を行った.10分後,浮遊した幹細胞を含むTrypsin-EDTA液を4つの滅菌済み尖底試験管に5mlずつ分注し,それらを同時に遠心分離した.遠心分離の条件は毎分1800回転10分間とした.試験管の底に堆積した幹細胞塊を約0.01mlの液とともに,滅菌済み先穴トムキャットカテーテルにて採取し1mlディスポシリンジに吸引した.4本の試験管の底部から同様に吸引し,計約0.04mlとなった.結果として幹細胞密度は約105個/mm3であり,投与した合計幹細胞数は約4×105個であった. 以上の幹細胞凝集操作と並行して,以下の整形外科的な手術を進行した.前述した骨再生と同じ麻酔とした.猫を腹臥位に保定し,第12・13胸椎を中心に術野の消毒を行った.アプローチは背側正中切開とし,左側ヘミラミネクトミーを実施した.露出した胸髄は,胸椎脱臼部において圧迫されていた部位にて狭窄しており,病変部であることが明らかに認識できた.健康な成猫の胸髄の横径は約6mmであるが,本症例の狭窄部直径は約3mmであった.脊髄狭窄部の長さは約10mmであった.あらかじめ遠心分離して採取していた自己幹細胞を,27G注射針にて脊髄狭窄部4カ所に分割して注入した(図17).硬膜は切開しなかった.注入後は,術野を常法どおりに閉創した. 術後,1週間の安静ののち,2つの穴のあいたタオルにて後躯をつり上げ,後肢を使わせるリハビリテーションを実施した.手術後当初は,後肢にはまったく随意運動は認められなかったが,1カ月半後には左側後肢に少しずつ随意運動が見られるようになった. 術後2カ月間経過した頃,左後肢の運動が劇的に改善されてきた.プロプリオセプションが戻り,前肢との協調運動が起こり,歩行可能となった.反対側の右側後肢は完全麻痺のままであった. 膀胱の麻痺は当初から続いており,今も改善はされておらず,自力排尿は不可能である. 電気生理学的神経伝達試験により,正常とは異なるものの,脊髄の伝導路の回復を認める徴候を認めた.これは頸部筋組織に刺入したニードルから発射した電位が,脊髄の運動神経を介して,末梢神経である坐骨神経付近に刺入したニードルに伝達するのを筋電図発現から調べる試験である.Controlに比較して筋電図の現れた部位は遅れており,しかも電位が低い.このcグラフのパラメーター(20mV/1枠)は,aのControl(200mV/1枠)に対して10倍であることから,正常に比して約10分の1の電位ということになる.反対側つまり右後肢の坐骨神経付近での筋電図では明らかな反応はなかった. ラットなどの齧歯類において,脊髄の実験的完全断裂からの回復つまり再生は報告されている.しかし,重度脊髄損傷を起こして長期経過した猫における臨床例の完全後肢対麻痺からの回復は,いまだにほとんど報告されていないのが現状である. 本症例では,左後肢の運動麻痺が有意に改善されており,前肢との協調運動が発現した.プロプリオセプションが回復し,ナックリングが消失した.体幹の重心を察知しており,倒れそうになるときの踏み直り反射があることから,左後肢と大脳の連絡は存在すると示唆される. この現象がなぜ起こったかは,臨床例であることから調査できないが,脊髄損傷部に注入した自己骨髄間葉系細胞が,何らかの神経系細胞に分化した可能性,または神経系細胞に働きかけた可能性も否定できない. |
![]() 図17 自己幹細胞を培養増殖し患部に注入した |
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