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「生物学的整形外科」の新しい展開(V)
岸上義弘†(岸上獣医科病院院長・大阪市獣医師会会員)
(6)人工関節の脱臼: 実は人間の人工関節でも,術後の脱臼は整形外科医を悩ませている.無理な姿勢を取ると,人工関節は脱臼しやすい.たとえば和式のトイレに入ったりすると外れやすい.そういう姿勢を取らないように医師にやかましく言われる.学会での話題として,精神障害を持つ患者の全置換手術のあとは,かなり脱臼の頻度が高くなり,医師泣かせであるという.それでは,患者が犬である場合,どうであろうか.犬は後ろ足で耳を掻くのだ! (7)衝撃吸収能が皆無: たとえば人工骨頭の部分に衝撃が加わったとき,その力学的な力の波はステム部分に押し寄せる.生体の場合衝撃吸収性のある天然海綿骨は衝撃波を減衰していく能力があり,大腿骨皮質に届くときには弱い波になっている.しかし,人工骨頭と金属ステムという組み合わせの場合,衝撃吸収性はまったく考えられておらず,ただ体重をいかに支えるかというコンセプトのもとに頑丈に作られている.衝撃波は直接皮質骨に伝導され,緩みにトドメを刺す. |
以上のことから分かるように,犬の人工関節というものは,骨吸収そして人工関節の緩み(loosening)を引き起こすことによって,固定が破綻することがある.セメントレスという方法は,セメント法と比較してセメントを使っていないという利点はあるものの,上記の多くの欠点は何一つ改善していない.つまり,私は犬に人工関節を入れ込むこと自体に,無理があると考えている. 一般に「右肩上がり」「右肩下がり」という言い方をされることがある.グラフで表現したときに,段々と調子が上がっていくのが右肩上がり,段々と調子が下がっていくのが右肩下がりである.この人工関節というものをグラフで表現すれば,右肩下がりである.初期には痛みなくしっかりと歩くが,人工関節が衝撃で緩んだり,骨が吸収されて緩んでくると段々と調子は悪くなり,痛みも発生する.かつてセメント法人工関節を実施して,懲りた先生方は,こういう感触を身をもって体験されていると思う.さて,もしも本格的に緩みが発覚したとき,人工関節を摘出しようということになる.その時,セメント法の時よりもセメントレスの方が摘出しやすい.メーカー側は,それがセメントレスのよいところだという.ちょっと待って欲しい.初めから医原的に骨破壊し,骨吸収しやすくし,緩みやすい人工物を入れておいて,「摘出しやすいからよい.」とはどういうことか. もともと人工関節というのは,患者本人が「人工関節を入れている」と自覚している人間でさえ,緩みの問題に悩まされている.獣医領域で,患者(犬)はそういった自覚は無く,痛みが消えたとたんに走り,ぶつかり,転げ回るのである.構造的に衝撃を吸収するメカニズムなど,皆目考えられていない稚拙な医科器械である.緩まない方がおかしいのである.つまり人間でも緩んで困っている人工関節を,そっくりそのまま犬に持ってこようとすることに,なおさら大きな無理があるのだ. 1994年,奇しくもちょうど10年前,動物臨床医学会(動臨研)の前身であった小動物臨床研究会(小臨研)のパネルディスカッションで,筆者がセメント法に関して数々の苦言を呈した.そしてさらにプロシーディングの中で,筆者がセメントレス法に関して記述した[3].その記述を,ここでそのまま再現させていただく. 「セメントを使用しないセメントレスのタイプの人工関節も考案された.セメントタイプのものにLooseningが問題視されていたので,かつての整形外科医はセメントレス法に飛びついた.1985年頃から世界中に広まった.しかし,最近セメントレスタイプの長期使用の成績が報告され始め,その固定性に問題があることが指摘されるようになり,1994年現在では,依然として従来のセメントタイプが主流となっている.セメントレスでは,コンポーネントと骨との隙間を無くするためにリーミングを徹底的に実施し,かなりの圧力を加えながら,できるだけ大きなコンポーネントを装着しなければならない.そのため,骨内の血流が阻害され,骨の壊死や吸収,または骨折も頻発した.非常に高いテクニックが要求される.」 以上のように,10年前にこのような警告をしていた.犬への人工関節の適用は,セメントの有無を問わず,難しいということを再度警告しておく. セメント法であれ,セメントレス法であれ,大差はなく,人工関節を装着する手術は,非常に侵襲が大きい.大きな侵襲の手術は,生体の炎症性サイトカインを惹起し,サイトカインストームを巻き起こし,SIRS(systemic inflammatory response syndrome)(全身性炎症反応症候群)やショック,多臓器不全などを起こす可能性がある.特に人では,人工関節の手術に伴って骨髄内の脂肪が全身の血管に流れ出し,静脈血栓栓塞症から肺血栓栓塞症を引き起こし死亡することがある.しかし,獣医学領域でのそういった研究は立ち後れている.犬の人工関節の手術後24時間以内に「原因不明の死亡」があることが時折聞かれる.御自分が実施した手術の生体に対する侵襲の大きさも自覚せず,手術侵襲が生体全身に及ぼす影響の知識も無しに,このような大手術をすることは避けたいところである. |
2 股関節の再生の可能性 股関節の形成不全の治療法のひとつに,大腿骨頭切除術というものがある.私見であるが,この方法が現在のところ最も低侵襲の,骨盤の変形をもたらさない,生物学的に救済できる右肩上がりの方法であると考えている.私は,骨頭切除術はその大腿骨頸部の切除創に,もう一度新しい股関節を再生する方法であると考えている.おそらくその部分に,軟骨や関節包や関節液も形成される.新しい再生関節の形状や可動域は本来の正しい股関節には及ばないが,痛み無く歩いて走って,通常の生活が送れて,右肩上がりに永年安心して暮らせるならば,人工物を一切使わないこの方法が,現在のところ最も優れていると私は感じるのである. 大腿骨の骨頸部にて切断すると,その創には骨髄が露出する.当然創傷治癒の機序が始まり,幹細胞や血小板が集まってくる.骨折の治癒と同じように,とりあえず線維性の組織で創の周囲を囲む.次に新生血管が入り込み新しい骨組織を作るために,血行を構築しようとする.しかしこの部分は固定されておらず,あたかも固定が破綻した骨折部のように「偽関節」のような組織となる.ご存じのように,本物の偽関節には軟骨や関節液も存在する.これと同じような現象が,骨頭切除術を実施した部位に成り立っていると想像している.元鹿児島大教授の清水亮祐先生は,この現象を研究された先達である.清水先生は病理組織学的な検索もされており,骨頭切除術の部位には偽関節が形成されていくことを証明しておられる. 多くの先生方は,骨頭切除術をすれば,大腿骨と骨盤が接触しないから痛くなくなる,だからその後良く歩く,とお考えではないだろうか.それもあるだろうが,実は先生方はその術式によって,股関節・関節軟骨・関節液の「再生」を起こしているのである. この手術を受けた後,可動域制限が起こっても,現在のところそれは甘んじて受け入れなければならない要素であろう.改善の余地は十分にあり,筆者も研究中である.今のところ,特に股関節の外反はしにくいかも知れない.しかし犬の通常の股関節運動は,頭側・尾側つまり前後の動きが最も多く,外内転や外内反の動きは少ない.そのため,歩いて,走ってという運動に関しては,不自由なく行えるのである. 外国の過去の文献において,犬の体重が20kgを超えると,骨頭切除術は不適切であるという内容があった.しかし当院を含めて,私の複数の友人の病院にて40kg, 50kgという超大型犬にもどんどん骨頭切除術を実施している.なんら問題は起こっていない.おそらく同じ手術であっても,筋組織を傷つけにくいやり方が日本の獣医師の技術が勝っているのかも知れない.当院では骨頭切除術を内側アプローチで行っている.外側の筋群を損傷したくないという理由である.しかし友人の病院では,小型犬には内側から,大型犬には外側からのアプローチによって,非常によい成績を上げている |
V 神 経 |
1 末梢神経の再生 末梢神経の損傷は,交通事故や落下事故または咬傷,そして糖尿病による神経壊死などの結果として散見される.人では工場の機械による切断が多いと聞く.神経の損傷は麻痺を生じる.その支配領域の知覚が失われたり,運動障害が起きることから,QOLは大幅に低下する. そして神経損傷の結果として起こるもうひとつのやっかいなことに神経腫(Neuroma)がある.末梢神経を切断した際に,ただ断端を寄せて吻合するという手技を選択すると,神経腫による持続的な痛みに襲われることがある.これは動物に限らず,人においても同じことである.とは言え,従来の方法としては,断端を寄せて吻合するしかないのだが……. 神経腫とは……神経が切断された後,うまく癒合しなかったときに断端部にできる塊である.私見であるが,これは骨折時の偽関節に似ている.骨折したときに癒合できず象の足のような偽関節を形成することがあり,これと似た病変であると考えている.つまり,いろんなサイトカインや細胞が組織修復のために躍起になるが,物理的化学的生物学的な悪条件のために正しく経路をつなぐことができず,大きな塊状物を形成してしまう.しかもそこは痛みを発生することが多い. これは神経を切断するとできることがあるので,手術の際にメスで切った場合にも起こり得る.また散歩の途中で,ガラスの破片で指のパッドを切ったという場合にも起こり得る.パッドの傷が治ったのにもかかわらず,いつまでも犬がその足を痛がるというのは,神経腫が原因かもしれない.断端神経腫は神経を切ってから1カ月から長い場合は2〜3年後にしこりができ,何もしなくても痛い(自発痛)場合もあるが,たいていは断端神経腫の存在する部位を押さえると激痛が走るということが多い. これまでの各種治療法は,1.断端神経腫を切除し,代わりに他の部位の神経を自家移植する.2.さほど役割を果たしていない神経ならば,断端神経腫を切除するとともに神経を短くして,柔らかい生体組織に囲まれた深い場所に神経断端を移動させるというもの.しかし,柔らかい場所に移したとしても,実際には痛みが残る場合が多い.3.切断した神経の断端を骨の中に埋込んで,痛い神経腫を骨に中に作ってしまおうという手術がある.この方法では外圧による痛みが消失するので,完璧なように見えるが,神経の先端が骨に固定されているため,実のところは神経が動いたときに引っ張られて却って痛みを生じることも分かっている.4.神経の断端近くにアルコールや熱を加えて,神経の再生力をなくしてしまうことも行われたが,結果は却って痛みが強くなることがあり,最近はほとんど行われていない. 以上のような治療法があるが,1.を実施するにはマイクロサージャリーが必要であり,自己の他の組織を犠牲にするわけであり,それを実施しても完全に麻痺が改善するとは限らなかった.かえって,神経断端腫を新たに作ってしまうこともあった.2.以降のものは,麻痺を改善することは諦め,痛みを何とか軽減することを目的とした手術であった. そこで,新しい治療法として台頭してきたのが「末梢神経の再生」である.長い間の動物実験を経て,いま,この2年間で人の臨床に数百例の応用がされている.この治療法によって,痛みと麻痺,両方の改善が見られるようになった.末梢神経の損傷部や断端神経腫を取り除き,代わりにコラーゲン製の人工神経チューブ(図16a)[17]を装着する.このチューブは次第に生体に吸収されていき,やがて自己神経組織によって置換される.犬の坐骨神経の8cmという長さを人工神経チューブによって置換したところ(図16b),5カ月後にふたたび開創したときには,自己神経組織が再生していることが分かった(図16c).この再生神経(図16d)は,組織学的にはコントロール側の神経に比較して,遜色ない神経組織になっていることが分かった(図16e).実験に使用したビーグル犬の歩様はまったく異常が無く,前肢との協調運動をしている(図16f).ただ,電気生理学的な試験によると,コントロール側と比較して,神経伝達速度が少しだけ遅いことが判明した(図16g). これらの結果を受けて,人でも指の切断や糖尿病による神経壊死に対して,神経再生手法(人工神経チューブ)が用いられるようになり,すばらしい結果を得ている.京都大学再生医科学研究所の私の直接の教官である中村達雄助教授と稲田病院の稲田有史先生が,人における臨床応用を担当されており,すでに数百例の実績を積まれている.数百例の実績を経て,稲田先生がおっしゃるには,「いったい,何が起こっているのか,まだまだ不可解です.やっている私本人が一番驚いているのです.」とのことであり,生体の中でどういった現象が起こっているのか,具体的には分かっていない.ただ,人工神経チューブを装着した日から,神経腫の痛みは消失し,想像を絶する速さで感覚の麻痺が回復する.動物実験ではなく,人に応用して初めて判明したことであるが,麻痺からの回復にかかる日数は短すぎて,われわれ一般医科学者の頭では到底信じられないものである. |
(以降,次号へつづく) |
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† 連絡責任者: | 岸上義弘(岸上獣医科病院) 〒545-0042 大阪市阿倍野区丸山通1-6-1 TEL 06-6661-5407 FAX 06-6661-1847 |