会報タイトル画像


論 説

野生動物救護活動と獣医師の役割
- 特に傷病野生鳥獣の診療について -

須田沖夫(野生動物救護獣医師協会会長・須田動物病院院長)

画像 1 わが国における野生動物保護施策
 傷病動物の保護,救護,診療等は「因幡の白兎」の話にあるように,神代の時代から行われている.さらに儒教や仏教の不殺生の思想がその一助ともなったと考えられる.以降1685年,徳川綱吉将軍による「生類憐慰令」を制定に始まり,1887年(明治6年)には「鳥獣猟規則」が規定,大正7年には「鳥獣保護及び狩猟に関する法律」が制定され,狩猟,農林水産業との関係と学術的な評価等からの野生動物の保護と利用がなされてきた.
 近年,高度成長期における国土開発の進行,拡大によって,野生動物の生息環境が年々悪化する中で,絶滅の恐れのある野生動物に社会の関心が高まっている.
 このような状況下,1992年,「種の保存法」が制定され,絶滅の恐れのある野生動物の保護が制度化され,野生動物は生態系を構成する重要な要素と認知され,生物多様性の持続性が確保されるようになった.
 さらに,2002年,「鳥獣保護及び狩猟の適正化に関する法律」が改正され,「生活環境の保全」,「農林水産業の健全な発展」と「生物多様性の確保」などが新たに盛り込まれた.
 「種の保存法」では,絶滅の恐れのある野生動物の種を保存するためには,単に個体の保護だけでは不十分であるとして,個体の生息,生育地を必要に応じて「生息地等の保護区」として指定する一方,保護増殖も行うこととされた.
 また,環境省が策定した第9次鳥獣保護事業計画(2002年4月から5年間)の主な内容は,次のとおりである.
  1. 鳥獣保護区は生物多様性の保全も含めた中長期的な設定,生息地回廊の保護,身近な鳥獣生息地の保護区,生息数の回復に必要な面積の確保,調査巡視等の管理の充実
  2. 鳥獣の人工増殖及び放鳥獣
  3. 有害鳥獣の駆除,移入種の駆除.集団渡来地,繁殖地や希少鳥獣生息地の保護.各種公共や民間団体等の連携強化.農林被害,防除対策の普及
  4. 鳥獣の生息状況の調査
  5. 特定鳥獣の保護管理計画
  6. 鳥獣保護事業の啓発.傷病鳥獣の保護収容について新たな項目を設け,意義,体制整備の明確化
  7. 鳥獣保護事業の実施体制の整備.生息状況調査や普及啓発.鳥獣保護員を配置し,保護管理の担い手である狩猟者の確保育成・研修.鳥獣保護センターについて普及啓発機能に加え,調査研究等の機能の充実と鳥獣保護管理の拠点としての位置
  8. その他の移入鳥獣の駆除,狩猟の適正管理等,鳥獣飼育許可の際の留意事項の明確化
  以上,これまでの主な動物保護政策をたどってみたが,現在の対応事項は多岐にわたり,その内容には獣医師が直接,間接的に関わる事項が多くみられる.このように,野生動物保護に獣医師が果たすべき,役割は,今後,益々社会から期待されることとなる.
 一方,平成8年に日本獣医師会は「獣医師の誓い 95年宣言」を策定し,獣医師は単に診療予防業務にあたるだけでなく,広く保健衛生,さらには正しい動物の飼い方等についても,専門家として積極的に関与することが望まれるとした.これは当然,野生動物に対しても当てはまることである.
 そして,診療にあたっては,獣医学で,一般的に対象とされる飼育動物(産業動物,伴侶動物,実験動物,展示動物)と野生動物を一体として捉えるのではなく,それぞれ社会的意義に応じた獣医学の適応がなされなくてはならない.
 しかしながら,獣医師法や獣医療法では野生動物について記した事項はなく,無主物との観点から,現状では獣医療における対価は得にくい状況である.それでも,獣医学系大学では,獣医師を志望する動機の一つに,野生動物救護活動を挙げている学生が多いといわれている.このような背景を踏まえ,診療獣医師の野生動物救護について述べてみたい.
 
2 野生動物診療の現状
 市民が傷病野生動物を発見し,保護収容すると,多くの場合近くの動物病院に診療を依頼する.その他として,行政に連絡し,鳥獣保護員を通じて鳥獣保護センターや動物病院にて診療を受ける場合がある.
 動物病院に持込まれた場合,開業獣医師は飼育動物を診療し,その対価を得て生活しているという現実的な考え方や野生動物に対する知識不足により,多くの獣医師が野生動物の診療を否定したり消極的な診療にとどめるような状況も見受けられる.その一方では動物福祉や動物愛護の理念に基づき診療を行う獣医師もいるが,日本では野生動物診療を教育している大学が少ないため,文献や経験に基づいてその診療を行わざるを得ない.そのため野生動物に十分な診療を行うことも困難な状況が多々あると思われる.
 また,診療を行った後,放鳥獣までのリハビリには専門性と長い時間が必要となる.それゆえ積極的に野生動物を診療する獣医師の負担は大きくなるといえる.
 そのような状況下で平成3年,野生動物救護獣医師協会(WRV)が設立された(平成11年NPO認可).協会では,全国の会員動物における診療を中心に活動し,年間1,300件以上の診療データを収集している.
 また,1995年の「油汚染事件への準備及び対応のための国家的な緊急計画」において,油汚染事件により野生動物に被害が発生した場合には,油が付着した野生動物の洗浄,油の付着に伴なう疾病の予防,回復までの飼育等は,獣医師,関係団体等の協力を得て円滑かつ適切に措置するとされた.これにより2000年に環境省の水鳥救護研修センターが東京に完成し,業務はWRVに委託された.その他,研修会を実施したり,行政等の講習会に講師の派遣等を行っている.現在,5支部(東京,大阪,宮崎,神奈川,岐阜)を設置し,2支部では,行政と委託契約を締結し,野生動物治療等の事業を行っている.
 一方,行政では,現在,都道府県において,地方獣医師会や獣医師団体等に野生動物の診療を委託しているケースが増加している.そのため,傷病鳥獣保護基準の策定に取組むようになった.(東京都では平成17年度より基準に基づく事業を実施予定である.)
 また,1967年,第2次鳥獣保護事業計画において,「負傷または疾病等の原因により保護された鳥獣を収容するため,都道府県は1箇所以上の鳥獣保護センターを設置するものとする」とされたため,岩手,福島,千葉,神奈川,石川,岡山,山口など21カ所の行政は鳥獣保護センターを設置し,市町村,動物園,獣医師やボランティアなどによる保護収容のネットワークが整備されつつある.
 2002年,第9次鳥獣保護事業計画では,鳥獣保護センターは傷病鳥獣の保護収容のほか,鳥獣保護思想の普及啓発及び野生鳥獣の保護繁殖に資するために実施するとされた.
 しかし,多くの鳥獣保護センターには今まだ専門の獣医師は居らず,予算も施設も不十分である.また,安楽死への対応が消極的なため放鳥獣できない多くの野生動物を飼育するため施設や人員の負担となっており,これらの問題を解決するためにも野生動物医療のあり方を見直す必要があると思われる.
 また,1999年の鳥獣保護法改正においては,国と都道府県の鳥獣捕獲権限が整備されたのに伴ない,傷病鳥獣の取り扱いにも従来はすべて都道府県であったものが,希少種及び国設鳥獣保護区内については基本的に環境省の業務,それ以外は都道府県の業務と分業された.
 しかし,環境省の野生生物保護センターは,釧路,佐渡,西表,海鳥,ヤンバル,奄美,猛禽類など8カ所あるが,保護増殖が主で診療はほとんど行われていない.
 以上のような現状であるが,今後,動物医療の専門家として,獣医師は積極的に野生動物救護に取組む必要がある.

次へ