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解説・報告

米国獣医学会:安楽死に関する研究会報告2000

Translation and Opinion 2000 Report of the AVMA Panel on Euthanesia

Makoto Suzuki, DVM, PhD, DJCLAM Pfizer Global Research and
Development Nagoya Laboratory

Tsutomu Miki Kurosawa, DVM, PhD, DJCLAM IEXAS Osaka University Medical School

ま え が き

 米国獣医学会(AVMA)研究理事会(Council on Research)からの要請に基づいて,1999年にAVMA評議会(the Executive Board)は安楽死についての研究会を招集し,1993年に出版された第五次研究会報告書を改訂した1.この最新版の報告書では研究施設及び飼育管理施設での安楽死の情報を更新した;変温動物,水棲動物,及び毛皮動物についても記載し;馬及び野生動物の情報を加筆し;不適切であると思われる方法や薬剤を削除した.この研究会での審議は,現在入手できる科学的な情報源に基づくため,いくつかの方法や薬剤については言及していない.
 自由行動する野生動物の管理に耳目が集中し,動物福祉に関する問題が増加していることから,人道的な安楽死のガイドラインを設定する必要性が高まっている.科学研究に用いる動物の捕獲,負傷あるいは疾病に罹患した野生動物の安楽死,人の財産及び安全を脅かす動物の排除,繁殖過剰な動物の安楽死などは社会の注目を集める.このような問題についても本報告書に記載されており,また,自由行動する動物は家畜としての動物とは状況が異なることから,これらの動物に対する特別な配慮についても記載した.
 この報告書は動物の安楽死を実施,あるいは監督する獣医師を対象としている.一般の人々がこの報告書を解釈,理解することは可能であるが,実施に当たっては獣医師に相談することが必要である.獣医学の関与する範囲は複雑でさまざまな動物種が関与している.安楽死の方法を選択する際には,特に,種特異的な安楽死に関する研究がほとんど行われていない動物種については,可能なかぎり対象とする動物種を扱った経験のある獣医師に相談すべきである.本報告書の解釈及び利用を制限することはできないが,この研究会の最大の目的は獣医師が安楽死させる動物の疼痛及び苦痛を軽減する際の指標を設定することである.本報告書の勧告は,さまざまな状況下で動物を安楽死させる際に,専門家として判断する必要がある獣医師にその指標を提供することが目的である.
 
序   文
 安楽死(euthanasia)の語源はギリシャ語のよい(eu)と死(thanatos)に由来する2.「よい死」とは,疼痛や苦痛が最少限の死である.この報告書における安楽死とは動物を人道的な死に至らしめる行為である.動物の生命が奪い去られる時,畏敬の念をもって可能なかぎり疼痛や苦痛を伴わずに死に至らしめることは,獣医師としてあるいは人としての責任である.安楽死に用いる方法は,速やかに意識を消失させ,続いて心肺機能の停止及び最終的な脳機能の停止を生ずる必要がある.加えて,動物が意識を消失するまでに感じる苦痛や不安は最少限度でなくてはならない.本研究会は,疼痛及び苦痛をまったくなくすることはできないと認識している.したがって,本報告書では安楽死が実施されるおのおのの状況という現実と動物の疼痛及び苦痛を最少限にするという理想とのバランスをとるよう試みている.関与した動物種について適切なトレーニング経験と専門知識を有する獣医師は,最適な方法が用いられるよう,指導しなければならない.
 疼痛のない死を判断するには疼痛のメカニズムを理解することが必須である.疼痛とは感覚(知覚)であり,上行路を経由し,大脳皮質に神経インパルスが到達することにより生ずる.この疼痛の伝導路は正常な状態では比較的特異的であるが,神経系は非常に可塑性に富むため,侵害受容経路の活性化が常に疼痛を生ずるわけではなく,痛覚とは無関係な他の末梢神経や中枢神経の刺激により疼痛を生ずることがある.侵害受容(nociceptive)という言葉は「傷害する」という意味のnociと「受領する」という意味のceptiveとに由来し,組織が傷害される恐れのある,あるいは実際に傷害されたという有害な刺激を神経が受容することを示している.この有害刺激は,侵害受容器及び他の感覚神経末端(機械的,温度,化学的な刺激,有害及び有害でない刺激に反応する)に作用して神経インパルスを発生させる.水素イオン,カリウムイオン,ATP,セロトニン,ブラジキニン,プロスタグランジンなどの内因性化学物質は電流と同様に侵害受容神経に神経インパルスを発生させる.正常な状態では沈黙しているが,慢性的な疼痛により感作される受容体により侵害受容の伝導路が活性化される場合もある3,4
 侵害受容器により生じた神経インパルスは,侵害受容の一次求心性線維を経由し,脊髄あるいは脳幹へ到達し,神経ネットワークにおけるそれぞれの経路へと伝達される.一つの経路は脊髄レベルでの侵害受容反射(引き込み反射及び屈曲反射など)に関係する経路で,他方は知覚のプロセスとしての網様体,視床下部,視床,大脳皮質(体性感覚皮質,辺縁系)への上行路である.侵害受容の上行路は多数存在し,時に重複し,慢性的な状況(病変及び傷害)下では可塑性に富んでいることを理解する必要がある.さらに,通常の伝導路における侵害受容神経の伝達においても多様性が認められる.たとえば,硬膜外麻酔では,侵害受容反射及び上行路の両方が抑制される.別の状況では,侵害受容反射は生ずるが,上行路への伝導は抑制される;したがって,有害刺激は疼痛として認識されない.疼痛という用語は知覚を意味するため,疼痛を刺激,受容体,反射,伝達経路の意味で用いることは正確でなく,逆に,疼痛を知覚せずに,これらの経路が活性化されることもある5,6
 疼痛は2種類に大別できる:(1)知覚―弁別的なもの,発生部位及び加えられた刺激により疼痛が生ずる;及び(2)動機―情動的なもの,刺激の強度が認識され,動物の行動を決定する.侵害刺激の知覚―弁別的なプロセスは,刺激の強度,持続時間,部位,性質という情報を処理する知覚―弁別的なプロセスと同様に,皮質下及び皮質のメカニズムにより行われていると考えられる.動機―情動的なプロセスには行動上の及び中枢性の覚醒を支配する上行性網様体が関与している.これには不快,恐れ,不安及び抑欝に関わる視床から前脳及び大脳辺縁系への入力も関与している.動機―情動的な神経ネットワークは,心血管系,呼吸器系及び下垂体―副腎系を反射的に活性化する大脳辺縁系,視床下部及び自律神経系にも強く関与している.これらの系により活性化された反応は前脳にフィードバックされ,動機―情動的な入力による知覚を増強する.人における脳神経外科的な経験に照らすと,疼痛に関わる動機―情動的な成分と知覚―弁別的な成分とは区別できる7
 疼痛を知覚するには,大脳皮質と皮質下の構造が機能していることが必要である.低酸素症,薬剤による抑制,電気ショックあるいは振盪により大脳皮質が機能していない場合は,疼痛を知覚しない.したがって,麻酔下あるいは意識を消失し,死に至る前に動物が覚醒しないことが明らかな状況では,安楽死に用いる薬剤あるいは方法の選択は重要でない.
 ストレスと苦痛との連続性を理解することは,安楽死させる動物に対するさまざまな苦痛を最少限にする方法を評価するために必要である.ストレスは動物の恒常状態あるいは適応状態を変化させる物理的,生理的あるいは感情的な因子(ストレッサー)の作用と定義されている.ストレスに対する動物の反応は精神的及び生理学的な定常状態に戻るための適応プロセスである8.これらの反応には,神経内分泌系,自律神経系及び明らかな行動変化を伴う精神状態の変化が関与する.ストレスに対する反応は,その個体の経験,年齢,種,品種及び現在の生理的ならびに心理的状態により変化する9
ストレスとそれに起因する反応は3つの相に分類できる10.よいストレスとは無害な刺激がその動物に有益な適応反応を生ずる場合である.中間的ストレスとは,刺激により生ずる反応がその動物に有益でも有害でもない場合である.悪いストレス(苦痛)とは,刺激により生ずる反応が動物の安寧及び快適さを損なう場合である11
 動物を用いる他の操作と同様に,安楽死に用いる方法には動物の物理的な取り扱いが必要となる.必要な保定の方法及び拘束時間は,動物種,品種,大きさ,家畜化の状態,馴化の程度,疼痛を伴う損傷あるいは疾患の有無,興奮の程度及び安楽死の方法により決定する.適切な取り扱いは動物の疼痛及び苦痛を最少限にし,安楽死を行う作業者の安全を確保し,時に他の人及び動物を保護するために必要不可欠である.
 安楽死の手順についての詳細な議論は,この報告書の目的を逸脱するが,動物の疼痛及び苦痛を最少限にするために,安楽死を実施する作業者は,適切な資格とトレーニング,用いる方法についての経験,安楽死させる動物種に対する人道的な保定についての経験が必要である.トレーニング及び経験により,安楽死させる動物種の正常な行動について熟知し,取り扱い及び保定がその行動にどのように影響するかを認識し,また,安楽死に用いる方法が動物に対してどのような機序で意識の消失と死を生ずるかを理解することが不可欠である.作業者に安楽死についてすべてを委ねる前に,直接的監督下でその安楽死についての熟練度を適切に証明する必要がある.この報告書で参照した文献は,作業者の教育に有用と思われる12-21
 ある状況下で最適な安楽死を選択する場合には,動物種,利用できる保定法,作業者の技量,個体数などの条件が関与する.参考となる情報は家畜に重点を置いたものが多いが,一般的な同様の事項は他の種に対しても広く適用できる.
 この報告書には本文を要約した4つの表を添付した.付表1は動物種別の適切な及び条件により適切な安楽死の方法のリストである.付表2及び3は,適切な及び条件により適切な安楽死の方法の特徴について要約したものである.付表4は安楽死として不適切な薬剤及び方法の要約である.適切,条件により適切,不適切とした基準は以下のとおりである:適切な方法とは,単独で安楽死に用いても一貫して人道的な死に至らしめるものである;条件により適切な方法とは,その方法の本質的な特徴,あるいは作業者が失敗する可能性の大きさや危険性により,一貫して人道的な死に至らしめることができないもの,または,科学的に検証されていないものである;不適切な方法とは,いかなる条件下でも人道的な死にいたらしめ得ない方法,用いる作業者に大きな危険が伴うと研究会が判断した方法である.この報告書では,単独では安楽死に用いることはできないが,他の方法との併用により人道的な死に至らしめる併用可能な方法についても解説している.
(以降,次号へつづく)


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