総 説

 5.人の多包虫感染
(1) 感染経路と予防
 人へは,虫卵に汚染された土,埃,手,食物,飲水などを介して,経口的に入り感染する.野外活動時に靴や衣服に付着した虫卵が住宅内に持ち込まれ,室内が虫卵で汚染されることも考えられる.農産物に付着して長距離輸送される可能性もある.物理的な拡散だけでなく,虫卵がハエに摂取されて,運ばれる可能性も示されている.地面や環境中の虫卵数の評価は困難で,現在の方法ではほんの少量の試料しか検査できないので,それぞれのリスクの比重を評価できない.しかし,畑に排泄されたキツネ糞から虫卵が検出されることがあるので,野菜への虫卵付着・汚染は考えられる.虫卵は乾燥に弱いので,微少環境が湿潤状態のもののみ長期間感染力を保持できる.さまざまな経路の可能性があり,虫卵の活性も微少環境により異なるので,偶発的に人に感染するものと予想される.
 以上のように,キツネや犬が排泄した虫卵を人が経口的に摂取するまでさまざまな経路が考えられる.キツネの糞便により虫卵の汚染の可能性のある山菜や野菜をよく洗って食べるか,熱を通すことが推奨されている.安全な作物を提供するのは農家の義務であるので,消費者が生食する野菜を栽培する場合は,感染キツネの糞便によって作物が汚染されないようにつとめるべきである.虫卵は加熱に弱く,大きさ30〜35ミクロンで濾過除去できるので,沢水や設備の悪い井戸水を常用する場合は濾過もしくは加熱することにより感染を防ぐことができる.キツネの生息しそうな地域における農作業や野外活動の後は,衣服や靴の埃を良く払い,手を洗う事により,虫卵を物理的に取り除き,できるだけ住宅内に虫卵を持ち込まないようにする.
 しかしながら,さまざまな虫卵拡散経路が予想され,周囲の環境中に虫卵がある場合,完全に虫卵から隔離して生活することは困難である.したがって,虫卵の供給源であるであるキツネを人里に近づけない,もしくはキツネを駆虫することにより環境中の虫卵を減らす努力が必要である(後述,汚染環境の修復).
(2) 感染後の経過と症状
 人が感染すると,多包虫はおもに肝臓実質に寄生し,無性増殖する.この増殖による病巣の拡大はきわめてゆっくりで,症状が現れるまで子供では数年,成人では10年以上を要する.原発巣のほとんどは肝臓であるが,進行すると肺,脾臓,腎臓,脳,腸間膜,骨髄などにも転移する.
 病気の経過は通常以下の3期に分けられる.
[1] 無症状期:成人では感染後10年間ほどで,多包虫の病巣が小さく感染していても症状の出ない時期.
[2] 進行期:無症状期の後の数年間で,病気の進行につれて,病巣が大きくなり周囲の肝臓内の胆管及び血管を塞ぐために肝臓の機能が悪くなる時期.この時期はさらに不定症状期と完成期に分けられる.不定症状期は上腹部の膨満・不快感などの不定症状のみで,肝機能障害は検出できない.完成期は肝機能不全となり,腹部症状が強く,発熱,黄疸をみる.末期の患者でより症状の出現頻度が高くなる.寄生部位が肝臓以外の場合は,寄生臓器によって症状は異なる.
[3] 末期:通常半年以内で,重度の肝臓機能不全となり,黄疸・腹水・浮腫を合併し,門脈圧亢進症状をともなう時期.さまざまな臓器にも多包虫が転移し,予後不良である.
(3) 診 断 法
 早期診断した場合,病巣は小さく,治癒率(完全な病巣切除率)は高い.一方自覚症状が顕れた後に多包虫症と診断された場合は,多包虫が大きく増殖,転移している例が多く,現在の治療技術でも治癒率は低い.したがって,早期診断のため血清検査を受診し,感染リスクの高い場合は数年おきの定期的な検査が推奨される.
 北海道の市町村で行っているエキノコックス症の検診は第一次診断としてELISA法の血清診断,第二次診断としてウェスタンブロット法によるELISA法陽性反応の確認と,問診,腹部の触診,超音波診断,腹部X線撮影等を併用している.さらに治療目的も含めて詳細な超音波診断,CTscan,腹腔鏡検査,肝動脈造影などの精密検査も行われる.
 北海道外の人については最寄りの病院から血清検査を依頼する必要がある(有料).病院からの依頼先は1)北海道臨床衛生検査技師会,2)北海道立衛生研究所疫学部血清科,3)民間の検査センター(検査センターから北海道臨床衛生検査技師会へ依頼する形となる)のいずれかとなる.いずれの機関も個人からの依頼は受け付けていない.
(4) 治   療
 最も有効な多包虫症の治療法は,外科手術による多包虫の摘出である.多包虫は小さな嚢胞の集合体で周囲の組織に浸潤しているため,周囲の健康な組織ごと摘出する.完全に摘出しないと,残存した多包虫が増殖し,さらに転移する.駆虫薬のアルベンダゾールやメベンダゾールも治療のために用いられるが,著効を示す例は多くなく,寄生虫の発育を抑える程度の例が多い.治療効果を上げるためには,大量の長期投薬が必要である.この化学療法は手術が適応できない場合や手術の補助として用いられている.駆虫薬の開発研究は今後も重要な課題である.
 6.犬の多包条虫感染
(1) 感染経路と予防
 犬の感受性はキツネと同様に高感受性で,感染後の虫体の発育もキツネと同様である.少数の動物を用いた実験ではあるが,キツネより定着寄生虫数が多かったという結果も報告されている.しかし,通常の飼育状態では野ネズミをあまり捕食しないことが多包条虫の感染率が低い原因と考えられる.北海道の農村地帯における飼い犬に関するアンケート調査では約25%の犬がネズミと接触し,5%が食べたことがあると答えている.個体によりしばしばネズミを食べる犬もいる.
 犬の予防には野ネズミを食べさせないことがもっとも重要である.放し飼いは禁止,自然豊かな緑地,山野,防風林近くでは特に放すべきではない.散歩時においても野ネズミを食べないように注意する必要がある.ネズミを食べないと飼い主が考えている犬においても,多包虫感染している例があることから,北海道ではすべての犬に対して注意すべきである.拾った犬はすでに感染している可能性があるので,駆虫してから飼い始める.同居の放し飼いの猫が野ネズミを捕ってくることがあるので,犬に食べさせないように注意する.感染の機会があったと予想された場合は,獣医師に相談し,駆虫薬を適宜投薬する.
 条虫駆虫薬のプラジクワンテルは,感染早期においてもエキノコックス駆虫効果があるので,虫卵排泄前に投与すると,虫卵排泄を予防でき,虫卵排泄開始後の投与でも,その排泄を停止させることができる.効果的なワクチンはまだ開発されていない.再感染防御はほとんどないので,駆虫薬で駆虫した後も,野ネズミを食べると再感染する.
(2) 感染後の経過と臨床症状
 犬では小腸粘膜に小型の成虫が吸着するのみで,通常症状は示さないが,下痢・粘血便のみられることがある.北海道では下痢便中に片節が発見された症例が3例知られている.
(3) 診 断 法
 犬は多包条虫に感染していても,通常,臨床症状を示さないため,検査しないと感染の有無は判断できない.しかし,時折下痢便中に成虫が排泄されていることもある.
 単包条虫症診断も含めると,エキノコックス診断のためには剖検(小腸の成虫検出)とアレコリン(駆虫剤と下剤の両作用を有する)投与による試験的駆虫後の糞便検査(糞便中の成虫検出)が行われてきたが,近年,糞便内抗原検出法やPCR法が利用できるようになった.剖検は野犬やキツネの調査に用いられているが,当然,飼い犬には適応できない.宿主動物に安全で感度・特異性の高い検査法が必要とされてきたが,現在多包条虫診断において,糞便内抗原検出のためのサンドイッチELISA法及び虫卵検査,さらに最終確認用のPCRによる虫卵のDNA検出が行われている
(参照:「環境動物フォーラム」http://homepage3.nifty.com/iwaki-t/kankyo/).
(4) 治   療
 条虫に対する駆虫薬としては塩酸ブナミジン,アレコリン,ニクロサミド,フェンベンダゾール,プラジクワンテルなどがある.特にプラジクワンテルはエキノコックス成虫に対して最も効果的な駆虫薬である.プラジクワンテル(商品名ドロンシット)には錠剤(50mg/
660mg錠),注射液(56.8mg/1ml)及び液剤(20mg/
0.5ml)がある.さらに線虫駆虫薬との合剤も発売されている.飼い犬の感染は人への感染が起こる危険性があるため,完全に駆虫する必要がある.通常の投与量(5mg/kg)でほぼ100%の駆虫効果があるが,より確実に駆虫するためにはより多く(倍量もしくは2回)投与することがある.プラジクワンテルは安全域の広い駆虫薬である.これらの駆虫薬は虫卵に対する殺滅効果はないので,虫卵が糞便中に含まれていることを考慮して,3日間は糞便の適正な処置(たとえば,焼却,熱湯消毒,もしくは感染性廃棄物として業者に委託)が必要である.
 7.感染源動物対策の必要性
 本症は人から人への伝播はないので,人中心の対策で危機管理に臨んでも新規患者の増加を止めることはできない.感染源対策は急務である.
(1) 犬 対 策
 流行地において犬を放し飼いにすると感染ネズミをたべてエキノコックスに感染し虫卵を排出する.飼い犬は人との接触が密接で,周囲が虫卵で汚染されるため,飼い主やその家族及び周辺住民への感染リスクが高くなる.北海道ではキツネのエキノコックス感染率が高く,人の生活圏にキツネが生息するようになり人(虫卵経由)とペット(感染ネズミ経由)への感染リスクが増している.すでに犬の感染例として,感染機会の少ないと思われた室内飼育犬の感染例(屋外へ連れ出した時に感染したと思われる)や,駆虫後に再感染した例が認められている.これらの感染例は,北海道での飼い犬への高い感染圧を示している.すなわち,人の生活圏の環境がエキノコックス虫卵に高度に汚染されており,そこに住む野ネズミが感染し,それを食べる犬が感染する状況となっている.したがって,飼い主,獣医師及び行政がこのような状況を十分に認識して,飼い犬の適切な飼育管理と感染予防にあたる必要がある.
 すでに流行地となっている北海道の犬の他,北海道外へ移動する犬や海外の流行地から輸入される犬についても検査・駆虫が必要になってくる.
現在,厚生労働省結核感染症課において2004年10月から施行されるエキノコックス感染犬の届出に備えて届出基準,診断ガイドライン等の整備が進んでいる.
(2) キツネ対策
キツネと野ネズミ間で伝播している多包条虫が,感染ネズミを介して(食べることにより)偶発的に飼い犬に感染すると考えられる.流行地域におけるキツネの感染率を下げることにより,野ネズミの感染率を下げ,結果として,犬への感染リスクを下げることが期待されている.このために,キツネを誘引するような生ゴミや畜産・養鶏廃棄物は適切に処分し,キツネの人里への出没を減らすことも効果があるが,さらにキツネへの駆虫薬入り餌(ベイト)をキツネの巣穴や通り道に散布することにより,野生キツネの駆虫に成功している.
(3) その他の感染源動物対策
 キツネや犬ほど好適な終宿主とは言えないが,ネコやタヌキでもまれに虫体が発育し糞便中に虫卵を排出する.猫は北海道(行政)の1960〜91年の剖検調査で感染率5.5%(5/91)であったが,成熟虫卵は検出されていない.北米,ヨーロッパでも猫の高い感染率が報告されており,猫の行動や人との濃密な接触を考えると今後,警戒を要する.また,タヌキについては小樽の2002年の調査で感染率13.3%(6/45)で,虫卵を排出する個体が検出されている.猫よりも高感受性と考えられる.肉食獣でもアライグマ,ミンクは感染源動物としては除外できる.
 感染源動物としての野生の肉食獣の位置づけについては,不明な点が多く今後もサーベイランスが必要である.
 8.お わ り に
 1999年,青森のブタからエキノコックスの幼虫が発見された.それ以前から本州でも北海道と関係のない患者が知らされてはいたが,わが国でこの寄生虫の生活環が維持されるのは北海道だけというのが通説であった.その後,本州への侵入について,青函トンネルをキツネなどが通過するとか,北海道の産物によって感染源(虫卵)が移送されているとかさまざまな風評があった.しかし,現在,明らかになった事実として,少数であるが感染犬が北海道から本州に持ち込まれている事実である.年間7,000頭の犬が北海道から移動する(旅行者の同伴犬を含む).北海道ではキツネのほぼ半数が感染し,飼育されている犬や猫からもエキノコックスが検出されている.海外から年間1万5千頭以上の犬がエキノコックスの検疫なしで輸入されている.これらを放置すると,本州にも定着し,患者発生リスクは増大するのは確実である.幸いこれまでの調査では本州の野生動物間でエキノコックス生活環が維持されている事実は確認されていない.急いで感染レベルの高い北海道の感染源対策と海外からの侵入防止策を実施することで,エキノコックス症危機管理は可能である.
 感染源動物の診断法が確立され,感染源動物を特定し,駆虫薬で防除することが可能になった.オホーツク海に面した地域でキツネを対象にプラジクワンテルを入れた魚肉ソーセージとこの診断法の組み合わせによって,卵と糞便内抗原の低減も示し,調査地(200平方キロ)のエキノコックス汚染環境修復の浄化を示した(図3).その後,スイス・チューリッヒ市内でも,この方法で効果をあげている.イギリスなどは,多包条虫流行国からのペットの持ち込み前の駆虫を義務付けている.わが国も同様にペットの移動前の検査・駆虫が必要である.また,これらの関連技術は,今後,わが国に侵入が危惧される狂犬病,西ナイル熱などの動物由来感染症に対する危機管理へも応用できる.
 この度,世界に先駆けてエキノコックス症感染源対策の一部,「感染犬の届出」が実現することになった.これまでの厚生労働省他,関係各位の努力に敬意を表する.

主な参考文献
[1] Hagglin D, Ward PI, Deplazes P : Antihelmintic baiting of foxes against urban contamination with Echinococcus multilocularis, Emerging Infectious Diseases, 9, 1266-1272 (2003)
[2] Oku Y, Kamiya M : 5. Biology of Echinococcus. Progress of Medical Parasitology in Japan. Vol. 8, Chapter III. Otsuru, M., Kamegai, S. and Hayashi, S. (Eds.), 293-318, Megro Prasitological Museum, Tokyo (2003)
[3] Tsukada H, Hamazaki K, Ganzorig S, Iwaki T, Konno K, Lagapa JT, Matuo K, Ono A, Shimizu M, Sakai H, Morishima Y, Nonaka N, Oku Y, Kamiya M : Potential remedy against Echinococcus multilocularis in wild red foxes using baits with anthelmintic distributed around fox breeding dens in Hokkaido, Japan, Parasitology 125, 119-129 (2002)

 



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