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幼稚園における動物飼育の現状と動物介在教育の可能性
谷田 創†(広島大学大学院生物圏科学研究科附属瀬戸内圏フィールド科学教育研究センター助教授) 木場有紀(同センター研究員) |
1.は じ め に 日本の幼稚園あるいは小学校に通った人であれば,友達と遊んだ思い出の中に,園庭や校庭で飼われていたウサギやニワトリの姿が記憶の断片となって紛れ込んでいるのではないだろうか.ところが私(谷田)は,幼稚園の間に何度も転園するという経験をしたものの,通ったどの幼稚園でも動物を飼ってはいなかった.幼稚園が田舎にあったために敢えて生き物を飼う必要がなかったのかもしれない. 私の場合も,動物は家で飼うものであった.幼稚園の2年間,田舎の祖父母の家に預けられていたこともあり,祖父が飼育していたたくさんのニワトリのために,毎朝,畦道に出て草を採り,それを小さな包丁で細かく切って,糠とまぜて与えていたことを今でも覚えている.また,田圃の用水路が枯れると,そのところどころにできた水たまりに子ブナの大群が甘露煮のようにして閉じ込められており,それを一網打尽にして家の水盤で飼育したりもした.祖父母と同居していた叔父の家族が猫を飼っていたので,友達の少なかった私の一番の親友は,雌の茶虎猫であった. その楽しい田舎暮しもほどなくして終わり,町の小学校にあがると,ウサギの飼育当番になった.朝早く近所の豆腐屋におからをもらいに行くことが日課となったが,当番をすることでウサギが好きになったかというと,実はそうでもない.むしろ,今でもウサギをみると脳裏に淋しい風景が浮かんでくる.学校のウサギ小屋は常にきれいに掃除されていたが,校庭の中でも日陰の目立たないところに置かれていたため,飼育当番以外の子供達がわざわざウサギを見に来るということがなく,誰も遊ばない遊具のように,小学校では忘れられた存在であった.そのため,子供心にウサギ=日陰者というイメージが定着してしまい,大人になった今でもウサギをみるだけで淋しい気持ちになるのである. 私が幼稚園や小学校の動物飼育に目を向けるようになったのは,広島大学大学院生物圏科学研究科の附属農場に見学に来る子供達の案内をするようになってからである.訪れる子供達の動物との触れ合い方を見ているうちに,その行動に奇異なものを感じることが時々あった.そんな折り,たまたま引率されていた広島大学附属三原幼稚園の教諭に子供達のことについていくつかの質問をしたことがきっかけとなり,附属幼稚園の皆さんと広島大学動物介在教育研究会を立ち上げて共同研究を開始することになった.そして今年,その成果の一部をガイドブック「幼稚園における動物飼育のためのガイドブック」※にまとめることができた[13].研究は現在も進行中だが,幼稚園における動物飼育の現状と動物介在教育のこれからの展望について,ガイドブックの内容も含めて解説したい. |
2.わが国の幼稚園における生き物教育の歴史 わが国最初の保育施設は,1876年(明治9年)に誕生した官立の東京女子師範学校附属幼稚園である[12].その当時は,国が定めた幼稚園教育要領はなかったので,幼稚園の創始者であるドイツのフリードリヒ・フレーベルの考案した独特の指導体系と用具が取り入れられていた.当時の保育科目は,25の子目に分かれていたが,生き物や動物に関するものはなく,かろうじて24番目に「博物理解」という子目があるのみであった.この「博物理解」では,野菜や草花を育て観察していたようである.しかし,当時は「恩物」と名付けられたさまざまな用具を用いた室内での活動が保育の主流となっており,屋外での活動はどちらかというと軽視される傾向にあった.1881年(明治14年)と1884年(明治17年)に保育科目が改正されたが,知識注入と徳目主義教育にますます重点が置かれ,幼稚園教育の中で子供達が生き物に触れる機会はほとんど与えられていない.しかし,当時の周囲の自然環境の豊富さを考えると妥当なことであったのかもしれない.自然における生き物との触れ合いは,家庭で十分に堪能できることであり,幼稚園ではむしろ知識の習得に重きが置かれていたとしても不思議ではない. その後,20年間に幼稚園の数も200園を超えるまでになり,1899年(明治32年)に,法的基準「幼稚園保育及設備規定」が制定され,徐々にではあるが,自然観察などを保育に取り入れる幼稚園も出てきた. 大正末期の1925年(大正14年)に,文部省が933の幼稚園に対して行った調査によると,多くの幼稚園で,保育内容に「観察」「園芸」「郊外保育」を自発的に加えており,各幼稚園で屋外型の環境教育が重視されるようになっている.1926年(大正15年/昭和元年)には,「幼稚園令」が制定され,正式な保育項目として「観察」が含まれるようになった.また,旧文部省が発刊した「幼稚園教育百年史」[7]によると,大正末期には,動物を飼育している幼稚園が存在していたことが記されている. 第二次世界大戦後,1947年(昭和22年)には,連合国総司令部の指導のもとに「学校教育法」が制定され,幼稚園の保育項目も変わった.園内ではできない生きた直接の体験を与える必要があるとして,保育項目に,園外に出る「見学」や「自然観察」が盛り込まれ,植物園や動物園の訪問,花摘みや昆虫採集,採集した生き物の飼育等が奨励されるようになり,幼稚園で最低限備える設備として,花壇,飼育箱,水槽があげられている.1956年には,「幼稚園教育要領」が刊行され,「社会」「自然」という領域が設けられた.「社会」には,「人々のために働く身近な人々を知り,親しみや感謝の気持ちを持つ」をあげており,その人々の中に「農夫」が入っている.また,「自然」には,「動物や植物の世話をする」「身近な自然の変化や美しさに気づく」が含まれており,昆虫・小動物・草花の飼育観察や山・川・海などの自然鑑賞が実施されている.1964年にはその内容が改訂され,特に「自然」の部分では,身近な動植物の性質や成長に興味を持たせるという理科的知識と,身近な動植物を愛護して自然に親しむという愛護思想が取り入れられている.1960年代は,高度成長期とも重なり,都市部では周囲から空き地がなくなり,川はドブになり,海で泳ぐとコールタールが体に付着した.また,私(谷田)の田舎でも少しずつではあるが開発が始まっていた. 1989年にふたたび「幼稚園教育要領」の内容が改訂され,「環境」という領域が設定された.その中では,いわゆる知識ではなく,身近な動植物と積極的に触れ合うという直接的な体験を重視するように指導されている.1980年代後半は,バブルと乱開発で,都市部及び都市部周辺の子供達にとって,毎日の生活で身近に自然を感じることはほぼ不可能になっていた. この「幼稚園教育要領」は,1998年にもう一度改訂された.「環境」領域では,自然との触れ合いから心の安らぎを得るとともに,命を尊ぶ心を育てることが強調されている.現代の子供達を取り巻く劇的な環境変化は説明するまでもないと思う.ある意味において都市圏と地方の差が解消され,全国画一的に汚れた自然が充満し,子供達は外の風景の変化に意図的に目を背けるようにテレビゲームというバーチャルな世界に没入していく.「心の安らぎ」「心の癒し」「命を尊ぶ心」等,巷には「心」の文字が氾濫しているが,これは,子供達だけでなく私達大人の心も疲れ荒廃しきっていることを嘆く悲鳴として捉えざるを得ない. このような社会状況の急激な変化と幼児教育の変遷を見ると,わが国の幼稚園における生き物介在教育・動物介在教育の重要性が年々増しており,動物との関わりが21世紀における幼児の心の教育にとって欠かすことのできないものであることは明らかである. |
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