論 説

5.動物福祉に関する獣医大学の専門教育
 昭和48年の法律105号「動物の保護及び管理に関する法律」が平成11年に「動物の愛護及び管理に関する法律」と改正され,動物福祉への獣医師の関与がますます深まったこと[1]は,本誌の読者には釈迦に説法であろう.いうまでもなく,動物福祉が幅広い階層のさまざまな人々によって進められるべきことは当然としても,獣医師がその中心に位置して,動物福祉の実践,啓蒙,行政等の先頭に立たなければならない.特に,ある行為が動物虐待に該当するか否かという問題が生じたときの判断役は獣医師である.
 そのためには,獣医大学の新入生を対象とした動物福祉の入門的な一般教育だけでは不十分で,動物福祉論や倫理学を専門とする者による動物福祉の専門教育が必要である.しかし,そのような専門家は残念ながら現在のわが国にはいないといって過言でない.専門家の早急な養成のためには,獣医師の中から動物福祉論を専攻する者が生まれる状況を積極的に作り出さなければならない.
 より重要なことは,この教育を動物福祉専門家だけに任せるのではなく,慶大の例にあるように,基礎と臨床の別を問わず,それぞれの専門分野の教育において動物福祉に絶えず言及する全学的協力体制の確立である.動物福祉教育には多様な動物観と各種の専門技術が必要であるから,一握りの動物福祉専門家だけでは偏った教育となろう.
 確かに動物福祉に関して一家言をもつ獣医師,実践活動に携わっている獣医師はわが国にも少なからずいるが,片手間でなく本腰を入れて学生を教育しようとする獣医師は数えるほどしかいない.また,多くの獣医師は動物福祉教育に関して依然として消極的で,ときには冷笑的ですらある.必要なことは教師の意識と教育方式の改革で,それは獣医大学だけでは実現困難で,日本獣医師会,日本獣医学会等の強力な支援が必要である.
 ともあれ,一般教育と専門教育のセットが大切である.入学早々の学生に対して動物福祉に関する一般教育を行って獣医学生としての興味と自信と使命観を与え,その後,専門課程を修めた学生に対して動物福祉の推進に必要な専門的な知識と技術を教育すべきである.いずれにしても,これら教育を一握りの動物福祉専門家だけでは実行できない.

6.獣医学領域外への獣医師の貢献
 獣医学領域に限ることなく幅広い医学・生物学領域に対しても,獣医師の積極的な関与が大切である.人のための医療技術の進歩や科学技術の進展に動物実験の必要性が理解されている反面,研究や教育のための動物利用への批判は決して弱くない.一般の医学・生物学の研究者は動物の苦痛に関して疎いから,この社会情勢に適切に対応するために専門獣医師の積極的な参加が必要で,その獣医師を養成する高度の教育が重要である.
 周知のように,欧米では,教育を含む実験動物福祉の基本理念は置換:replacement,削減:reduction,洗練:refinementの3Rであるが,1996年にアメリカでは4番目のRとして責任:responsibilityが加えられた.つまり,実験動物が利用される教育,研究機関では,その機関の長が設置した部外者を含む独立の委員会(一般にIACUCと呼称,以下「委員会」)において,学生実習を含む動物実験に関するすべての計画が審査される.なお,アメリカやカナダでは,その機関所属の“実験動物専門獣医師”が事前に査読し,問題があれば計画企画者と話し合って修正を求めることが一般的である.専門獣医師が事前査読し了承した計画は,委員会においては形式的な審査のみで承認される.
 委員会の審査や専門獣医師の査読でもっとも重視される点は,研究の必要性との比較のうえであるが,実験動物が被る苦痛を研究者がどれだけ理解し,その軽減(置換,洗練を含む)にどれだけ真剣に努めるかである.専門獣医師による事前査読制度は,動物の苦痛をもっともよく判断できる職種が獣医師であるという社会的評価に基づいていることはいうまでもない.詳しくいことは,筆者らが文部省科学研究費の交付を受けて行った過去2回の海外調査報告[3, 4]を読んでいただきたい.

7.実験動物専門獣医師
 ただし,上述の事前査読は,獣医師ならばだれでもできるというものではない.獣医大学を卒業して獣医師資格を取得し,実験動物学課程の大学院に進み,課程終了後にさらに数年の実務経験を経て初めて米国実験動物医学会(ACLAM)によって認定される.この制度についても詳しく説明する余裕がないので,ふたつの参考文献[2],ACLAM(http://www.aclam.org/)にあげるに止めたい.数年前の資料であるが,アメリカにおいてこの資格をもつ獣医師は500人前後にすぎないが,彼らの平均年収は小動物臨床獣医師より1万ドルほど多いという.
 わが国では,日本獣医学会の実験動物分科会である日本実験動物医学会(JALAM)が,平成10年に認定獣医師制度を発足させた[7].欧州連合の同様制度の立ち上げは日本より遅れている.ただし,JALAMの組織はまだ脆弱で,資格認定に先立つ専門教育に関する教育目標や教育方法等の議論が不十分と私は考えている.
 このように,わが国の制度には討議不十分な課題を抱えてはいるけれども,これを理由に認定獣医師制度を否定的に眺めてはならない.わが国の獣医教育全体や獣医師資格制度の見直しを含めて,日本獣医師会,農林水産省等の支援を受けつつ,一方では北米と欧州の同様制度との調和を考慮しつつ検討を進める必要がある.しかし,なにを措いても動物福祉に関するこの認定獣医師の見識,知識,技術が日本社会から評価される実績の積み上げが大切である.

8.お わ り に
 現代の獣医学生の動物観が過去の獣医学生のそれと大きく違ってきていることを承知している本誌の読者は少なくないが,その変貌は想像以上に大きく急激で,将来の獣医師の評価を左右しかねない深刻な事態だと私は考えている.特に重要なことは,教育を担当する獣医大学において,この問題を軽く考える教師が少なからず存在していると思われる点である.
 ただし,私の知るかぎりであるが,岐阜大学と北里大学が全教科の教師の横断的な協力の下に新入生対象の“獣医学入門”とも称すべき総合教育を始めているし,日本獣医畜産大学では学長による倫理や法律を含む“動物倫理”入門が開講されている.
 動物愛護管理法の見直し作業が進行中で,社会は獣医師に実験動物福祉に関するさらに積極的な参加を求めている.この社会的要請に応えるためには,動物福祉に関して,獣医師に対するより幅広い一般教育とより高度の専門教育の実施が望まれ,その前提はわれわれ自身の意識改革である.

引 用 文 献
[1] 動物愛護管理法令研究会編:改正動物愛護管理法,青林書院,東京(2001)
[2] 笠井憲雪:日獣会誌,49,834-836(1996)
[3] 前島一淑:アニテックス,2,220-267(1990)
[4] 前島一淑:アニテックス,4,152-178(1992)
[5] 前島一淑:日獣会誌,56,176-179(2003)
[6] 前島一淑:日獣会誌,56,223-226(2003)
[7] 前島一淑・笠井憲雪:日獣会誌,53,42-51(2000)


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