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前島一淑†(慶應義塾大学名誉教授) |
![]() 動物福祉に関して,獣医師の一層の関与が社会的に求められていることは改めて記すまでもないが,獣医師を目指す獣医大学の学生の中に動物を利用した教育や研究の現状に疑問を抱く者が増えており,一方,動物福祉に係る知識と技術を教育する側の獣医大学の教師も,学生の疑問に対して必ずしも適切に応えていないと私は感じている. これは,個々の教師や大学だけでは対処できないきわめて大きく深刻な問題で,本誌の読者の批判があることを承知で,実験動物福祉を講義してきた者としての私見を述べる.なお,本稿では,動物の愛護,福祉,倫理をすべて包含し動物福祉と表現する. 2.獣医学教育の目的と新入生の戸惑い 獣医大学の主要な教育目的は,獣医学を基盤とする知識と技術をもつ一定水準の獣医療技術者(獣医師),研究者,教師等の人材養成で,獣医学教育とは,獣医学の基礎知識とその応用技術を教師が学生へ伝達する行為である.そして,獣医学教育の動機は,受け手の学生にとっては獣医学の知識と技術の習得であり,教師を含む社会のそれは獣医臨床,公衆衛生,試験研究,畜産行政,教育啓蒙等に携わる専門職の知的再生産である. ところで医学・生物学という言葉があり,獣医学もその構成要素のひとつであるが,人を対象とする医学,薬学と獣医学の間には大きな違いがある.医学,薬学の第一の目的は人の健康増進で,人のためならば動物を利用することをためらわない者が少なくない.しかし,もともと動物好きで,病気や負傷した動物を助けようとして獣医学を選んだ者が,より多くの動物を助けるという大義名分に一応は納得したとしても,教育実習や試験研究のために動物を利用することに疑い,迷うことはむしろ健全である. 安易に動物のお医者さんを目指したり,白衣の天使的な感覚で獣医大学に進み,教師にその自覚がなくても,学生の眼から動物が教育,研究の場で“無造作に”扱われていると取れる現実に彼らは愕然とし煩悶することになる.学生の悩みに対して,教師は無視したり曖昧に説明したり,慣れろとか獣医師を目指すならば動物を非情に扱うことは当然と答えがちである. なお,基礎獣医学の理解を深めさせる目的の動物実習と臨床獣医学の技術を習得させるための動物実習には少し異な点があるが,それらを区別して議論を進めることは煩雑で実際的でない.また,法律的にも実験動物学的にも,日本でも欧米でも,教育に用いる動物も試験研究のための動物と同様に実験動物とされており,本稿では教育実習用と試験研究用の動物を区別しない. 3.現代獣医学生の動物観 動物を食料,衣料,労働,その他の手段のひとつ,つまり家畜と見做して疑わなかった時代では,家畜の健康を扱う獣医師を目指す学生が教育のために動物に苦痛を与えることに矛盾を感じたしても,それは少数の学生の個人的な問題として軽く考えられてきた.ところが,食肉はきれいに包装されて店頭に並び,犬や猫が完全に家族の一員として扱われる今日では,動物はひたすら可愛い存在とみる人々が多数を占め,動物医療の専門職養成を目的とする獣医大学において,動物を苦しめ殺すことに比較的無頓着な従来流の考え方が残っている現状に納得しない学生が増えてきたことはやむを得ない. 第2次大戦前後の頃から,欧米人(キリスト教徒というべきであろう)の動物観が,地球上のすべての動物の管理を万物の霊長である人が神から任されたとする旧約聖書的な動物保護から,人の祖先を下等な動物とするダーウィンの進化論に基づいて動物を人の兄弟とみて遇する動物福祉へ変わってきたことは,本誌の読者には周知であろう. 保護とは上位の者が下位の者へ手を差し延べる行為,福祉とは対等の立場で手を差し延べる行為である(たとえば老人保護と老人福祉の差).動物と人が対等と考えれば,その延長線上に動物に生きる権利を認め,動物の権利が侵害されたときはそれから解放するのが人の義務とする動物権利論,動物解放運動が現れることは当然の帰結である. 現実には,人と動物の二者選択を迫られた場合に人を優先させるとする獣医学生が多数を占めているけれども,動物は人の仲間であるから人に対して躊躇される行為は動物に対しても避けるべきだと真剣に悩む獣医学生も一握りではない.また,人の都合で動物を利用することは絶対に許されないとする動物権利論に賛同する学生も,ごく少数ながら存在する. 4.動物福祉に関する獣医大学の一般教育 このように,かなり以前からわが国において獣医学生の動物観が保護から福祉へ,さらに少数ながら権利へと変化しつつあるにも関わらず,そして個々の教師はその事実に気付いているにも関わらず,動物福祉教育について全学的な取り組みをしてきた獣医大学は少ない.この点については,平成14年開催の2回の日本獣医学会シンポジウム記録[5, 6]を参照して頂きたい. 私の乏しい経験では,多くの獣医大学の新入生は,獣医学,獣医師,教育,研究,専門職のそれぞれに関する概念,そして,さまざまな動物観,市民運動,法規制について系統立った入門講義を受けることなく,本誌の読者が通ってきたと同じ獣医学教育の課程に投げ込まれている.いかに最新の獣医学が教授されようとも,これでは学生は獣医学教育に絶望し,反感を抱きかねない. 乏しい経験と書いたのは,私は獣医師であるが,今年3月の定年までの30年を医科大学で過ごし,少数の獣医大学で実験動物学の非常勤講師を勤めてきたに過ぎず,今日の獣医大学の実情を誤解している可能性があるからである.ところで,医学,薬学の領域の人々は一般に動物利用をためらわないと先に記したが,実は医学生の動物観も大きく変わってきている. 私が勤務していた慶應義塾大学医学部(以下「慶大」)では,1年生の基礎生物学が入学早々に開講する.従来は,学生に生きたカエルを与えエチルエーテルで安楽死させて解剖させることから実習が始まるが,数年前から多くの学生が可哀相で動物を殺せないと訴え,実習前日に教師全員で多数のカエルを安楽死させる事態である.それでも学生は“恐慌状態”に陥りがちであるので,生物学の最初の時間に私が動物実験の倫理と実験動物の福祉の入門講義を行うことにした. さらに,専門課程の生理学,薬理学,外科学等の実習でも多くの実験動物が利用されるので,実習に先立ちそれぞれの教科担当の教師が動物福祉について話す.また,大学院新入生や動物実験を行うすべての研究者,実験補助者に対して,私を含む動物実験施設職員による講義が行われている.すなわち,実験動物の適正な利用に関する啓蒙教育の反復実施が慶大の合意である.このような全学的な取り組みをしている獣医大学は例外的で,そこが問題だと私は考えている. |