総 説

 

VII.新たな対策の必要性
   5年間で3度高病原性鳥インフルエンザが発生し,鶏を大量処分したことは大きな経済的打撃である.これらの対策が不十分だとすると,新たな対策が必要になる.
   ワクチンの使用:H5ウイルスの不顕性感染が摘発を困難にしているのであれば,生鳥マーケットや養鶏場が今後も汚染される可能性は高い.このような状況では,ワクチンを使用して被害を最小限にすることが必要である.H5不活化ワクチンは発病阻止や汚染拡大を防止できることは知られているが,香港ではこれを農場で試験的に使用して総合的に評価することになった.
 これまでに,2002年2月の発生を受けて4月から,2002年12月の発生を受けて2003年1月から,発生農場の周囲でリング状にワクチンが使用されている.これによって,発生しても全淘汰する必要はなくなった.
 しかし,ワクチン接種農場が野外株の隠れ蓑になる可能性がある.ワクチンが使用されると,生鳥マーケットでウイルスが分離されても人々は以前ほど重要とは考えなくなる.その結果,水面下でウイルスの汚染や変異が進行する心配がある.実際に,2002年4月以降H5ウイルスが毎月分離されるようになっている
http://www.afcd.gov.hk/quarantine/veterinary_index.htm).
   中国本土の衛生対策:香港に輸出する養鶏場は,香港政府が指定したインフルエンザ陰性の養鶏場であり,衛生対策は適切に行われていると考えられる.しかし,4回の発生とも,中国本土産の鶏がウイルスの侵入経路として疑われている.これについて,考察してみたい.
 輸出養鶏場のある地域には,当然中国国内向けの養鶏場やその出荷先である卸売市場・生鳥マーケットも存在するであろう.そこで,衛生・防疫対策が十分に行われているかは不明である.南中国で高病原性鳥インフルエンザが発生した場合,家禽類の移動等によって,香港輸出養鶏場が汚染される可能性は否定できない.香港が中国本土から生鳥を輸入するかぎり,中国国内向け養鶏場やその流通・販売段階における衛生対策も十分に行う必要がある.
   チルド鶏肉の輸入:香港の人たちは店頭で処理された新鮮な鳥肉を好むため,香港ではチルド鳥肉はほとんど販売されていない.しかし,1998年から水禽類についてはチルド肉で販売することになり,衛生面の改善がなされた.それならば,鶏肉についても中国本土産をチルド肉とすれば,中国本土からウイルスが持込まれる可能性はなくなり,現行の対策でも香港を清浄化できる可能性がある.不足する生鳥は香港産を2倍に増産して,その一部を補うことは可能らしい(香港政府関係者).
VIII.中国本土の汚染の可能性
  1.ウイルス分離
   広東省のH5ウイルス:広東省の珠江デルタ地域から香港に輸入されてくるガチョウ・アヒルから,H5ウイルスが1999,2000,2001,2002年に分離されている(表3).2000年の場合,輸入ガチョウの7%,アヒルの0.7%からH5ウイルス抗体が検出され,20株以上のH5ウイルスが分離された[2, 8, 26].これらは,H5ウイルス(Gd/96株)と未知のウイルスが遺伝子交雑して生まれたものであった[2, 8, 26](図1).H5ウイルスの中でも,これらのウイルスはガチョウに対する病原性が高い特徴があり,その肝,腎,肺,脳を含む全身で増殖し,死亡率は約50%である[26].一方,アヒルには無症状であった[26].
ウズラはこのH5ウイルスに対して鶏より感受性が高く,少量のウイルスでも感染する[2, 8, 26].また,空気伝播は,鶏では起こりにくいがウズラでは起こる.鶏の50%感染量および50%致死量はそれぞれ103.8および104.0であるのに対して,ウズラのそれらは101.7および102.5である.また,ウズラは哺乳類に親和性のH6,H9ウイルスにすでに汚染されていることから[3, 5-7, 11],1997年に香港で人に病原性のあるH5ウイルスが誕生したように,南中国でふたたびこのウイルスが誕生する可能性がある.
   上海のH5ウイルス:2001年,上海で生産・処理されてから韓国に輸入されたアヒル肉からH5ウイルスが分離された(表3)[25].このH5ウイルスはGd/96株と近縁なH5遺伝子を持つ高病原性ウイルスで,1997〜2001年に香港の鶏から分離されたものと比べて,アヒル病原性が高い特徴があり,その筋肉と脳でよく増殖する.上海にもGd/96株の仲間があることがわかった.
  2.養鶏実態調査の必要性
   香港および韓国に持ち込まれた中国本土産の水禽類からH5ウイルスが分離されており(表3)[25],また福建省でもH5ウイルスの人感染が報告された.これらのことから,中国本土が高病原性鳥インフルエンザの汚染国である可能性があるが,その実態は不明である.
 香港における高病原性鳥インフルエンザの発生は,生鳥の生産・流通・販売体制と密接に関係している.したがって,中国本土における鳥インフルエンザ事情を知るには,先ず,家禽類の生産・流通・販売の実態を明らかにする必要がある.すでに農林水産省は,日本輸出向けの養鶏場や食鳥処理場について調査をしており,ある程度その実態を把握している.しかし,大多数を占める中国国内向け家禽についての情報はない.特に,鶏・ウズラ・水禽類の生産・流通・販売の実態,鶏とウズラ・水禽類の接触の可能性,卸売市場・生鳥マーケット・食鳥処理場の存在,日本向けの養鶏場と中国国内向け養鶏場の接点などは,重要な情報と思われる.
 また,本病を防止するには感染鶏を摘発する検査,流通段階における消毒,卸売市場・生鳥マーケットにおける鶏とウズラ・水禽類の分離,卸売市場・生鳥マーケットの消毒日の設定などが効果的であることから,これらの実態を把握する必要があろう.
 さらに,適切な防疫対策の確立には,ウイルスの定期的疫学調査と分離ウイルスの性状解明が欠かせない.それらの整備状況を調べたい.

 

 

IX.人の新型インフルエンザ誕生の機構
   20世紀になって,人の新型インフルエンザが3度誕生している.1918年のスペイン風邪(H1N1),1958年のアジア風邪(H2N2),1968年の香港風邪(H3N2)である.この中でアジア風邪と香港風邪は南中国で誕生したと考えられている.1997年・2003年のH5ウイルスによる人感染も,新型インフルエンザの前兆と心配されている.新型インフルエンザの誕生機構として3つのルートが考えられている.
   鳥で新型ウイルスが誕生する場合:1997年のH5ウイルスは複数のウイルスが鳥類で遺伝子交雑を起こしてから人に感染するウイルスが生まれたと考えられている.この親株であるH5ウイルスは,1999〜2002年にかけて広東省から輸入されてくるガチョウ・アヒルから分離されている[8, 9, 25, 26](表3).また,人に親和性のある内部遺伝子を持つH6,H9ウイルスも,香港の生鳥マーケット[3, 5-7, 11],パキスタンの鶏[1],パキスタンからの輸入インコ[15]から分離されている.したがって,南中国でこれらの親株から人の新型インフルエンザがふたたび誕生する可能性がある.この機構で誕生したウイルスが人で大流行するには,突然変異を繰り返して人に順化するか,遺伝子交雑によってヒト株の遺伝子を獲得する必要がある.
   鳥のウイルスが直接感染する場合:1999年,香港で呼吸器症状を示す2人の子供からH9ウイルスが分離されている[14].このウイルスも哺乳類に親和性の内部遺伝子を持っていた.幸いにも患者は回復し続発はないが,同じ内部遺伝子を持つH6ウイルスも人に感染する可能性がある.2003年の福建省で起こったH5ウイルスによる人の死亡例や,2003年のオランダのH7ウイルスによる人の結膜炎も,鶏から人への直接感染の事例である.これらは鳥インフルエンザウイルスの中では特殊なものと考えられるが,直接感染の事例が増えているのも確かである.この場合も,人で大流行するには変異や遺伝子交雑による人への順化が必要である.
   豚で新型ウイルスが誕生する場合:北海道大学の喜田らが提唱しているもので[13],鳥ウイルスと人ウイルスの両者に感受性を示す豚で混合感染が起これば,遺伝子交雑によって人の新型インフルエンザが誕生する可能性がある.南中国から香港に輸入される豚について,1998年〜2000年にウイルス調査が行われた.その結果,豚ウイルス(H1N1)に加えて,鳥ウイルス(H9N2)や人ウイルス(H3N2)も分離された[16].豚で新型ウイルスが誕生する条件は満たされている.
X.ま と め
   1996年広東省で見つかったガチョウに病原性のある H5ウイルス(Gd/96株)は南中国では鶏に対して,上海ではアヒルに対して病原性を増している.また,水禽類のウイルスと遺伝子交雑を繰り返して変異していることもわかった.これらの成果は南中国における高病原性鳥インフルエンザの今後を予測する重要な手がかりとなろう.
 一方,生鳥の流通・販売がインフルエンザの蔓延を助長していることや,搬入検査や消毒などが重要なことは香港に限らない.中国本土における生鳥の生産・流通・販売体制,防疫体制,汚染調査体制を知ることが,中国本土の汚染や人の新型インフルエンザの可能性を知る手掛かりになろう.
 
 本総説は,農林水産省衛生課の依頼で,2002年4月2〜5日にかけて,香港の鳥インフルエンザ調査のために,香港特別行政区の政府機関,卸売市場,生鳥マーケット,検査所,香港大学等を訪問し,そこで収集した情報を基にまとめたものである.お世話になった農林水産省衛生課,香港政府機関,香港大学の関係者に深謝する.