解説・報告

4.ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会の発足
 2001年12月,ヤンバルクイナがノネコに捕食されているというショッキングな報道をうけ,数人の獣医師が話題にしたことが『ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会』の発足のきっかけとなった.その後,ヤンバルクイナの現状やヤンバルの野生動物に関する勉強会などを重ねていくうち,沖縄県獣医師会のメンバーである小動物開業獣医師を中心に,産業動物,公務員獣医師,動物園の獣医師など総勢20名からなる『ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会』が結成された.「ヤンバルクイナがあと5年から10年で絶滅してしまうのではないか.」と,多くのメンバーは焦りを感じ,なかには「このままでは,自分の子供にヤンバルクイナを見せることさえできなくなるのではないか」という思いで参加した若い獣医師もいた.「ヤンバルクイナを救うために何かをしたい.」という衝動は,獣医師である前に,沖縄に暮らす一市民としての感情からであった.
 さらに,ヤンバルクイナがネコに捕食され絶滅の危機にたたされているという現状を招いたのは,ペット動物の適正飼育を指導していく立場にある獣医師にも少なからず責任があるであろう.これが会発足の動機である.会の名称が『ヤンバルクイナたち』となっているのは,猫に捕食されている野生動物がヤンバルクイナのみにとどまらず,アカヒゲやケナガネズミなどの天然記念物や希少種に指定されているものが多岐にわたっているためである.
 会の目的はヤンバルクイナをはじめとするヤンバルの希少野生動物を保護するとともに,動物愛護の観点から,ペット動物の適正飼育を普及啓発し,あらたに野生化するペット動物を未然に防ぎ,移入種よるヤンバルの野生動物への影響を獣医師の立場から具体策を講じて軽減しようというものである.

5.ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会の活動
会の活動は次の5つの柱でなり立っている.
(1) ヤンバルクイナをはじめとする野生動物の危機的な状況を広く社会に伝えること.
 パネル展や講演会,シンポジウムの開催やホームページや新聞,テレビ,ラジオを通じて現状を伝える.
(2) ヤンバル地域に新たに野生化する猫を発生させない対策を講じること.
 ヤンバルクイナが生息する国頭村などでは集落内の飼い猫が直接ヤンバルクイナを捕食し,無秩序な繁殖により野生化する猫が増加する恐れがあるため,公民館を利用して不妊・去勢手術を実施し,飼い主責任を明確にするマイクロチップの埋め込み処置を行っている.また,行楽シーズンにはヤンバル地域での捨て猫や捨て犬が増えるため,『捨て猫・捨て犬防止パトロール』を行い,遺棄されるペット動物を未然に防ぐ活動を展開している.
 昨年度は沖縄県が那覇市で,北部地域では名護警察署による取締りと環境省,国頭村,大宜味村,東村が合同で『“ペット動物を捨てないで”キャンペーン』を実施し,例年に比べ捨てられた犬・猫が減少したという効果が得られた.
(3) ペット動物の適正飼育を普及すること
 ホームページやパネル展,講演会,マスコミを通じて,ペット動物の適正飼育が飼い主の義務であることや動物の健康を守ること,さらに,適正飼育が野生動物を守ることにつながることをアピールしていく.
(4) ペット動物の適正飼育を制度化すること
 ペット動物のマイクロチップによる登録を義務付け,飼い主責任を明確にできる県や市町村による『ペット動物の飼育条例』づくりを働きかける.国頭村安田区では2002年5月,マイクロチップによる登録を義務付けた『安田区ネコ飼養に関する規則』が施行され,区内で飼育されている猫はすべてマイクロチップの埋め込み処置ならびに不妊・去勢手術を完了している.
(5) ヤンバルクイナの保護対策を提言すること
 移入種による捕食を完全に除去しないかぎり,ヤンバルクイナの種の存続が危うい現状では,早急に保護増殖に着手しなければならない.そのために,専門の獣医師を配置したヤンバルクイナの保護増殖センターの設置を各方面に働きかけている.

6.地域との連携 ―国頭村安田区との協同活動―
 ヤンバルクイナを守っていく時に,最も重要なポイントのひとつとして,ヤンバルクイナの生息域に生活する人々の理解が欠かせない.国頭村安田区は人口230名ほどの小さな集落で,太平洋を望み,背部をヤンバルの森林に囲まれた美しい山村である.おそらく,沖縄県内で最もヤンバルクイナが多い地域,すなわち,世界一ヤンバルクイナの多い地域であろう.ヤンバルクイナは子供から大人まで集落内でマスコットのように親しまれ,ヤンバルクイナの生息する環境を誇りとしている.
以前から子供会が率先して「ヤンバルクイナが交通事故にあわないように」と,看板の設置をしたり,区独自で環境基金を設置するなど,自然環境の保全に関してきわめて意識の高い地域である.
 しかしながら,行楽シーズンには都市部から多くのレジャー客が訪れるとともに,ゴミとともに捨て犬や捨て猫が増え,ヤンバルクイナが捕食される問題もあり,何らかの対策を講じなければならない状況になっていた.通常,こういうケースでは,行政機関への要請行動や部外者への抗議というかたちで運動が展開されそうであるが,安田区ではそうではなかった.区長の諮問機関である安田区活性化委員会は,自らペット動物の適正飼育を実践して見せようとしたのである.それが,最も地元の子供たちへもいい影響があり,自らヤンバルクイナの安住の地を作り出すために飼い猫の飼養規則づくりを模索し始めていた.ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会と安田区の活性化委員会は何度も会議を重ね,区内の飼い猫の不妊・去勢手術及びマイクロチップの埋め込み処置の実施,さらにヤンバルクイナの現状及び猫の適正飼育のためのパネル展を計画し,2002年3月24日,安田区公民館のホールをパネル展会場に会議室を手術室に変え,一大イベントが実施された.この活動の1月半後,安田区は日本で初のマイクロチップによる登録を義務付けた『ネコ飼養に関する規則』を次のとおり施行した(図5).現在,安田区を中心に国頭村独自の飼い猫飼養条例の策定を要請している段階である.
 また,ヤンバルクイナの保護増殖センターの設置を目指し,安田区の主催で国頭村役場,環境省,ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会が合同で兵庫県豊岡市のコウノトリの郷公園を視察するなど,活発な活動を展開している.
 
(登 録)
第3条 飼い主は,飼いネコの飼養の旨を安田区長(以下「区長」という.)に届け出,飼養登録申請をしなければならない.
区長は,前項の飼養登録申請があった場合,飼い主に対しマイクロチップの埋め込み処理を指示し,その個体番号の届け出をもって飼養登録証を交付する.ただし,マイクロチップの埋め込みの費用は飼い主の負担とする.
飼い主は,飼いネコに対し首輪を装着しなければならない.

7.沖縄県獣医師会小動物部会のマイクロチップ普及事業
 ヤンバルクイナ絶滅の危機と,その最大の原因がマングースやノネコという移入種が最大の原因であることは,今や県内では周知のこととなりつつある.しかし,市民にとってこれが不適切な飼育が元凶となっているという認識はまだ徹底されていない.2001年度,沖縄県の動物管理センターでの犬や猫の処分頭数は約15,000頭で全国6位(人口比)という不名誉な状況にある.しかも,この統計には森林のなかに捨てられた把握困難な野生化した犬や猫は含まれていない.
 沖縄県獣医師会小動物部会では,動物愛護の観点はもとより,世界の財産であるヤンバルの野生動物を守るため,ペット動物の適正飼育を推進していく手段として,2003年4月より全県的にマイクロチップ普及事業にのりだした.現在,小動物部会では93%の病院がハンドリーダーを設置し,犬や猫の不妊・去勢手術時に無料でマイクロチップの埋め込み処置を行い,マイクロチップの宣伝普及活動に取り組んでいる.

8.ノネコ捕獲の問題
 環境省は2002年1月からノネコの捕獲事業を開始した.当初,動物愛護団体や猫愛好家の方々から多くの反対意見や抗議が寄せられたが,捕獲後,保健所で一定期間収容することや,猫の写真を告知して飼い主がいた場合,いち早く発見できる体制をとったことや,里親を募集するなど愛護動物と同様な手続きをとるなどの配慮があった.2002年度から沖縄県も同様な形でノネコの捕獲事業に取り組んでいる.環境省の捕獲事業では,テストケースとして民家に近い場所で捕獲された個体に関しては,会のメンバーがマクロチップの読み取り作業を行い,保健所に収容する前にチェックを試みているが,現在のところリーダーで検出できた事例は発生していない.現在,100頭以上の猫が里親にひきとられている.今後,頭数の増加に伴い,ノネコの保護収容施設の設置も考慮しなければならないであろう.

9.日本獣医師会の取り組みと環境省の「飼育動物適正飼養推進モデル事業」の実現にむけて
 去る2月9日,日本獣医師会,三学会,沖縄県獣医師会は三学会年次大会(沖縄)において,「ペット動物の野生化防止と絶滅危惧種の保護―移入種問題を考える―」と題して一般公開合同シンポジウムを開催した.一般市民を含む約400人の聴衆を集め,ツシマヤマネコ,イリオモテヤマネコ,ヤンバルクイナなど移入種によって絶滅が危惧される野生動物のおかれた現状と対策を議論した.これは,種の保存に対して日本獣医師会がひとつの態度を示した画期的なシンポジウムであった.
 ヤンバルクイナの危機的状況,飼い猫の野生化による捕食問題,安田区のネコ飼養規則,当会の活動や環境省や沖縄県など沖縄県内の活発な動きに呼応する形で,環境省動物愛護管理室は今年度,ペット動物の適正飼育推進モデル事業を決定し,現在,沖縄県が中心となってモデル事業の展開のための基本調査(北部三村の猫の飼育実態調査)を行っており,この基本調査をもとに,猫の不妊・去勢手術の実施計画やマイクロチップによる登録,適正飼育の普及啓発,ペット動物の適正飼育に関する条例の策定を視野に入れた準備に取り組んでいる段階である.これらすべての局面で,獣医師会が中心的な役割を果たすことになるであろう.

10.今後の課題
 絶滅の危機に直面するヤンバルクイナを救うには,生息地の永続的な保全は当然のことながら,移入種(猫やマングース)を早急に生息域外へ移動させ,新たな猫の遺棄及び野生化を防止することを最優先させることが必要である.これには,沖縄県や環境省が行っている捕獲事業のさらなる拡大が必要であろう.また,野生化していくペット動物の問題を根本的に解決するためには,専門家であるわれわれ獣医師がペット動物の適正飼育の普及啓蒙に力を入れ,制度的基盤作りをするために中心的な役割をはたさなければならない.長期的には学校教育現場において,子供のころから家庭飼育動物と社会のかかわりや,野生動物に与える影響を学習できるようなシステム作りをする必要がある.
 ヤンバルクイナの絶滅を回避する緊急対策として獣医師を配置した『ヤンバルクイナの保護増殖センター』を早急に設置すべきである.これを実施していくために,国は長期的な『ヤンバルクイナの保護増殖計画』を早急に策定し,われわれ獣医師としては野生動物医学的視点からヤンバルクイナの研究を進める必要がある.ヤンバルクイナに限らず,各地で起こりうる同様な問題に対処していくために,野生動物専門の技術者としての獣医師の人材を育成する必要があり,大学教育の中でも野生動物に関する専門的な人材育成カリキュラムを作り上げる時期がきているのではないだろうか.
 また,動物愛護管理法に基づいて獣医師会,行政機関,研究者,自然保護団体,動物愛護団体,市民を交えた『動物愛護推進協議会』を早急に設置し,ペット動物の飼育条例の策定や猫の収容施設(シェルター)設置などに関して合意形成をはかり,『人とペット動物と野生動物の共存できる社会づくり』のプランを提言すべきであろう.