アメリカの獣医学教育
 アメリカの獣医学部は4年制大学卒業後のプロフェッショナルスクールとしての4年間の過程である.つまり,獣医師免許取得には日本では高校卒業後6年間の教育が必要であるが,アメリカでは高校卒業後8年間の教育が必要とされる.アメリカでの獣医学教育は,まさに今日本が目指している獣医学教育の姿そのものであろう.競争率約10倍の難関を突破してUC Davis獣医学部に入学した120人の学生は,小動物,大動物(馬),食用動物(おもに酪農牛),エキゾチック,混合のコースのいずれかのコースを選択する.人数はそれぞれ69,5,3,1,33人(1999年度卒業生111人)で,半数以上の学生が小動物のコースを選択している.いずれのコースを選択しても国家試験は同一である.ちなみに授業料はカリフォルニア州出身者で年間9,250ドル(111万円),州外出身者で21,705ドル(260万円)である.
 UC Davisでは獣医学部1年生から放射線学を履修する.その理由として,
1. 画像には触れる機会は多いほどよい
2. 繰り返すことで記憶が確かとなる.
3. 解剖をはじめ基礎の科目と平行して学ぶことで臨床と基礎がつながり理解が深まる.
4. 講義で読影を学び,病院での臨床実習で使う.
という考えである.
 X線解剖学の授業では,無味乾燥な解剖学用語をただひたすら暗記させるのではなく,解剖と放射線像と臨床の疾患を関連させて教える.たとえば,後肢骨格の授業では股関節脱臼を,脊柱では椎間板ヘルニアを,非選択的血管造影で循環器の生理や動脈管開存,心室中隔欠損までをも同時に教えるのである.また,授業用のスライド,画像フイルム,プリントは放射線科の備品としてあり,さらに,学生用フイルムリーディングルームでは,授業でスライドに示されるフイルムが秋コース第何回目の授業のフイルムと書かれた封筒に入っており,学生はいつでも閲覧することができる.これらの材料は放射線科の教官であれば誰でも使うことができ,基本的には教官の誰でも同じクオリティーの授業が可能である.「材料はたくさんあるが授業する時間がない」とはなんとも羨ましいかぎりである.教官はもちろんレジデントからテクニシャンまで全員体制で教育にあたる.放射線科だけでも20人の体制であり,質のみならず数の面からも日本とは圧倒的な差がある.レジデントも授業を行う機会があるが,ここでレジデントは教育能力について諮られ,後の進路についてセレクションを受けているようにも感じる.
 4年間の放射線科の教育は1年から3年生までは読影が中心で,授業の形式はいわゆる通常の「レクチャー」の他に,「ディスカッション」という2人で行う授業のスタイルがある.日本で行っている実習形式の授業はなく,動物の保定や特殊X線検査手技は最終学年の4年次の臨床実習で学ぶ.「レクチャー」形式の授業では,それぞれのテーマについて[1]撮影方法,[2]正常解剖,[3]疾患例について講義を受ける.また,正常バリエーション,未成熟動物の画像,代替検査,類症鑑別,治療法,その疾患に関連した話題が豊富で,毎週毎週,学生を飽きさせることがない.「ディスカッション」形式の授業はまさにテレビ番組の「笑っていいとも」を思い起こさせる.教官は授業をインターラクティブに組み立て,授業をショーとして演出する.1年生の学生の授業では「このX線像は正常ですか? 異常ですか?」から始まり,「次にどの検査が必要ですか?」学生が一斉に「超音波!」すると先生が「ごめんなさい.今,超音波が壊れています.何をしますか?」「二重造影!」と言った具合である.1年生の授業でも学生がX線像を読み「気胸!」とか「脊椎症!」と回答する.3年生の授業ともなると,学生が「この症例は核医学の適応か?」とか「条件を下げれば骨片が見えるのではないか?」などの質問が普通に飛び交う.熱心な学生は自分のポインターを持って来て自らスライドを指示して質問する.学生は教官からの問いかけによく答えるし,冗談に対してよく笑う.参加していて授業が実に楽しいのである.出欠をとらないにもかかわらず,朝8時からの授業に遅れてくる学生もいないし,寝ている学生も1人もいない.残念ながら学生の学ぶ態度も日本とは違う.
 3年間講義を受けた後,学生全員が最終学年の一年間合計37週間のスケジュールで各診療科をローテーションし,密度の濃い臨床教育を受ける.このシステムは日本の医学部の制度と同様である.たとえば小動物を専攻する学生は,臨床病理(1週),病理(2週),麻酔科(2週),救急(2週),集中治療(2週),内科(7週),外科(6週),放射線科(2週)が必修の履修科目である.また,選択必修として6診療科(循環器科,歯科,皮膚科,神経科,腫瘍科,眼科)の中から3診療科をそれぞれ2週履修し,その他に選択科目を7週履修する.放射線科は毎2週ごとに6人の学生がローテーションに加わる.ここで学生は「X線撮影」,「X線読影」,「超音波」を毎日巡回する.驚いたことに夏休み期間中にも,多くの学生は希望してローテーションに加わるのである.「授業料払っているのだから学べるだけ学ばないと損」といった考え方であろうか.内科と外科のローテーションの学生はそれぞれ自分の担当する患者をもつ.服装に関してカジュアルなカリフォルニアであるが,クライアントと接する学生はネクタイに革靴である.ここで学生はクライアントから稟告をとるところから訓練を受ける.私は帯広畜産大学の学生にクライアントと責任のある会話をさせていないが,Davis獣医教育病院では「ここまでさせるか!」と思うほど,学生とクライアントが話をする.どこまで許されているのか? 学生によって許容範囲が違うのか? 詳細はわからないが,学生が禀告をとるばかりではなく,治療方針や予後ついて説明している様子には驚く.学生は臨床実習を楽しんでいるようである.
 
 教育,研究と診療のバランス
 多くの臨床教官は勤務日数の50%が診療,50%が研究に当てられている.そのため「診療が忙しくて研究に手が回らない」という根本的な問題がない.臨床研究は実際に診療をしていないと実践できないことは疑う余地のないところであるが,ここでは診療と教育,研究を両立させることができる体制があった.教官たちは,症例が集まる―発表する―予算が付く―道具を買う―症例が集まるというよい循環に自分たちがいることをよく知っている.専門領域は狭いが,基礎研究から臨床へのフィードバックまで研究を総論で理解しており,マウスの実験を「臨床と乖離した基礎実験」と軽く位置づけることはない.大学教官一人一人の能力は日本人もアメリカ人とさほど変わらないはずであるが,チームワークの巧みさは異なる.ここではMRIで実験する場合はNMRの専門家がマンパワーを供出し,実験動物を使うときは実験動物の専門家が,神経をテーマにするときは神経科の獣医師がマンパワーを供出する.そしてお互いがお互いを利用し,共同研究を行う.
 日本の国立大学臨床講座では教授,助教授,助手それぞれ1人の体制で,「消化器」から「循環器」「神経」まで,しかも「大動物」から「小動物」までカバーしている.外科教官の場合はマンパワーの点で事態はなおさら一層深刻である.今,日本の獣医学教育は過渡期を迎えている.欧米の獣医学教育と同等の水準に近づけることが目標である.それには東京大学の唐木先生がホームページ上で,日本の獣医学教育をアフリカのダイアモンドに例えて説明されているよう,スケールメリットの考え方が重要である.日本の獣医学教育機関は規模が小さいために十分な教育が施せないが,これらが集まれば教官はそれぞれの専門性に専念できることになりスケールメリットの役割が果たせる.ここで大切なことは,日本で教官30人学生30人体制の規模をただ大きくしただけでは,現状よりはよいであろうが獣医師免許をもった教官が動物の撮影,現像,さらには血液検査をする状況は変わらない.欧米なみの臨床の充実を図るのであれば,教官数と学生数の比率とともに,レジデントやテクニシャンの数も考慮に入れる必要がある.
 驚いたことにアメリカの大学では,年齢やポジションにかかわらず教官によって給料が違うとのことである.人材が企業に流れないように優秀な教官には業績に応じた給料を払うとの説明である.カリフォルニア大学には,企業からヘッドハントされて来る教授もいるとのこと.日本でも企業の研究所で結果を残した人材,たとえば製薬企業安全性研究所の所長を毒性学講座の教授として大学に迎え入れることがあれば,大学の研究基盤も向上するであろう.
 
 日本の獣医学教育への提案
 当初,私は刺激を受ける気持ちでアメリカに行ったが,実際はUC Davisの獣医学教育の充実ぶりには衝撃を受け続けた.社会と獣医学の関わり方があまりにも違うため,アメリカで行われている「臨床」をそのまま日本の獣医学に導入することは難しい.しかし,なんとかしてアメリカの「獣医学教育」を日本に輸入できないものであろうか.もちろん,それには「お金」が必要である.授業で使われるスライドやテキストを見て,これを完成させるのに莫大な時間と労力を要したことは容易に想像がつくからである.獣医学教育の充実を日本国内の努力だけで解決するよりも,グローバルな視点で,すでに海外に存在する材料を利用したいものである.たとえば,交通費,滞在費と労力に見合う講演料を準備することで非常勤講師として海外の専門家を招くことは実現可能ではないか.その際,学生が一方的に講義を受けるのではなく,大学教官が間に入り,教材(スライド,プリント)の翻訳など授業の理解を深める役割をすれば,教育のソフトウエアが日本の大学にも残る.また,tele-radiology(遠隔獣医療)を利用することで,手軽に専門家の診断を導入すれば,日本の獣医学レベルの向上に貢献することは間違いない.
 また,多くの日本人が研究を目的としてアメリカに留学に来ている.医学部の日本人留学生においても同じく臨床を学ぶというよりも論文を書くことが留学の主たる目的である.私自身,在外研究員として研究を目的にUC Davisへ来た.アメリカに来た当初は,研究と臨床と明確に区別はしていなかった.研究と臨床は関連していることは事実であるが,限られた期間に達成すべきものとしては明らかに別物である.英語の不得手な日本人でもアメリカで論文を書くことはさほど難しいことではない.しかし,臨床の現場で専門用語とスラングが大声で飛び交う中,臨床を学ぶことは困難の極みである.正直なところ,病院から家路につく時はホッとしたものである.大変な労力を伴うことではあるが,日本人が将来の日本の獣医学向上のためにアメリカで専門分化した臨床獣医学を学ぶことも大いに価値のあることだと思う.これからの獣医学教育の充実に向けて,若手獣医師がアメリカの大学で研究ではなく臨床を学ぶプログラムを提案したい.