1986年11月,英国において確認された牛海綿状脳症(BSE)は,1990年代英国で猛威をふるい,欧州大陸にも伝播していった.英国から遠く離れたわが国においては,官民ともにそれを対岸の火事として受け止めていた嫌いがある.
2001年8月6日に千葉県のと畜場に搬入された起立不能の乳牛が農林水産省のサーベイランスの網にかかり,9月10日に,農林水産省はBSEを疑う牛が確認されたと発表した.衝撃的な報道が全国に伝わった.英国のBSE感染牛の映像や新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の入院患者の映像が生々しく報道されたことなどもあって,消費者の牛肉消費に対し,また畜産農家を含めた食肉業界は一種のパニックともいえる状況が発生した.
これに対して,農林水産省と厚生労働省では次々と対策を講じ,10月18日には,欧州各国より厳しい食肉となる牛の全頭検査を実施し,市場に出回る牛肉の安全性を確保する体制を整えた.しかし,その後BSE患畜2頭目,3頭目が全頭検査により発見され,安全性は担保されてはいたが,消費者に安心を呼び込むまでには至らず,消費は低迷し続けた.
わが国はなぜBSEの発生を防げなかったのか,また,発生直後の対応のまずさなどに対する行政不信は,消費者だけでなく,畜産農家とその業界,さらには焼肉店を含めた外食産業にも拡がり,政府を非難する声は日増しに高まっていった.
こういった背景の下,2001年11月6日,武部農林水産大臣および坂口厚生労働大臣の私的諮問機関として「BSE問題に関する調査検討委負会」が発足し,われわれはその委員に指名された.本委員会に課せられた検討課題は,[1]BSEに関するこれまでの行政対応上の問題の検証,[2]今後の畜産・食品衛生行政のあり方について,であった.
委員の構成は,両省各5名の推薦で10名,獣医学者3,ジャーナリスト3,消費者団体役員2,その他2で,産業界,農業者,政府関係者を含まない第三者的な立場の委員である.
本委員会では,11回,延べ30時間にわたって討議が行われ,その成果がこの報告書である.
この委員会の運営上の特徴をここで特記しておかなければならない.それは少なくとも二つある.一つは会議はすべて公開とし,傍聴者は別途準備した別室でモニターテレビを通じて傍聴していただいた.マスコミ関係者を除いて毎回70人もの一般傍聴者がいたといわれ,関心の高さを図り知ることができる.また,会議資料もすべて公開とし,毎回800部の資料が傍聴者,マスコミ関係者,関係機関などに配布されただけでなく,その資料や発言者の氏名を記入した議事録も両省のホームページで公表してきた.
特徴の第二は,報告の作成に際してすべて委員主導で行われたことで,報告のスケルトン(委員長メモ)に始まって,委員会で選定された三人の起草委員の起草文も,事実関係の確認だけは事務局に負うたとしてもすべて起草委長のオリジナルなものであった.一般の委員会では,報告案を事務局が準備し,各委員の内諾を事前に得たものが原案として提出されるのが通例であるが,本検討委員会の報告については,事前に委員間の意見調整は避け,すべて公開の検討委員会の席で意見を調整し成案にしていくという方法をとったことである.公開を原則とした本委員会としては,当然の措置ではあるが,恐らく初めての試みとしてこの委員会の持ち方自体も評価の対象となるものと考えている.
本報告は,I.BSE問題にかかわるこれまでの行政対応の検証,II.BSE問題にかかわる行政対応の問題点・改善すべき点,III.今後の食品安全行政のあり方,という3部構成を採っている.
第I部で特に問題として取り上げた点は,[1]英国におけるBSE発生を踏まえた1986〜95年までの対応,[2]人への伝達可能性の発表,WHO勧告をふまえた1996〜97年の対応,[3]EUのステータス評価に関する1998〜2001年の対応,[4]わが国でBSEが発生した2001年の対応,ならびにそれらの間における,[5]厚生労働省と農林水産省の連携について,などである.それぞれの時期の行政対応を克明に検証した上,委員会としての評価を下している.
第II部は,これまでの事実にもとづいた第I部の検証を受けて,BSE問題にかかわる行政対応の問題点を総括している.そこで取り上げた論点は,[1]危機意識の欠如と危機管理体制の欠落,[2]生産者優先・消費者軽視の行政,[3]政策決定過程の不透明な行政機構,[4]農林水産省と厚生労働省の連携不足,[5]専門家の意見を適切に反映しない行政,[6]情報公開の不徹底と消費者の理解不足などである.ここではかなり厳しい評価が随所に下されているが,これらは委員合意のものであり,行政当局者におかれては,厳しく受け止めていただきたい点である.
第III部は,その第I部,第II部で指摘した点の反省の下に,BSE問題に限定せず広く今後の食品安全行政のあり方について検討し,提言としてまとめたものである.ここでは,[1]従来の発想を変え,消費者の健康保持を最優先するという基本原則を理念として確立すること,[2]そのためには,すでにグローバル・スタンダードとなっているリスク分析の手法を導入すべきこと,その上で,[3]リスク分析を構成する「リスク評価」「リスク管理」「リスクコミュニケーション」のあり方について詳しく論じている.そして,最後に,[4]政府は6カ月を目途に新しい“消費者の保護を基本とした包括的な食品の安全を確保するための法律”の制定と,独立性・一貫性をもったリスク評価を中心とした“新しい行政組織”の構築に関する成案を得て,必要な措置を講ずるべきであると提言している.
これは国民から大きな付託を受けながら,われわれ委員会が長時間をかけて討議してきた結論でもあり,BSEという試練を乗り越えて,新たな消費者優先の行政への改革を求める意思伝達でもある.畜産農家をはじめ農業生産者も,また,食肉業界をはじめとする食品産業界も,この消費者優先の理念に徹することによって初めて永続的な経営が可能であることを考えれば,政策担当者としては,ここでの提唱がすそ野の広い改革を志向するものと理解してほしいものと思う.
最後に,本委員会の運営に際しては,農林水産省ならびに厚生労働省から数多くの重要な資料の提出をいただいたこと,ならびに,委員会事務局が休日を返上して委員会運営や報告書作成事務に協力していただいたことに感謝の意を表したい.それらに支えられてはじめて,この新しい委員主導の検討委員会が最終報告まで漕ぎ着けたものと思っている. |
BSE問題に関する調査検討委員会
委員長 高橋正郎 |
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岩渕 勝好(産経新聞論説委員)
小野寺 節(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)
加倉井 弘(経済評論家)
砂田登志子(食生活・健康ジャーナリスト)
高橋 正郎(女子栄養大学大学院客員教授)
竹田 美文(実践女子大学生活科学部教授)
日和佐信子(全国消費者団体連絡会事務局長)
藤田 陽偉(国際獣疫事務局(OIE)アジア太平洋地域代表)
山内 一也((財)日本生物科学研究所理事)
和田 正江(主婦連合会会長) |
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