平成13年12月11日(火),東京大学農学部1号館第8講義室において,日本獣医師会の主催により一般公開シンポジウム「炭疽の正しい理解のために」が開催された. 炭疽は,昨年10月に米国で発生した郵便物を介した人への感染事件から注目されることとなったが,元来は家畜の伝染性疾病であり獣医領域の疾病である. 当日は,獣医関係者に一般の方々を含め,合計約180名がシンポジウムに参加し,本病に対する一般の関心の高さが改めて伺われた. |
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―――――――プ ロ グ ラ ム――――――― |
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|.開会挨拶 | ||||||
||.講 演 | ||||||
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|||.ディスカッション | ||||||
|V.閉 会 | ||||||
<司会:吉川泰弘氏(東京大学)> | ||||||
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内 田 郁 夫 |
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炭疽(anthrax)はBacillus anthracis(炭疽菌)の感染により起こる急性敗血症性の疾病で,家畜の法定伝染病に指定されており,また,人にも感染し人獣共通伝染病として重要な疾病である.牛,馬,めん羊,山羊などの草食獣は炭疽菌に対して感受性が高く,豚,犬,人は比較的抵抗性が強い. 炭疽菌は人類史上最初に発見された病原細菌である.19世紀の中頃,羊や牛に炭疽の流行が毎年のように繰り返されていたヨーロッパで,2人のドイツ人(Pollender;1885,Brauell;1857)とフランス人(Dela-fond;1856)は,死獣の血液中に棒状微小体を確認した.しかし,炭疽菌を病原細菌第1号として不動のものとしたのは,固形培地での本菌の純培養に成功したKoch(1876)である.ついでPasteur(1881)が高温培養法で本菌の弱毒化に成功,同時に世界で最初に生菌ワクチンとしての実用化に成功し,今日の種々のワクチン開発における先駆的役割をはたした. |
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病 因 |
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炭疽菌はグラム陽性の大桿菌(1〜1.2×3〜5μm)である.生体内では菌体表層に莢膜を伴う単独,または短い連鎖状であるが,人工培地では竹節状の長い連鎖となる.鞭毛を欠き,運動性がない.寒天培地上で辺縁が縮毛状の集落を形成する.芽胞を形成して,熱,乾燥,消毒薬などに強い抵抗性を有する.本菌の病原性因子として莢膜と外毒素がある.莢膜はD-グルタミン酸ポリペプチドからなり,宿主の食菌作用に抵抗する働きがあるとされている.外毒素には浮腫因子(eadema
factor, EF),致死因子(lethal factor, LF)とよばれる2種類の蛋白毒素が知られており,さらにこれらの毒素を宿主細胞内に運ぶための防御抗原(protective antigen,
PA)と呼ばれる蛋白を産生する.PAはそれ自身毒性はないがEFおよびLFの活性に必須の蛋白である.また,このPAは本菌の感染に対する感染防御抗原となる.EFはアデニレートサイクラーゼ活性を有し,炭疽の症状に特有の浮腫を惹起する.LFはラットなどの実験動物に対する静脈内接種により致死活性を示す.LFの活性については長い間不明であったが,近年この毒素が亜鉛結合性のメタロプロテアーゼであり,mitogen-activated
protein kinase kinase(MAPKK)のN-末部近傍を切断する活性のあることが明らかとなった.また,LFは高濃度でマクロファージを細胞融解させる.LFの作用機序については依然不明な点が残されているが,いずれにせよ炭疽に感染した動物の直接的死因は毒素によるショックであると考えられている. 莢膜および毒素は生体内で産生されるが,人工培地では高濃度の炭酸ガスを供給した場合に産生される.莢膜形成および毒素の産生に関与する遺伝子は,それぞれ,菌の保有する莢膜プラスミド(60MDa)および毒素プラスミド(110MDa)上にある.現在家畜に用いられている無莢膜ワクチン株は莢膜プラスミドが脱落したものである.また,毒素プラスミドは42〜43℃で培養することにより脱落することから,パスツールの発見した弱毒化現象はこのプラスミドの脱落に起因していたものと考えられている.野外から分離される強毒な菌株は通常この2種類のプラスミドを保有する. |
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疫 学 |
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世界各国で家畜および野生動物において地方病的発生がみられる.わが国においては,昭和のはじめころまで,牛,馬を中心に年間数百頭の発生が記録されていた.しかし,家畜の飼養形態の変化や衛生管理技術の向上により,その発生は急減し,この10年間においては,1991年および2000年にそれぞれ牛での発生が1例,豚においては1986年以来報告がない. 感受性の高い動物において,致死率は高いが,発生規模は小さく,概して散発的である.炭疽菌が個体から個体へ直接伝播されることはほとんどない.家畜における感染経路はおもに経口感染および創傷面からの経皮感染である.まれにサシバエなどの咬傷によっても感染することも報告されている.本菌は典型的な土壌菌で,環境中で芽胞体として長期間生残し,動物に感染を繰り返す.芽胞体が生体内に侵入すると,発芽し,栄養型として体内に爆発的に増殖し炭疽を発病する.感染した動物の血液,体液,死体などが地表や体表を汚染し,空気に触れると,栄養型はふたたび芽胞体となり,野外に放出され,土壌を汚染する.炭疽菌はこのような感染サイクルを繰り返し,炭疽汚染地帯を作る. |
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症 状 |
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牛,馬,めん羊,山羊等の感受性の強い動物においては,急性敗血症を呈し急死する.潜伏期は1〜5日と考えられている.症状は体温の上昇,眼結膜の充血,呼吸・脈拍の増数,さらに進み敗血症期に入ると,可視粘膜の浮腫,チアノーゼ,肺水腫による呼吸困難,時に血色素尿のみられることがあり,経過の早いものでは発症から24時間以内に死亡する.剖検での特徴的病変は,皮下の浮腫,口腔,鼻腔や肛門等の天然孔から凝固不良で暗赤色タール様の出血,脾臓の腫大等があげられる.豚などの比較的抵抗性の強い動物では,慢性的な経過をたどる場合が多く,腸炎型,咽喉部に病変を作るアンギナ型および急性敗血症型に大別される.腸炎型では特徴的な臨床症状に乏しく,重症の場合,吐き気や嘔吐,下痢または便秘,血便がみられる.経過の長いものでは腸壁が肥厚し,ホース状となる.腸間膜リンパ節の腫大,出血がみられる.アンギナ型は咽喉部の浮腫性腫脹が特徴である.呼吸困難を引き起こし,重症では鼻血をみることがあり,ときには窒息死する.咽頭リンパ節あるいは顎下リンパ節の腫大,出血がみられる.幼豚の場合,急性敗血症で急死することがある. |
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診 断 |
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炭疽を生前に診断することは難しい.また,防疫上の観点から,早急かつ確実な診断が要求される.家畜が急死したときには,外見上炭疽死の状態を示していなくても,一応,炭疽を疑う必要がある.その場合,まず血液を採取し,塗抹染色等による細菌学的検査を実施する.材料採取には,傷口をできるだけ小さくし,菌が散乱しないようにする.通常,汚染を避けるため,一般的な病理解剖は行わない.細菌学的検査の要点について述べる. <1>塗抹染色による鏡検:血液,脾臓等の塗抹標本をレビーゲル法,メチレンブルー法,ギムザ法などにより染色し,鏡検する.培養菌では長連鎖菌が観察されるが,通常,急性敗血症で死亡した動物においては1〜3個の短連鎖し莢膜をもった大きな桿菌が観察される. <2>アスコリーテスト:血液あるいは脾臓の乳剤を約30分間沸騰水中で加熱し,冷却後ろ過したものを抗原とし,炭疽沈殿素血清に対して,重層法による沈降反応を実施する.室温で15分間以内に両液の接触面に白輪を生じた場合を陽性とする.ただし,炭疽沈殿素血清は他のBacillus属菌と類属反応を示すことがある.材料中の菌数が少ない場合,陰性となることがある. <3>パールテスト:炭疽菌が非病原性芽胞菌よりペニシリンに対して感受性が高いことを応用した方法である.ペニシリン0.5〜0.05単位を含む普通寒天培地に炭疽菌を培養し,顕微鏡下で観察すると,菌体が膨化し,真珠を連ねたように見える.他の細菌ではこのような変化は認められない. <4>ファージテスト:寒天平板培地に菌を塗布し,その中心部にγ-ファージ液を滴下する.37℃で培養後,被検菌が炭疽菌であればファージをおいたところには菌が発育せず,周囲のみ発育する. <5>炭酸ガス培養:NaHCO3(0.7%)を加えた寒天培地に菌を接種し,高濃度の炭酸ガス下(10〜20%)で培養すると,莢膜を形成し,ムコイドのコロニーとなる.コロニー形態と,莢膜染色により炭疽菌を確認する. <6>PCR:プラスミド上の莢膜形成に関与する遺伝子および毒素遺伝子をターゲット遺伝子としたPCR法による菌の同定も可能である. <7>動物接種:検査材料の乳剤をマウスまたはモルモットの皮下に接種する.敗血症死したものの心血あるいは脾臓を材料として,上記の検査を実施する. |
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予防・防疫対策 |
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牛および馬用の予防には無莢膜弱毒変異株の芽胞液が生菌ワクチンとして用いられている.本病が生前に診断されることは少なく,治療することは事実上ほとんどない.敗血症が進行した段階では,抗生物質投与の効果は期待できない.同居家畜に対して緊急予防的に抗生物質を注射することがある.少数例ではあるがペニシリン耐性菌も報告されている.しかし,通常,本菌は抗生物質に対して広い感受性を有し,ペニシリンをはじめとしてテトラサイクリン,エリスロマイシン,クロラムフェニコールなどが用いられる. 本病と疑われる患畜が死亡した場合,畜主,獣医師はただちに都道府県知事(家畜保健衛生所)へ届け出て,その指示に従って作業を進める.炭疽の防疫上この届け出が最も重要である.炭疽と診断されたならば,家畜伝染病予防法による処置をとる.死体,飼育舎,乳汁等の処理および消毒,ワクチン接種,抗生物質投与,移動禁止等の措置がとられる.炭疽菌が有芽胞菌であることから,その消毒には高圧滅菌,塩素剤,ヨード剤,さらし粉など目的に応じて用いる. |