ロシア動物行政調査団団長 鷲塚貞長
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1.はじめに |
日本海を隔て小型ジェット機でわずか2時間そこそこの地に横たわる広大な国土を要するロシアは,隣の主婦が買い物感覚で気軽に,時には足しげく通うハワイ,ロス,パリなどに比べれば,大黒屋光太夫のオロシヤ国的感覚と大きな発展はなく,深い霧の中に包まれている.
わが国に,狂犬病の発生が確認されなくなってから,かなりの年月が経過し,一般国民はもとより,獣医師の中にすら,この有史以来の業病に対する認識の低下が著しい.
しかしながら,狂犬病は,今日なお,世界200余国のうち,その無発生が明らかになっているのは20カ国に達せず,また,日本の近隣諸国(中国,朝鮮半島,フィリピンなど)では発生が頻発している.
グローバリゼーションの急速な進展に伴い,世界の物流が身近な生活物資にまで及ぶ今日,WHOやOIEの統計に,ロシアの狂犬病に関する記録がきわめて乏しいことに危惧の念を抱いたわれわれは,百聞は一見にしかず,その地を訪れ,地理的・社会的背景の中にわが身を置き,動物行政の実状,狂犬病の実態についての可能なかぎりの調査を目途として,ニューヨークテロの硝煙さめやらぬ9月15日,富山空港を後にした.
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2.極東・沿海地方の中心地ウラジオストック |
日本海が内陸に向かって大きく入り込む,金角湾を中心に広がる極東最大の都市ウラジオストックは,かつては清国の領土で,1860年条約によりロシア領となり,その名の由来は,「東方を征服せよ」を意味し,沿海地方を統括する政府機関が集中している.
日本への直接的影響が大きく,比較的短期間で調査が可能であり,しかも政府機関と効果的な接点が持てる,それらの要件を満たすこの地を,今回の調査ターゲットとした.
人口約70万,木材と漁業と斜陽産業を経済基盤とし,6〜7月は雨季,10月には氷点下,冬にはマイナス15〜20度,快適シーズンはわずかに8〜9月の2カ月,ペレストロイカ以降,物資は豊富になったが,肝心の所得がきわめて低く(自治体の管理職で月収1万円程度,ただしほとんどの世帯が共働き),加えて物価が日本とあまり変わらない(人々は週末に山小屋で野菜などを栽培し,少ない収入を補っている).
町のインフラは低く,人々の表情は暗く活気に乏しい.中古車が黒煙を上げて行き交い(その95%は日本車),男性の平均寿命は56歳,死亡原因の第一が事故死.治安も悪く,警察官が最も危険という信じ難い現況を,世界のトップモデルクラスの美女達が背筋を伸ばし,さっそうと町を闊歩するオーラが,すべてのマイナーなファクターを吹き飛ばしていた.
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3.ロシア連邦獣医関係法令 |
われわれの事前質問状のうち,法令関連に関してはモスクワ日本大使館・村上参事官からのロシア連邦農業省クラフチュク獣医局長への質問に対し,ザハロフ国境上位監督課長およびエルメンコ疫病予防措置課長が担当し,提出されたロシア連邦・獣医関連法令は,「ロシア連邦獣医法」,「ロシア連邦獣医ライセンス規則」,「ロシア共和国犬猫規制」であり,その概要は次のとおりであった.
(1) ロシア連邦獣医法の概要
第1章 |
総則(第1条―第4条) |
第2章 |
ロシア連邦国家獣医庁及び各省の獣医サービス
(第5条―第7条) |
第3章 |
国家による獣医監察(第8条―第11条) |
第4章 |
動物の疾病の防止,家畜生産物の安全性の確保
(第12条―第19条) |
第5章 |
人畜共通伝染病,食中毒の防止
(第20条―第22条) |
第6章 |
違反に対する制裁(第23条―第24条) |
第7章 |
国際的義務と国際条約(第25条) |
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(第1章 総則(第1条―第4条)) |
第1条 |
ロシア連邦における獣医業の役割,重要性 |
第2条 |
ロシア連邦の獣医分野の法令には,連邦レベルのものと地方自治体(共和国,州,市町村等)レベルのものとがある. |
第3条 |
連邦は,プログラムの策定,特に危険な病気の防止と根絶,ロシア連邦領土内における検疫ルールの策定,薬剤・獣医用機材・動物用飼料の基準作成と認定,外国からの伝染病の流入の防止,国際機構又は外国との協力等の任務を担う.
地方自治体は,それ以外の獣医分野の問題を自ら解決する. |
第4条 |
獣医の資格を得るためには,獣医分野における大学レベル又は専門学校レベルの教育を修了しなければならない.
獣医分野において個人又は民間企業として活動するためには,適切な国家機関に登録しなければならない. |
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(第2章 ロシア連邦国家獣医サービス及び各省の獣医サービス
(第5第―第7条)) |
第5条 |
ロシア連邦の獣医サービスの内容は,動物の疾病の防止及び根絶,生産物の安全性の確保,人畜共通病の防止,外国からの動物疾病の流入の防止のための措置である.
農業省の獣医局を中心に,各地方自治体の獣医局,獣医分野の研究所,国境地帯・運輸機関の検疫サービス,市場・加工場における獣医衛生サービス等が活動する.
予算には,国家予算と自治体の予算とがある.特に危険な疾病,緊急対策に関する予算は国家予算である. |
第6条 |
国家獣医サービスの専門家には,年金等の面で特典がある.農村部で10年以上勤めると,住居費,光熱費について,終身の優遇措置を受けられる. |
第7条 |
国防省,内務省等は,各省内に独自の獣医衛生サービスの組織と予算を有する. |
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(第3章 国家による獣医監察(第8条―第11条)) |
第8条 |
ロシア連邦獣医サービス活動の目的は,動物の疾病の防止,生産物の安全性の確保である.このため,動物の伝染病又は大量発生する病気の原因と発生条件・環境を明らかにするための活動,研究・調査,発生防止の手段の組織化と実施,病気の発生地における予防と対策,外国からの伝染病の流入を防ぐための施策の実施,動物の移動・生産物の生産と輸送の際の規則の作成,疾病予防のための団体・企業・研究所・個人による防止手段の作成とコントロール,薬剤の生産・利用基準の作成,災害等からの動物の保護,違反に対する処罰等を実施する. |
第9条 |
連邦及び各州に1名ずつ主任監察官を置く. 主任監察官は,次のような権限を有する.
・ |
何時でも何処にでも自由に入場し,監察を行うこと. |
・ |
連邦政府又は各州の行政府に対し,緊急措置の提案をすること. |
・ |
企業,団体又は個人に対し,獣医的,衛生的な防止手段の実施を命ずること. |
・ |
違反した団体又は個人のライセンスを停止すること. |
・ |
疾病対策を行う際に,動物又は生産物を所有者から取り上け,処分すること. |
また,連邦の主任監察官は,国際条約の作成,署名に参加することができる. |
第10条 |
監察官は,独立して活動を行うことかできる.各州の行政府は監察官に協力し,必要な資機材を提供しなければならない. |
第11条 |
国防省,内務省等は,農業省とは別に,自ら獣医サービスに関する監察を行う. |
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(第4章 動物の疾病の防止,家畜生産物の安全性の確保
(第12条―第19条)) |
第12条 |
家畜のファーム,食肉加工場その他の工場,施設,更に個人で家畜や動物を飼う場合も,建物の設計と建設の際には,定められた要件を遵守しなければならない.廃棄物が環境を汚染することの無いよう,又,動物の病気が発生しないような防止手段を講じなければならない.施設の建設の開始時と完成時に獣医監察当局の許可を受けなければならない. |
第13条 |
動物用飼料は,法律に規定された要件を満たすものでなければならない.新規の飼料は,認定を受けなければならない.
動物を移動させる際には,動物の健康を害することの無いようにしなければならない. |
第14条 |
動物,その生産物又は飼料を輸入する場合には,ロシア連邦国家主任監察官の許可を受けなければならない.国内法及びロシアが参加している国際条約に基づいて規定された条件を満たすものだけが,輸入を許される.又,衛生状況の良い国からでなければ,輸入はできない. |
第15条 |
動物及びその生産物を輸送する際には,農業省が定める要件を遵守しなければならない. |
第16条 |
全ての動物のワクチンの生産及び利用については,国家基準委員会の定める規則に従い,全ロシア国立獣医薬剤基準化認定研究所の許可を受けなければならない. |
第17条 |
伝染病が発生した場合には,ロシア連邦政府及び自治体の行政機関は,国家獣医サービス当局の指示に従い,感染拡大の防止,病気の根絶のための措置を執る.関係機関の活動を調整するために,非常事態疾病対策委員会が設置される. |
第18条 |
動物の飼い主又は家畜生産者である企業,団体,個人は,動物の健康,生育条件,利用に責任を負う.メーカーは,獣医的な面で安全な生産物を製造する責任を負う.
動物の飼い主及び生産物のメーカーは,次のような義務を負う.
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動物の疾病防止又は生産物の安全性の確保のための措置を執ること. |
・ |
動物の飼育又は生産物の加工・保存・販売のための施設の建設の際には,衛生・獣医的要件を遵守すること. |
・ |
獣医専門家の要請があった場合には,検査のために動物を引き渡すこと. |
・ |
動物が急死した場合,同時に多数の動物に病気が発生した場合,動物の挙動に異常が見られる場合には,獣医専門家に直ちに通報すること. |
・ |
獣医専門家の到着まで,当該動物を他の動物から隔離すること. |
・ |
動物の輸送,と殺,肉等の加工,生産物の貯蔵・販売の際には,獣医衛生規則を遵守すること. |
・ |
疾病の防止・根絶のための獣医専門家の命令を実施すること. |
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第19条 |
危険な病気について,主任国家獣医監察官の決定に基づき,動物又は生産物が処分されることがある.動物又は生産物の処分が許可される病気のリストは,ロシア連邦主任獣医監察官により定められる.動物又は生産物を処分された企業・団体・個人は,ロシア連邦法令に従い,損害賠償を求める権利を有する. |
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(第5章 人畜共通伝染病,食中毒の防止(第20条―第22条)) |
第20条 |
ロシア連邦国家獣医サービスは,人畜共通伝染病又は食中毒の防止のため,家畜生産物の調査,検査その他の措置を執る. |
第21条 |
肉・乳・卵その他の家畜生産物は,食料として利用可能であることの確認のために獣医衛生検査を受けなければならない.検査の組織化,実施の手順,その結果に基づく生産物の利用方法等は,獣医規則により規定される.検査を受けない生産物の販売は禁止する.皮,毛皮その他の非食用生産物についても,別途獣医衛生規則を定める. |
第22条 |
国家獣医サービスとは別個に衛生伝染病対策監察委員会を設け,対策活動の調整を行う. |
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(第6章 違反に対する制裁(第23条―第24条)) |
第23条 |
獣医関係法令に違反した場合は,民法,刑法その他の法律に基づく処罰を受ける.処罰を受ける以外に,損害賠償の責任も負う. |
第24条 |
軽度の違反に対しては,直接,国家獣医監察局が罰金を科することができる. |
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(第7章 国際的義務と国際条約(第25条)) |
第25条 |
ロシア連邦が参加している国際条約により,この法律と異なる規定が定められている場合には,国際条約の規定が優先する.
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(2) |
ロシア連邦獣医ライセンス規則の概要
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○ |
ライセンスの対象となる業務の種類は,次のとおり.
・ |
医療,治療,診断 |
・ |
薬の生産,販売 |
・ |
飼料,飼料添加物の生産,販売 |
・ |
生物標本その他の獣医分野で使用される機材の販売 |
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○ |
同時に複数のライセンスを有することも可能.
他の個人,法人へのライセンスの譲渡は禁止.
ライセンスを有する個人と共同で業務を行う者には,ライセンスの効力は及ばない.
ライセンスを有する者が設立者である他の法人には,ライセンスの効力は及ばない. |
○ |
ライセンスを取得するためには,
・ |
当該業務を行う専門家として必要な教育レベルを証明する文書のコピー, |
・ |
施設,機械器具が定められた条件に合致している旨の伝染病対策サービス,関係獣医サービスの認定書 等の文書を提出して,申請を行わなければならない. |
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○ |
ライセンス発行に関する決定は,各連邦構成主体の国家獣医サービス専門委員会により行われる. |
○ |
当該業務のための条件が整っていない場合,安全措置が不十分である場合等には,ライセンスは与えられない. |
○ |
ライセンスの有効期間は3年間.有効期間の延長は,発行と同じ手順で行われる. |
○ |
連邦構成主体当局により発行されたライセンスが,他の連邦構成主体当局により登録されれば,その連邦構成主体においても活動ができる. |
○ |
ライセンスの条件に違反した場合,国家機関の指示・命令を実施しなかった場合等には,ライセンスを一時停止又は剥奪することができる. |
○ |
ライセンスの一時停止の理由となった状況が変化した場合には,ライセンス当局の決定により,ライセンスを復活させることかできる. |
○ |
ライセンスの条件が遵守されているか否かのコントロールは,ライセンス機関と国家獣医当局の監察官が行う. |
○ |
ライセンス機関の決定に対して不満がある場合は,裁判所に提訴できる.
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(3) |
ロシア共和国犬猫規則の概要
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○ |
市街地において,個人,企業,団体等が飼っている犬は,1年毎に登録を行わなければならない. |
○ |
州,市町村当局は,現地の状況に応じて,農村部においても犬の義務的登録を導入することができる.
又,飼うことのできる犬又は猫の数を制限することもできる. |
○ |
犬の登録は,農業省の獣医当局が行う. |
○ |
公衆の前に,飼い主無しで放置されている犬および猫は,捕獲される. |
○ |
犬猫の捕獲を実施する機関,収容施設は,各市町村の状況に応じて,市町村レベルで決定する. |
○ |
番犬,狩猟犬,登録の印の付された犬は,3日以内に飼い主の申請があれば,獣医監察当局の許可により,飼い主に引き渡される.飼い主は,要した費用を負担する. |
○ |
飼い主からの申請が無い場合は,関心を示した団体に引き渡すか,又は販売する. |
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