4.獣医学教育と免許制度
 小学校3〜4年(6歳入学があるので),中学4年,高等学校3年の後,獣医師となるには,国立大学で5年間の教育が必要となる.国家試験はなく,卒業と同時に資格(ディプロマ)が与えられ,5年の実務の後,コース別の審査を受け,特別のライセンスを獲得する.また,獣医師のアシスタントとしての専門教育があり,高卒後2年,もしくは中卒後4年で資格が与えられる.
 獣医学領域の専門家総数は約20万人で,毎年5,000人が新卒として加わり,その内訳は獣医師60%,アシスタント40%となっている.

5.臨床獣医学の実情(主として小動物について)
(1)
国立動物病院
 沿海地方に35の病院と村単位のステーションがあり,その総数は92であった.
 病院機能としては,産業動物・小動物の,一般的な疾病の予防・診断・治療.社会的に問題となったり,危険を伴うような疾病の予防注射を実施している.(狂犬病,口蹄疫など予防注射はすべて国立の機関が行う.)われわれが訪れたアルチョム市の病院では,院長を含む2名の獣医師が診療に従事.大・小動物の専門分けはなく,外科・内科の分担が行われていた.
(2)
ステーション
   広域な沿海地方(10の都市)では,35の国立病院では対応が不可能なため,主として予防業務を補う村単位の機関で1名の獣医師が常駐し,狂犬病,口蹄疫(目下ロシアで猛威を振るっているが,BSEは認められていない.)など,いわゆる国家防疫のような業務を担当しているが,ひとつの国立病院に2〜3のステーションが配置されている.
(3)
個人開業医
   ペレストロイカ以降,よりよい診療を求める社会的ニーズに応え,主要都市では個人開業が除々に増加しており,ウラジオストックには現在13の個人開業が存在する.個人開業では,国家防疫に関する予防注射は一切許されていない(市内には4カ所の国立病院があり,国家防疫に関する予防注射はすべて無料,一般予防および診療も安い.).
 市内で2軒,アンチョム市で1軒の個人開業を,領事館員およびロシア政府職員の案内で訪れた.1軒は平均的,2軒は当地ではレベルの高い病院と紹介されたが,総じて日本の30〜40年前の状況であった(昭和30年代の新卒の平均給与が,12,000円程度であつたので,所得ベースの背景からみておおむね一致する.).X線装置はきびしい取り扱い規制があり,現下での導入は不可.かなり旧式の超音波診断装置(エコー),心電計などの設備があったが,人医用をそのまま転用.医薬分業がかなり徹底しており,飼い主は薬店で医薬品(ワクチン等も)を購入し病院に持参,それを獣医師が診療に用いるシステム(ただし,薬店は開業医の付属であることが多い.).臨床医のほとんどが女医,この現象は人の医療でも同様であった(同行の三村医務官談,ただし政府機関の獣医師には,臨床現場においても女医は見られなかった.).
 犬用ワクチンは,ジステンパー,パルボ,アデノウイルス感染症,伝染性肝炎の4種混合.犬で普遍的な疾病は,ジステンパー,パルボ,レプトスピラ(なぜか混合ワクチンに組み入れられていない.),肝炎,フィラリア症を含む数多くの寄生虫病などがある.

6.飼育伴侶動物事情
 多く飼われている順は,犬,ねこ,鳥,観賞魚.沿海地方の飼い犬登録数(狂犬病予防注射済み)45,320頭,しかし実態としては,その3倍とのことであった(沿海地方国家獣医監督局セミョーノフ局長談).
 町ではジャーマン・シェパード,チャウチャウ,コッカー・スパニエル,パグ,ボストン・テリアなど純潔種が多く,そのほとんどがリードでつながれての飼い主との同行であったが,ひとたび町を離れると,ほとんどが雑種で,犬も猫も放し飼い.一見人なつっこそうに見える犬に近づいて,突然攻撃的に豹変する犬に幾度も出合った(年間の咬傷事故約8,000件).市内でほとんどみることのなかった猫は,郊外では正に自由奔放,犬猫ともに放し飼いを禁じている規則などどこ吹く風,時には風のように大地を疾走し,また広い大地に長々と寝そべるなど,野生動物の宝庫であり,ハンティングやフィッシングの盛んなお国柄,郊外の民家には,精悍で,いかにも攻撃的な面相の獣猟犬の飼育が随所にみられた.
 特別な例では,ウスリースク・タイガーや熊の個人飼育例もあると聞かされた.ちなみに,犬の平均寿命は12歳とのことであった.

7.狂犬病の実態
 本症の危険度の大変低い沿海地方で,昨年(2000年),犬7頭,猫1頭の真性狂犬病が確認された.さらには1999年では,ネズミの発症例も確認されている.関係者の話では,危険度の高い地方が多く存在するので,連邦全体ではかなりの発生の可能性があるとのことであった.
 放し飼い禁止(犬,猫とも,放し飼いは原則捕獲,シェルターへ).登録・予防注射義務(犬,毎年).飼い主への広報は十分に行っているが,意識はあまり高くなく,狂犬病予防注射接種率推定25%以下.咬傷犬はただちに国家機関で10日間保護観察し,異常が発生すれば(発熱,食欲異常,流涎など)ただちに殺処分,断頭の上,頭部を研究機関に送り,病理組織学的検査(ネグリー小体など),蛍光抗体法,マウス脳内接種などが実施される(沿海地方ではウスリースクの研究所).人の暴露後免疫は,被疑犬に異常が認められた場合,特に上半身(手,首,頭)の咬傷事故では必ず行うとのことであった.

8.動物検疫(主として犬)
 輸入は,輸出国の検疫証明書が有れば可能となっており,輸出は,相手国の要求に応じた要件を満たす証明を行うとのことであった.狂犬病予防注射(3カ月齢以上の犬)義務付けがなされていた.

9.総   括
 近くて遠い国ロシア,その動物行政等に関する情報は,今日までわが国ではあまりにも欠如していた.それには,それなりの理由があったと考えられるが,その中でも最大のバリアーは,日本の国民には馴染みにくい政治形態にあったのではと思われる.
 しかしながら,ペレストロイカから10年経過し,特に沿海地方を含む極東は,地理的にもアジアであり,また,ロシア連邦の政治・経済など,社会の仕組みが大きく変わった今日,さらにはカニをメインとした水産物の物流が,北海道を中心に,日本海サイドの各地の港で活発化するに及び,それに伴う動物の移動を無視できないのが,今日の状況である.
 英国に端を発した,牛海綿状脳症や口蹄疫の例をみても,グローバリゼーションが急進し,ボーダーレスの時代を迎えた今日,水際作戦を過信することの危険度が,いかに高いかはいまさら論を待たない.
 北朝鮮とは北端で,中国北部とはアムール川を境に長大な国境に接し,その両国とも狂犬病の濃厚な汚染国であることより(北朝鮮は,南北国境での発生よりの推定.),かねてからロシアには狂犬病が常在するであろうと推測されていたが,今回の調査でそれが明確になった.
 日本の約40倍の国土に1億5千万ほどの人口,ウラジオストックのわずか150キロ北方より広がるウスリースクの大森林には,250頭の野生トラが生息するなど,その広大な領土,そして現下の社会的条件下において,近い将来,狂犬病を撲滅することはきわめて困難なことであると思われる.
 前述したごとく両国間には,船舶の往来がことのほか頻繁で,犬はもとより,ネズミに真性狂犬病が認められていることは,狂犬病の蔓延が,わが国に及ぶ客観情勢が十分にあり,それなりの対応がなされていたはずが,いとも簡単に防波堤が侵食され,わが国への狂犬病が流入する危険性が強く示唆される.
 いずれにしても,現行の水際作戦が,ごく一部しか機能しないことが明白になった今日,検疫体制の見直しもさることながら,予防注射に対する認識を新たにし,国政調査並みの飼い犬の実態調査と,有事の蔓延防止に必要な接種率の確保が,当面の最重点課題ではなかろうか.

10.謝   辞
 この度の訪ロに先立っては,調査の効率と精度をベストなものとするため,事前に可能なかぎりの情報を入手する必然性があり,またロシアという国柄,民間ベースだけでの調査の問題点が十分に予測された.地元選出の谷田武彦代議士にご相談したところ,自民党きってロシア政策の重鎮,鈴木宗男代議士にご引見いただける機会が得られ,ご指導をいただいた.
 具体的には事前質問状を,外務省欧州局の森審議官(現カザフスタン大使),小畑ロシア課外務事務官と面談して手渡し,その後モスクワ大使館の村上参事官からロシア連邦農業省クラフチョク獣医局長へ,また,ウラジオストック高松総領事,飯島首席領事,三村医務官から,沿海地方政府セミョーノフ局長へ質問状への事前回答を要請,ご丁重な回答を得た.
 現地調査では,三村医務官,沿海地方政府獣医局ボールコフ副局長,ウラジオストック市フリューギン獣医局長に終始ご同行いただき,通訳には領事館秘書官ナターシャさんに大奮闘をいただいた.
  そして,訪問先の国立病院,私立病院の院長先生たちとは,十分な討論の場を持つことができた.
 また,最終日には総領事公邸での,晩餐会にご招待いただき,あらためてセミヨーノフ局長を交え領事館の方々と,胸襟を開いた楽しいひと時を過ごさせていただいた.
  この度の調査に関し,事前また現地において寄せられた,各位の筆舌に尽くしがたいご厚意の数々に,調査団を代表し深甚なる謝意を表します.


ロシア動物行政調査団参加者
団長 鷲塚 貞長
(社)名古屋市獣医師会会長
滝山  昭
(社)名古屋市獣医師会副会長
日本小動物獣医師会人獣共通感染症委員会委員長
原   崇
(社)名古屋市獣医師会会員
名古屋市獣医師協同組合理事長
川又  哲
(社)北海道獣医師会理事
高橋 英雄
(社)千葉県獣医師会会員
日本小動物獣医師会人獣共通感染症委員会委員
伊藤 彰仁
(社)千葉県獣医師会会員
日本小動物獣医師会人獣共通感染症委員会委員

ミーティング風景
沿海地方政府セミョーノフ局長,ウォルコフ副局長,
フレアーゲン市獣医局長とのミーティング.