4.第2次世界大戦後の流行と狂犬病予防法 敗戦直後の1946年,47年における全国の狂犬病発生件数が40件以下と少なく,社会的混乱にもかかわらず狂犬病の発生が関東大震災後ほど多くならなかった原因には,戦争末期にイヌを飼うのはぜいたくとされて飼いイヌが処分されたり,イヌの毛皮が軍事物資として利用されたため,全国的にイヌの数が減少していたこと,戦後も食料事情が悪く,飼いイヌや野良イヌの数が増加していなかったことがあろう.やがて米国からの食料援助などによって,日本の食料事情が改善されるとともに,イヌの数,特に野良イヌの数が増加し始め,これに伴って狂犬病の発生件数も増え始めた.1948年に東京では流行が始まり,狂犬病のイヌは91頭を数えた.翌1949年には狂犬病流行は関東一円に広がり,東京,千葉,埼玉では狂犬病のイヌが100頭以上となり,狂犬病患者も76名に達した.1950年は戦後の狂犬病流行がピークを迎えた年であり,狂犬病のイヌの数は関東地方を中心に867頭となった.1950年8月,衆議院議員原田雪松を中心にした議員立法として狂犬病予防法が制定された.本法は狂犬病を家畜伝染病から切り離し,飼いイヌの登録および年2回の予防接種を義務づける一方で野良イヌの捕獲などにも力を入れ,より強力に撲滅対策を進めるものであった.その結果1951年以降狂犬病の発生件数は確実に減少し,1957年には全国での狂犬病発生をゼロにすることができた. 日本が狂犬病を根絶できた理由として,
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